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模型とかキャラ弁とか歴史とか このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-03-26

[][]アイヌの人々の署名集め

に対するネット上の反応とか沖縄の性犯罪被害者女性「実名」ちらしとかいろいろと非道いことがあって凹まされました。

アイヌの人々が受けた差別の実態については本多勝一の著作のいくつかに記述があったのを覚えています。

アイヌの人々を非難している人々には読んで欲しいものです。

もっとも、アイヌの人々を非難している人々は本多勝一という名前を聞いただけで拒否反応を示して偏見のために読みはしない人が多そうなので、読んでもらうのは無理そう(偏見)。

こういうのは似非科学とも共通する面がある人間の所業の問題なのかもしれないと思います。

似非科学を信ずる人々は似非科学批判本を読もうとしない。

人権を蔑ろにする人々は人権と社会のありようについて書かれた本を読もうとしない。

こうして、最もそういう情報を得るべき人々のもとに情報が届かないわけです。


blackdragon氏のブックマークコメントが「同化政策」の現状を見事に要約していたので引用。

同化と民族撲滅の行き着くところの実例。ドサクサのうちにそこまで出来なかったのが中国。やりたい放題やって、あとは体面をかろうじて繕ってるのがアメリカ。アメリカに守られてやりたい放題のイスラエル

http://b.hatena.ne.jp/blackdragon/20080325#bookmark-7996793

そして、人権を蔑ろにする人々が、気に入らない国で人権問題がおこっているときに限って人権を手段とし、気に入らない国を攻撃したいという心理的な目的の達成手段とするわけです。

そういう非道い人権に対する二重基準がまかり通っている現状に対して私は思います。

抑圧される少数民族の自由と人権の問題を「政敵」を攻撃する手段にするのをやめてください。目的とし、世界のあちこちで抑圧されている少数民族の自由と人権のために活動してください。他国の被差別民に向ける同情の目を同じように国内の被差別民にも向けてください。切に願います。と。

チベットの人々の声に耳を傾け活動することは素晴らしいことと思います。その素晴らしいことをアイヌの人々にも沖縄の人々にも適用してほしいのです。

2008-01-09

[][]「中立」というポジションの魅力

「中立」な人の発言の特徴

  • 「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言
  • 「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言
  • 「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

上記のような発言は、歴史修正主義論争などにおいて史実派(肯定派)と否定派を「どっちもどっち」といってしまうような「中立」な人の心理をよく示していると思われる。

「よく分からないけど、どっちもどっち(どっちもバカ)」系の発言

「よく分からない」、つまり両者の意見の妥当性を判断するだけの知識もないのに関わらず、「どっちもどっち」と両方を見下している発言。両方の発言に価値を認めないので「どっちにも一理有る」というような表現にはならない。

「つまらないことに熱くなってバカじゃないの」系の発言

論争の対象になっていることは「つまらないこと」であり、それについて熱心に論じることは愚かであるとし、両方を見下している発言。

「どちらからも責められてつらい立場です」系の発言

「つらい立場」と自己憐憫している発言。「責められる」ことを理不尽と認識していることを示している。

仮説

本来、中立というポジションは論争の両者の意見の妥当性を判断するだけの知識が無ければとれない。

しかし、半端な知識しか無いのを自覚しつつ「中立」というポジションで論争に言及したがる人(そして半端な知識ゆえに頓珍漢な発言をしてしまう人)がいるのは「中立」というポジションに精神的に魅力があるからではないだろうか。

「中立」な人の発言の特徴から以下のような精神的魅力があることが考えられる。

  • 「両者を評価する立場」という上位視点で言及することにより論争に必要な知識を得るのに必要なコストを殆ど払わずに論争の両者を見下すことができ、ローコストで優越感を得られる。
  • 「両者を評価する立場」で言及することにより「自らの賢明さをアピール」することができ、簡単に自己顕示欲を満たせる。
  • 「どちらからも責められてつらい立場」の自分に対する憐憫に自己陶酔できる。

「中立」の背景には「(「両者を評価する立場」という「上」の位地に自分を置くことで)お手軽に優越感を得たい」というような心理的欲求があるのかもしれない。


相手に疑問をぶつけながら相手の知識に対する敬意が無いことや、自分で調べて知識を得ようという姿勢に乏しいことについては以下のように考えられる。

  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので相手の知識に対する敬意が無い。
    • あるいは、相手の知識に敬意を持っては優越感を満たしがたいので、「つまらないこと」と認識することで相手の知識に敬意を持たない。
  • 論争の対象になっていることを「つまらないこと」と認識しているので、その知識を得るためにコストを払う意欲が無い。
    • あるいは、知識を得るためにコストを払う意欲が無いゆえに、「つまらないこと」と認識することで知識を得るためにコストを払わない自分を正当化

というようなことを情報弱者な「普通の人々」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかを読み直して思いました。

知識があれば史実派(肯定派)と否定派のどちらが正しいかは一目瞭然で、それに対して「中立」なんていうのは賢明であることではなく只の無定見の表明に過ぎないんですけどね。

2007-12-24

[][]望まない実名の公開は、人が仮名に求めるものを踏みにじる行為

名乗りへの権利 - 恐妻家の献立表blog

t-hirosakaさんのこの記事は、人がペンネームやハンドルネームといった仮名に求めるもの(あるいは託すもの)が様々であることを示す、非常に示唆に富んでいる記事と思いました。

人が仮名に求めるもの

人が仮名に求めるものは「暮らしの安全」だけではありません。

仮名ゆえのしがらみのない気さくな付き合いとか、自らの肩書きの「影響力」から離れて気楽に表現を行える環境とか、本業と副業との責任の分散とか色々あります。

本人が望まないのに実名を明かすということは、人が仮名に求めるそういうものを破壊する行為です。

ゆえに仮に実名を明かしても「暮らしの安全」が保たれるとしても、実名を明かすことには問題があるわけです。

本人の望まない実名に関する情報の公開の一番駄目なところは、人が仮名に求めるものを踏みにじる行為であることであって、「暮らしの安全」は人が仮名に求めるものの一部に過ぎません。

よって、言論での争いは言論自体でケリをつけるべし - 模型とかキャラ弁とか歴史とかの「暮らしの安全を願う人々が論争相手のプライバシー情報を漏らすような人を批判・非難するのは妥当な判断というものでしょう」という記述は不適切であり、「人が仮名に求めるものを大切に思う人々が、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすような人を批判・非難するのは妥当な判断というものでしょう」とした方が適切ということになります。

個人的感情

その気になれば身元をたどれるような情報を本人が公開していたことをもって、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすことを免罪しようとするかのような言葉を私は不快に思います。

「性犯罪被害者にも隙があった」的な言葉と共通する醜悪さを感じるからです。

他の論点について

  • 仮名でありながら、自らの「影響力」を上げるための「権威」として使える個人情報を公開することの正当性
  • 知名度の「影響力」による実名公開のメリット・デメリット

これらについて論争するのは良いと思いますが、そういう面で相手の行動が気に入らないからといって、仮名でいることを望む相手の実名に関する情報を漏らすのは只の暴力と思います。

2007-11-28

[]「集団自決」に対する情報提供

「集団自決」のキーワードの編集 2 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!にオラも微力ながら協力するだ。

また玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降した

これは慶良間列島のケースと思います。

参考になるかどうかは分かりませんが手持ちの資料からスキャン。

当時の慶良間列島には、約三〇〇〇人の民間人が生活していたが、彼らが軍の陣地へと避難することは許されず、行き場を失った彼らには自決用の手榴弾のみが支給された。

慶良間列島でニ番目に大きな面積を持つ座間味島では、島の有力者から「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人と子供は忠魂碑前に集合ののち、全員玉砕せよ」との通達が出され、生存の望みを絶たれた島民は、それぞれの隠れ場所で家族と共に命を絶った。手榴弾のない者は、鎌や剃刀、包丁などで肉親を殺すことを余儀なくされ、渡嘉敷島で三二九人、座問昧島で一七一人、慶留間島で五三人の計五五三人が集団自決で絶命した。

こうした老人や子供への自決の強要は、長期戦を想定した防衛作戦の足手まといにならないようにという軍事的判断に基づく措置だった。だが、人員と兵器、補給物資の全ての面で圧倒的な劣勢に立つ日本車が、孤立した島を長期にわたって持ちこたえられるはずもなく、日本軍の慶良問守備隊の大半は、数日のうちに戦闘力を失って米軍へと投降した。

沖縄決戦―太平洋戦争最後の激戦と沖縄県民の戦い (〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ (49))P173より。

日本軍が守ろうとしていたものが「島民の命」ではないことが分かる話です。


14歳以下の子どもも多く死んでいる

これはおそらく戦後の厚生省の統計によるもの。

首里の防衛線を放棄した時点で、目本軍は約五万人の兵員を擁していたが、彼らが向かう先には既に二〇万人以上の民間人が各地の壕や自然洞窟で避難生活を送っており、軍の将兵が続々と到着するにつれて、壕と洞窟をめぐる紛糾が各地で頻発することとなった。

洞窟にたどりついた軍人は、防衛戦闘の継続を理由にそこからの退去を避難民に要求し、隠れ場所を失った人々は途方に暮れながら、砲弾が飛び交う危険な戦場をあてどなくさまよい歩くことを余儀なくされた。

また、軍人との洞窟内での共存を許された場合でも、一部の兵士は避難民の幼い子供の泣き声に神経質な反応を示し、その泣き声で米軍に所在を知られることを恐れて、幼児を自ら殺害したり、周囲の人間に殺させたりする事件が続発した。戦後の厚生省の統計によれば、壕や洞窟の軍への提供が原因で死亡した十四歳未満の死者は、一万人以上に上ったとされている。

同書P174より。

沖縄が危険な戦場になっている状況においての避難民に対する壕や洞窟からの退去要求は、日本軍の民間人に対する間接的殺害だと思います。「国体護持軍」だった日本軍の行動としては不思議なものではありませんが。

「壕や洞窟の軍への提供が原因で死亡した十四歳未満の死者」の人数は、ある意味、日本軍に殺された人数というものでしょう。

2007-10-27

[][]何に対して怒髪天状態になっているのか本気で読み取れないの?

性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察よりも、被害者でもなんでもない自分たちの関係のない溜飲をさげることを先んじてますよねあきらかに。まあ勝手ですがね。どんな思いを抱えて憤死しそうなのか知りませんが、米兵に集団で暴行された少女よりも先に癒されるべきという主張になりますよそれは。だってことさら現実の事件を取り上げる必要は絶対にないはずです。ネタの構造的にもね。

はてなグループ

どういう論理展開でそういう結論に達するのか飛躍が激しすぎでさっぱり分かりませんが、誤解があることは確かなようなので説明します。

どんな思いかといえばセカンドレイプに対する怒りです。

「朝の3時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」という言葉は明確に性犯罪被害者に落ち度があることを表明しています。続く言葉がどうであろうと、その意味は変わりません。

仮に相手のことを思っての言葉であったとしても、そういう無神経な言葉がどれだけ性犯罪被害者の心を傷つけるか。性犯罪被害者に感情移入してしまうからこそ、そういう無神経な言葉に対し怒りを感じるのです。

念のために説明しておきますが、そういう性犯罪被害者の落ち度を追求するような言動はセカンドレイプの一形態です。

「性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察」が欠けているのは「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」なんです。私はセカンドレイプに対して怒りを感じる人間であり、ゆえに、そういうセカンドレイプ発言に対して怒り、そういう発言で傷つけられる人の心を思い悲しみ、未だにそういう発言を行う人がいることに失望し、その人数がどうしようもなく多いことに落胆する、というようにやるせない思いにさせられるわけです。

「米兵に集団で暴行された少女」が癒されるべきなのは当然のこと。であればこそ性犯罪被害者に追い討ちするような言葉の暴力を批判・非難するのは当然のこと。風刺はその手段。そして、良くできた風刺は思いを共有する人々の溜飲を下げる効果も持つ。いいですか、あの風刺で馬鹿にされているのは性犯罪被害者ではなく、その性犯罪被害者をセカンドレイプしている「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」なんです。

「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」を風刺するのに「現実の事件を取り上げる必要は絶対にない」なんてことはありません。「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」は「現実の事件」と関連していることなのですから。

「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」が、自らが風刺されたことによる不快感から来る否定感情を正当化するために「性犯罪被害の当事者が見てどう思うかという考察」を持ち出したりしたら、それは構造的に絶対にないと言ってもいいでしょうけど。

集団暴行よりも深刻な傷を産経新聞に負わされたというのですか?一言だけアドバイスしましょう。なら読むなよ産経なんて。

これまた、どういう論理展開でそういう結論に達するのか飛躍が激しすぎでさっぱり分かりませんが、私からもアドバイスしましょう。貴方がそういう価値観の持ち主ならば、不快になるブログ記事なんて読むなよ。

私はそういう価値観の持ち主ではないので、不快に対して向き合い、それを解決する手段を模索する方を選びます。不快と向き合う勇気を持てない人々のためにも。


他者の怒りだのどうのに関しては、「『知事の発言は正論だ』とのたまう衆愚」に対しては、あの風刺記事を読んで不快になってもらっても構わないと思っています。特に、自分の不快感には敏感で、自分の言動が他者に与える不快感には鈍感な人々には。*1

地獄に落ちろ!呪われてしまえ!だが、俺は地獄も呪いも信じていないので、せめて現世で不快感に苦しみやがれ!という感じ。こういう表現は自分でもどうかと思いますが、機嫌の悪さを表現するには、それなりの文体というものがあると思います。


記事URLの「さよくのはじ」とかいうのは、まあ、それでマルコ氏の溜飲が下がるのであれば、勝手に言ってれば良いのではないでしょうか。

*1:私は、自分の言動が他者に与える不快感に敏感でありたいし、無自覚にではなく、積極的に効果的にそれを用いたいなんて思っている人。自分で自分を腹黒という理由の一つ。

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