「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」のシンポジウム

概要まとめ記事 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20061213/256601/ 動画からの発言内容起こし(よい仕事!) http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20061217 参加者の声 http://d.hatena.ne.jp/assa/20061211 http://d.hatena.ne.jp/taninen/20061211 太宰治関連の事実関係についてのつっこみ http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20061212 しかし…賛成側が小説家と(元?)漫画家っていうのはしょうがないのかな。オーソリティーがある方がいいような気がするんだけれど。 http://thinkcopyright.org/comment/bbs.cgi#n4 うむうむ。 そして著作権永続化論をはじめて見る。1つはよく分からないけれど。 http://bewaad.com/20061217.html#p01 http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20061215/1166162109 何か知らないけれど今日は久しぶりにネットでいっぱい読んだなぁ…。

自殺するユートピア

グレッグ イーガンの小説ディアスポラではある種のユートピアとも呼べる遠未来社会が描かれている。そこでは全ての自我を持った個人はコンピューター内部のソフトウェアの形で存在し、特定の物理身体に依存せず生きている。この仮想現実世界の中では身体に依存する病気も無く、事故による怪我もなく、特に設定された寿命もなく、また他人によって殺傷されることもない。コンピューターのハードウェアは頑健で、外的要因による仮想世界全体の破滅は極めて稀である。従ってほとんどの住人は自殺によって死亡する。ほぼ<自殺率>*1100%である。

というわけで、この遠未来社会へどの程度近づいた社会であるかどうかの指標として<自殺率>が考えられる。<自殺率>が高ければ高いほどこの社会に近いといえるのではないか。というか、現在の社会は<自殺率>の向上を目指して変化しているのではないか。

しかし一方で、物語内で描かれる自殺のあり様は、ある意味では現代においての"描かれ方"と変わらない。辛い体験、希望の消尽、孤独。重力や毒物に代わりソフトウェアがその用を成すというのはあるけれども、自分で自分を破壊するのに勢いを付けるのものが必要なのも変わらない。

やがて来る遠未来社会がそのようであるとして、寿命が伸び、環境が変わり、生き様が変わり、しかし自殺のあり様は変わらない、そして死の中で自殺が最も大きな意味を占める社会の中で生きていく"感じ"というのは、どんなものであるのだろか。死の中から殊更自殺を取り上げなくとも、死といえば自殺のことである社会の"感じ"というのは。もちろん、死自体がほとんど駆逐された社会の思考実験というのがむしろ本筋ではあるのであろうけれど。

*1:つってもこれ所謂自殺率じゃないのか…なんていう語を使えばいいのかわからない。これかな、死因別死亡割合?