(`;ω;´)

  『友達の詩』
歌:中村中
作詞:中村中
作曲:中村中

触れるまでもなく先の事が
見えてしまうなんて
そんなつまらない恋を
随分続けて来たね
胸の痛み 直さないで
別の傷で隠すけど
簡単にばれてしまう
どこからか流れてしまう
手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人は友達くらいでいい
寄り掛からなけりゃ側に居れたの?
気にしていなければ
離れたけれど今更…
無理だと気付く
笑われて馬鹿にされて
それでも憎めないなんて
自分だけ責めるなんて
いつまでも 情けないね

手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来


忘れた頃に もう一度会えたら
仲良くしてね
手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人が見えていれば上出来
手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人は友達くらいでいい
友達くらいが丁度 いい
(´;ω;`)





とある片麻痺治療家の
blogより転載

これも、毎回毎回言ってますけど
開業して3年
いよいよ、もう、ハッキリと確実に
間違いなく
全ての片麻痺の人達において

歩けば歩くだけ

片麻痺の根本再生からは
遠ざかる事が明らかになりました。

もう、間違いなくです。

でも、人は歩くのです。
僕の担当しているクライアントさんで
歩いている方は
「歩かなければ、メンタル的に別の問題が出てくる」

つまり、歩きたくて仕方ないから。
歩くのを止めると、イライラする、周りと揉める。生活リズムが崩れる。
そこまでして、止めても無意味ですからね。

てか、そこまでの権限もないですし。

または

「歩く事で、どれくらい麻痺が進行するか検証している」
歩く事で、感覚がどんどん麻痺している事を、自らの身体で体感しないと、分からないですからね。
人間は。

僕らが正常化で感覚を戻して、歩いて失う。

これを、繰り返すしか分からないですからね。

この2つの理由しかありません。
僕は、毎回、止めています。

でも、

確かに、生活する、生きるためには、排泄、食卓まで移動など、動かなければならない、立たなければならないです。

もちろん、座りっぱなし、寝っぱなしも、褥瘡などになるリスクもある、内臓が動かないなどのリスクもある。
だから、それを解消するためだけに

立ち、
歩き、
その時こそ、リハビリだと思って、一回一回の移動を大事にする。

そうやって、毎回助言しています。

さて、

「歩かなければ、メンタル的に落ちていく方」は
止めても問題ですから、
しかも、僕らは助言しか出来ませんので
片麻痺の根本再生がどんどん遅れる事になっても

「歩くな」なんて

言えないのです。

自費治療家ですから。
医師の指示もないですし、
「歩くな、歩くと麻痺がどんどん強うなる」なんて
言ってしまうと、
医師会とは真逆のアドバイスなので、
最悪のケースは訴訟になりますからね。
「歩くなとは何事だ!」と
病院に行けば、間違いなく言われちゃう事ですから。
辛い立場です。

歩けば歩くだけ、麻痺が治らなくなる事を知っておきながら
自費治療家としては、助言程度しか言えないのです。

だから、

「歩くことで、どれだけ麻痺が進行するか、試してください。そして、その隙に歩きたい欲を解消してください。」

そうやって、助言するしかないのです。
あとは、歩く事を
クライアントさん自らが
気付いてくれることを
待つしかないのです。
開業して3年経っても
それを、待つのは辛いものです。

死地に向かう人を
ただ、助言しか出来ないのは、いつ見ても胸が痛くなります。

とにかく早く

気付いて欲しい。

願うばかりです。

以上