Devil’s Own −残骸Calling2− このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-08-16

『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八)

"They Say Kirishima Quits His Club Activity"2012/JP

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 「あんなん高校生が楽器吹いてるだけっしょ」

 高校文化部の連載を書いている私にバリバリ事件報道してる硬派なデスクがこういった。悔しかったね。そんな人たちを説得できる記事を書けなかったことも、すぐに言い返せなかったことも、悔しくて惨めで、今まで仕事で悩んだことなかったけど、その日だけはひとり非常階段で、泣いた。ちくしょうっておもった。オリンピックだってただ走る、ただ泳ぐ選手の姿が感動的なんじゃないのか。ただ奏でること、ただ描くこと、ただ撮ること、何のちがいもないじゃないか。

 『桐島、部活やめるってよ』という映画が存在してくれて本当によかった。この映画に私がどれほど救われたことか。この映画に救われる高校生が日本にどれだけいるだろう。平凡な地方都市の進学校で、別にそれほど頭がいいわけでもない。スポーツもできない。恋人もいない。不良でもない。趣味はあるけど、だからってそれを仕事にして食っていける見込みも自信もない。だから子どものときのような無邪気な夢もない。誰にも共感してもらえないくらい孤独で、でも確実にたくさんいる。そんな高校生たちへ捧げられた映画ではないか。日本の『ブレックファスト・クラブ』といっていいとおもう。

 スクールカーストの頂点に立つ「桐島」のうわさに振り回される高校生を描いた群像劇。『エレファント』(ガス・ヴァン・サント)との類似が指摘されている第1幕では、桐島の彼女や親友などのビューティフルピープルを始め、桐島と同じバレー部の面々、そして直接は桐島の影響下にいない映画部や吹奏楽部の生徒たちの日常を反復しながら、彼らをとりまく学校社会の力学を活写していく。どのキャラクターもわりと類型的ではあるが、なにげない表情、ふるまい、会話の豊かさで「そこにいる」としか言いようのないリアリティーを獲得している。神木隆之介ら若手俳優たちのアンサンブルはおそらく現時点の日本映画における最高クラスだろう。すべてのキャラクターが生き生きしていて、私もつい高校時代の友人たちを思い出したりした。この映画だと私は誰に近いんだろうかとも考えたが、案外誰でもないなって思いましたね。美術部員のナードではありましたが本当にからかわれてたのは物理部だったしな。しかし恋愛弱者ではあったので学校外のショッピングモールでばったり女子と会ったときにむだにテンション上がる感じとかはけっこう共感したよ。

 誤解を恐れずに断言してしまうとこの映画ははっきりと人を選ぶとおもう。わからないやつには絶対にわからない。わかってたまるかとすら思ってしまう。ざまみろってね。しかし、この映画は単に自閉的な文化部賛歌というわけでは決してない。やつらと私たちをつなぐわずかな希望が、美しい夕日の中で展開する前田(神木)と宏樹(東出昌大)のやりとりだろう。「できるやつには何でもできるし、できないやつには何にもできない」。そんなことを言っていた宏樹が、不意に自分の空虚さに気がついてしまう。自分の価値を裏付けてくれた「桐島」に電話をかけながら野球部の練習を見つめるラストショットには胸を打たれる。

8ミリカメラの向こう側に大好きなゾンビ映画が確かに見えたときの興奮(その後、神木が映画への思いを照れくさそうに吐露する場面は本作の白眉だ)も、吹奏楽部の演奏がほんらいの実力すら超えていくときの高揚感も、わからないやつにはわかるまい。誰かにとっては意味も価値もない。ばかにするやつもいる。でもだからこそ、胸の高鳴りは誰にも奪い去ることができない。閃光のように通り過ぎる思春期の痛みと輝きをとらえた掛け値なしの傑作です。

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