TOO DRUNK TO FUCK「ザ・マスター」


「12時間働いてもまだ眠れない。クソ。こうやって毎日は続き、そして終わりがない」
ベトナム帰りの元海兵隊のトラヴィス・ビックルは、戦争による後遺症からくる不眠の日々を、日記に綴ることでなんとかやり過ごしていた。いや、結果として、最後には大爆発してしまうことは、「タクシー・ドライバー」をご覧になった多くの方々は既にご存知のことかと思う。
ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)の新作「ザ・マスター」は第二次大戦の帰還兵にして戦争後遺症を患った男が、自覚のない地獄巡りをする話である。その道程で主人公:フレディ(ホアキン・フェニックス)は、新興宗教の教祖:ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会い、お互いの欠落する部分を補完しあうような師弟関係を築いていく。

トラヴィスは「日記」というメディアを通じて「自己表現」をして、ベトナム戦争の後遺症を患いながら深夜勤務のタクシー運転手という仕事でなんとかやり過ごしていた……つもりが暴発して、しかしどういうわけだか英雄に祭り上げられ、挙句の果てには「全然直ってませんよ(ギロッ)」という世にも恐ろしい終わりの始まりを提示しているのが「タクシー・ドライバー」という作品である。
対する本作「ザ・マスター」では、そうした「精神疾患」に関する情報も乏しく、自己表現のなんたるかもよくわからない人々が大勢を占めていたあろう、戦後間もない1950年という時代に、二次大戦で負った心の傷も癒えぬまま社会に放り出された一人の男が、どのようにそのズタボロになってしまった心身を修復していくか。併せて、出兵前に想いを寄せていたが戦争のゴタゴタで疎遠になってしまった女のことを如何に忘れていくか。PTAは、ホアキン・フェニックスという俳優の身体を酷使して、その過程を白日の下に晒していく。

とはいえ、「ザ・マスター」は決して上記の内容を親切丁寧に教えてくれる映画ではない。フレディという男が戦地でどのような地獄を目撃したかは語られないし、彼が健全な精神と肉体を取り戻すまでの物語とすれば、あまりも起伏に乏しい作りとなっている。
フレディは持ち前の知識を利用して、密造酒のようなオリジナルなカクテルを振る舞い、その偽りの「美酒」にドッドは魅了されてしまう。おそらくは、勘や目分量、その場の思いつきで何でもブレンドして適当に出来上がったそのカクテルを、フレディは「同じものは二度と作れない」という。ドッドは「是非また作ってれ」とフレディにせがむ。ドッドがフレディに対して行う「セッション」も、自分自身で「作家であり医師であり物理学者であり哲学者でもある」とうそぶく彼の、おそらくは適当に解釈した似非セラピーである。この二人は、正規のものではない、偽りで、独自の治療法によってお互いを補完するのである。そして最終的には、いかにしてその関係から抜け出すか、あるいは留まろうとするのかが描かれる。
PTAは1950年代のアメリカを「国全体が酔っ払っていたような状態だった」と形容する。国民の3分の1が郊外住宅者となり、爆発的な勢いで均質化が進んでいったその時代に、違和感を抱くもその表明はできず、かといって己を殺して馴染めず、しかしその持ち前のタフさで辛うじて滅びることなく生き残ることに成功した一人の男の記録として、「ザ・マスター」は鈍い光を放ち続けるであろう。


■関連エントリ




PTAが「ザ・マスター」を撮る際に参考にしたという、ジョン・ヒューストンが監督した戦争後遺症のドキュメント。

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