Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

泣きっ面にガンダム


 正月休みに段ボール箱に入れて押入れに放り込んだままになっていた古い写真を整理した。すっかり色褪せ、セピア調になってしまったもの、縁の白い部分がビーチで僕に熱い視線を飛ばしてきたギャルの焼けた肌を想わせる小麦色に染まりはじめているもの、すべて、僕の家族の記録。一枚一枚取り出し、年代ごとにアルバムにいれていくうちにあることに気付いた。僕と弟、そして両親、四人で撮ったスナップが見当たらないのだ。


 最後の一枚をアルバムに滑り込ませたあと、ちょうど洗濯物を干しに母がやってきたので僕は訊ねてみた。「四人で撮った写真が一枚もないんだけど?」ベランダで洗濯物を干しながら母は「お父さんは撮るほうが好きだったからね。写真のなかで皆笑ってるでしょ。お父さんの姿は写ってないけど、写真のなかにいるのと一緒なんだよ。一緒に笑っているの」と言って誰も見たがらないベージュのおばちゃんパンツを一番人目につきやすいところに引っかけると、部屋を出て、物音を少し立ててから戻ってきて僕に一枚の写真を手渡した。


 古い写真だった。1981年冬。お揃いのちっこいカーキ色のダウンパーカーを着て並んだ僕と弟の後ろに、若い父と母が立っている写真だった。「お父さんの葬儀のあとで家族四人で写っている写真を探してみたらこれ一枚しかなかったよ。お父さんらしいよね」と母は言った。「父さん何やってんだよー」「やること極端すぎー」「らしいなー」なんて思っていると母は「あんたは忘れっぽいからこれからもしつこく言うけど、わたしが死んだらこの写真だけは一緒にお墓に入れてほしい」なんて真面目な顔をして言うので、僕は言葉を失う。


 言わなきゃいけない言葉は絶対にあった。あれこれと理屈で考え、戸惑っているうちに、手の指と指のあいだをするっと抜けてしまっていて、通り過ぎてしまったあとでは輪郭の擦れた背がみえるだけ。顔が思い出せない言葉たち。そうだ、僕はいつも適当な言葉を失ってしまっている。そして僕は「まかせておけよ。ちゃんと一緒に火葬してやるから」なんてしょうもないことを口にしてしまう。


 すると母は、まああんたには期待してないから忘れてもなんとも思わないけど、と失敬な前置きをしてから「もしあんたが私より先に死ぬようなことがあったら罰としてあんたの大事なガンダムのプラモデルと一緒に火葬場に放り込んでやるよ。プラスチックが燃えるときの煙は黒くて臭いよねえ」と憎らしいことを言った。一瞬、ううと泣きそうになる。


 あぁそうすれば僕も憧れのガンダムになれるのか、なんて馬鹿なやりとりのなかに一筋の光を見い出すとあの有名なフレーズが浮かんできた。燃え上がれー燃え上がれー燃え上がれーガンダムー…やはり違う。そんな線香くさいガンダムは嫌だなと僕は思い直す。それから僕は、母にガンダムを燃やさせては駄目だ、母の歴史の最終ページを僕は見届けなければいけない、そう強く思った。


 決意新たにした僕の前で母は「しかしこんなもののなにが面白いのかねえ」と僕の部屋に並ぶガンプラの隊列から白いやつを取り上げ、目の高さにまで持ち上げると、八百屋で少しでもナイスなキャベツを選ぼうとするときの顔をした。その手の先にある白いものを見て僕は「男にしかわからないんだよ」としか言えなかった。僕はやはり言うべき言葉を見つけられなかった。こういうしょうもないやり取りを父はファインダー越しに笑いながら覗いていたのだろう。案外今も仏壇の裏くらいから覗いているかもしれない。馬鹿だなって笑いながら。そして母の手が握っていたものはガンダムではなかった。白い悪魔オナホール、TENGA。未使用だったことがせめてもの救いだ。