2011-10-21
■言葉は成形された食パン
言葉というのは制限されている。
「赤」という言葉があるが、私が思う赤と他人が思う赤は違う。
しかし全て「赤」という言葉で統一される。
それが私には、焼きたてのパンを成形するためにパンの端を切るような感覚を覚える。
そして「切れ端」がもったいないなぁと思うのだ。
逆に言えば制限されているからこそコミュニケーションの道具として用いられるわけである。
言葉の意味や感覚が統一されなければ相手には伝わらない。
そんなことを考えると非常にもどかしくなる。
だからこそ歌だったり劇だったり絵画だったり・・・
色んな方法でその「切れ端」を余すことなく伝えようとしているのだ、とも思っている。
「切れ端」部分はしょうがないにして、私は成形された部分も不思議でしょうがない。
「犬」というのはあの動物である。
なぜ今あなたは「あの動物」を想像したのだろう。
「犬」が「いぬ」と書き「イヌ」と発音し、「あの動物」を想像させる。
その統一はどうやって成されたのだろうか?
先人が皆で集まって「この動物はイヌな!」と決めたのだろうか。
しかしブルドッグとチワワはどう見ても同じ「犬」には見えない。
生物学的には多分「イヌ科○○」とかそういうのがあるのだろう。
しかしそこでもその疑念は晴れない。
なぜあの動物が「イヌ」なのだろう。
そんな疑問に科学は答えてくれない。
まだまだ書きたいことはあるが、眠くなってきたのでこの辺で。
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