すべての謎にエロがある@得意な科目は家庭科

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人々は非情だなと僕は思った。
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2014-08-05

[]トムは真夜中の庭で

思い出のマーニーの源流の一つとして読んだ。時を越えた交流という形式は共通している両作だが、描かれているテーマは若干異なる。


原作マーニー場合思春期少女孤立マーニーとの出会い)、その解消(リンゼイ一家との交流)、そして自己確立マーニーの再発見)という複雑なプロセスを踏みつつ、アンナマーニーの双方の家族が許されるという物語であり、時間を越えることそのものにはあまり主眼が置かれていない。

それに対してトムの場合時間とは何であるかという抽象的な問いが、作品の中心的なテーマとして掲げられる。子供にも理解できるよう、テーマは噛み砕かれ平易に描かれてはいるものの、その問いが単に知識で片付くようなものではなく、人生全体を貫く普遍的な問いであるということからは逸れない。それ故に、子供騙しではない深みのある物語になっている。

マーニー場合思春期特有孤立感の経験(またはその経験を思い出すこと)、もしくはそのような子供を持ったことが読解の大前提となる。子供の側から視点絶対的必要なのだ。

しかしトムの場合は、マーニーよりも年少の子供対象とした内容ながら、上述したような理由により、かつて子供だった大人の視点から楽しむことが出来る物語になっている。



うーん、こうしてみると、マーニーよりトムの方が幅広い層に訴えかけるには向いていたんじゃなかろうか。まあ、トムの場合映像化したときマーニー以上に地味になるだろうという大きな欠点がある(宮崎駿ならどうにかしてしまいそうだが……)ので、致し方ないかなあとも思うが。

2014-08-04

[]リアリティのダンス 監督ホドロフスキー

人間、歳を取ると人生のセラピーとか癒しとか言い始めてしまもので、ホドロフスキー例外ではなかったんだけど、それでどうしてこんなキッチュものが出来上がってしまうのか。

いや、極めてパーソナルな物語であることも分かるし、この物語監督のセラピーになるのも分かるし、他人から見ても物語意味は分かる。分かるんだが、展開とビジュアルが極端すぎる。いきなりの大津波で大量の魚が打ち上げられる非現実的な光景だったり、ママンが父さんを治癒するために放尿したり(しかもそれを股間にボカシが入るくらい真正からガッツリ映す)、ショッキングな映像唐突にやってくる。色合いも、どうやらあとからCG修正してこうなってるらしいんだが、まあひどくケバケバしい。


この放尿ママンは放尿以外も奇行が目立ち、全裸で酒場に乗り込んだり(気付かれなければ問題ないという謎の理論)、闇を怖がる息子を靴墨で真っ黒に染め上げてみたり、喋るときは全部オペラだったり、そもそも冒頭でお前はもう息子でもなんでもないと言い放ってたり(そういやここに対する和解は一切なかった)、母性あふれる女性のような第一印象とかけ離れた、とかくインパクトが強い行動ばかりしてくれる。


ホドロフスキーの親父も強権的で極端なヤツなのだが、そのキャラクターよりも彼自身物語が滅茶苦茶過ぎる。さすがにイバニェス暗殺しに行ったり記憶喪失になるようなくだりは全部創作だろう。最初ホドロフスキー本人の方が主人公だと思ってたから、どんどん親父の精神面へと焦点が絞られていく展開は全然予想できなくて、鑑賞が終わった今となっては何故親父に焦点が移るのか分かるので納得できるのだが、この物語は一体何処へ行ってしまうんだという鑑賞中のハラハラ感は、ちょっと普通映画では味わえない感覚だろう。


あと船で去るラストシーン、なんか変なガイコツの衣装着た奴がしれっと居るけど、あれなんなんだよ。紆余曲折はあったけどとりあえず決着がついて、よしさあ終わろうってところで、何故か唐突に居る。いや、えーと、あなたどちらさま? という場違い感が半端ではない。なんの引っかかりもなく終わらせてくれないんだな、ホドロフスキーは。



そんなひたすらカルト映像ながら、ホドロフスキーの豊かな感性精神性、そしてまともなメッセージがきちんと伝わってくる。そう丸め込まれているだけのような気もしないでもないが。



あーあと、チリの軍事独裁政権下って宣伝してたんで、てっきりピノチェトの話なのかと思ってた。イバニェスか。

2014-08-03

[]怪物はささやく パトリック・ネス, シヴォーン・ダウド

唸らされた。ラスト主人公真実を語る姿、その矛盾こそがまさに人間であるという主張に共感する。

読者の期待と想像を膨らませつつ上手く収束させていく、よく練られた構成にも感心しきり。映画化されるのも分かるわ。


ウェストール「かかし」が似た作品なので簡単に比較してみるが、

この本で描かれる怪物というのは至極真っ当な存在であるので

少年ならではの孤立や割り切れない心の描写は、ウェストール「かかし」の方が上。

つまずいたまま二度と立ち上がれないかもしれないという恐怖の描写ホラーとしても「かかし」の方が上。

だが、試練を乗り越える過程描写の丁寧さは、さすがに本作の方が上だろう。その分、ちょっと教育的過ぎるのが鼻につくかもしれないが。


あと装丁と挿絵が雰囲気出てて良い。電子出版だとこういうのってどうなるんだろ?

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