2012-01-22
ハンナ・アレント『政治の約束』序文・第一章
- 作者: ハンナアレント,ジェロームコーン,Hannah Arendt,Jerome Kohn,高橋勇夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/01
- メディア: 単行本
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序文
政治的活動の meaning 意味が持続されるのは活動が続いている間に限られるのだが、それは詩人によって再現されたり、ときには審判者によって再現されることもある。その end 目的は、活動が終了したときに初めて明らかになる。そしてその goal 目標は活動を方向付け、それが判断されるための標準を定める。…(中略)…政治的に言えば、人間の自発性が意味するのは、私たちは活動しているときには活動の end 目的=終わりを知らないということであり、もし知っているとするなら私たちは自由ではないということなのだ。
芸術作品が人に触れられているときだけ芸術として生を享けるのに似ている。
破壊的暴力はすべて反‐政治的である。
世界を、政治の空間を破壊する暴力に対する批判。この主張を平和主義、非戦主義と安直に結び付けるべきではない。ギリシャのポリスとて、内部の政治空間を守るために城壁があった。防衛のための戦いは、自由市民の大切な役割だった。
第一章 ソクラテス
ソクラテスは、市民一人ひとりが自らの真理を産み出すのに手を貸して、都市をもっと真実に溢れたもの(truthful)にしたかったのである。
プラトンとの違いは決定的である。すなわちソクラテスは、市民を教育したいと思うよりは、むしろ市民のドクサを改良したいと思ったのである。なぜならドクサは、彼自身も参加している政治的生活を構成するものだったから。ソクラテスにとって、助産術は政治的活動力であり、ギヴ・アンド・テイクであり、根本的に、徹底的な対等性に基づくものであった。
この種の対話、すなわち有意味であるために結論を必要としない対話は、友人関係に最もふさわしいものであり、友人同士でよく交わされているものである。…(中略)…すなわち、政治的に言って、ソクラテスがやろうとしていたのはアテナイ市民を友人に仕立て上げることだったのである。
多様性に基づドクサを理解し、対話し、コミュニケートすることで、この世界の公共性を明らかにする。
ソクラテスの依拠するドクサ=意見と、プラトンの依拠するイデア=真理の対比。
「独りでいて自分自身と意見が合わないよりは、全世界と意見が合わないほうがましである」
自分自身の内にも複数性はある。人殺しをすれば、自分自身の内なる人殺しと共生しなければいけなくなる。人殺しがいけないのは、あなたは人殺しと共生できないからである。
ただし自己の内なる対話相手は、外の他者のような明確な輪郭をとらず、むしろふらふらしたものである。だから他者との関わりにおいてしか、私たちは一つの統合された自己になれない。
孤独と他者の両方が必要とされる所以。
ソクラテスによるドクサの破壊
真理を求めればドクサは粉砕され、あとには何も残らない。
ドクサを形成することと驚愕すること(※言葉にならない驚きという単独の経験に身をゆだね、哲学に踏み出すこと)はまったく正反対の事柄なので、ドクサは真理と正反対のものになりうる
単数の真理を求める哲学的態度と、ドクサを持とうとする政治的態度はうまく合致しない。哲学者は自己の内なる複数性を抹殺する。
真の政治哲学に到達する日を夢見るなら、彼らは人間の複数性を驚愕の対象にする必要があるだろう。