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2006-03-13

ググれ文化圏と教えて文化圏

モヒカンはmixiでもモヒカンだった - アソコがモヒカン族 - モヒカン族経由でmixiの「ググれ」コミュに於ける「ググれと一蹴するのは横暴な気がするのですが」トピックを読む。機種依存字で項番号を振るトピック作成者に対し、わざわざ項目に曜日を振って*1答える行為自体が「ググれ」と同じで無自覚な行為に対し注意を喚起する意図があるのだろう。


ここでの議論は平行線を辿っている*2ようだが、すこしばかり「どちらが合理的か」考えてみたい。


ググれ派の主張は大まかに言って(多分)以下のようなものだ。

  • 自己学習の上での質問ならば答えるが、そうでなければまず学習方法を学ばせる必要がある
  • 学習習慣の無いものに答えだけ教えると、頼り切りになって宜しくない
  • 学習を啓蒙することで「教えて」の割合を減らし、できれば彼ら自身教える立場になって欲しい

これをして「魚をくれというものに釣り竿の効果を啓蒙する」と表現しておられる方も。釣った魚を分けてやるのは簡単だが毎回そうせねばならなくなるのは困るし、自分で任意に魚を得られるようにする方が双方にとって幸福だと考える。非常に合理的だ。


大して反ググれ派(というより「教えて派」か)は、

  • 面倒は要らない。手軽に答えだけ欲しい
  • 罵倒されているようで不愉快
  • 教えてくれても損はない筈だ

要約の仕方が悪いのかも知れないが、なんというか自己中心的な感情論に思える。魚の喩えで言えば「自分で釣るのは面倒だから毎日貰いに行く」感じか。そういう人が増えると、そのうち魚の供給が消費に追いつかなくなる。


ググれ派の物言いには確かに刺が含まれることがあるだろう。それは多分に「教えて君が決して成長しない」という経験則に基づく苛立ちに起因するものだ。だから彼らは学習の意志を見せぬものに厳しく当たるが、意志のあるものには導き手となり、適切にヒントを呉れる筈だ。

彼らの言動に突き放されたと感じるのであれば、それはあなたがまだその階層に立つには早過ぎたからだろう。もっと下の世界で己を磨いてから再び挑まねばならない。


というようなことを書いていて思いついたことがあるので次エントリに書く。

幼い頃、両親に何か尋ねると「辞書を引くように」と言われた覚えがある。調べれば答えは載っているのだから手間を押し付けるなという意味でもあろうし、なんでも自分で調べる癖を付けろという意味でもあろう。そうしてみると「ググれ」は表現形式を変えただけで昔から行なわれてきたことなのであり、それが最近になって反発を受けるようになったのは教える範囲・聞く範囲共に広域化したことの現れということか。つまり自己学習という習慣を持って育てられていない層が教えを乞いに来た時、学習を前提として育った層と「文化的に」衝突するのだ。ああ、やっと文化圏の話が出て来た(笑)。

階層的知識コミュニティ

教えて君」問題は知識ベースのコミュニティに特有の問題と言える。広い範囲ではコミュニティとは知識ベースのものであるから全てのコミュニティで同様の問題が発生しようが、知識を主体としないコミュニティではその発生率は低くあまり問題にならない。対して技術系コミュニティなどでは必ずと言っていいほどこの問題で荒れる。


教えて君が問題視されるのは、コミュニティ内の知識レヴェルに大きな差があるからではないだろうか。何かの知識体系について知りたい人が皆そこへ集うが、各々の知識レヴェルは0(調べる方法すら解らない)から99(解説書を書く側)まで様々である。赤児に言葉の説明ができないように、既に知ってしまっているものが何も知らないものに合わせて解説するのは難しい(喩えほどに困難ではないにしても)。

一般に、学習というのは少し上を見てこそ最大限の効果が得られる。山の麓に立って頂上を仰いでも果てしない道のりに絶望するだけだが、「取り敢えず1合上」であればなんとかなるような気がするものだ。また、数段上の相手と試合を行なってもただ叩きのめされて自らの無力さを思い知るだけだが、少し格上の相手ならば負けるにせよ得られるものは大きい。

同様に、技術知識についても「自分より少し詳しい」相手に教わるのが最も効果的というものだろう。


という論を前提として知識共有コミュニティの形を考えるに、何らかの形で知識レヴェルに応じた「輪切り」を行なう必要があるのではないだろうか。以前書いた例ではコミュニティの「見かけ上の」規模を抑えるシステムとして全体を知覚できないコミュニティのシステムを提唱したが、今回はそれをレヴェルを揃えるために行なう。どちらかというとゲームなどの話として書いたことと近い。

例えば、質問をポストしたユーザーに「質問」ポイントが、それに答えたユーザーに「回答」ポイントがつくものとする。また、回答のそれぞれに「参考になった」ボタンか何かが付けられ、それをクリックしたユーザーに「参考」ポイント、回答を投稿したユーザーに「秀逸」ポイントがつく。そして質問/参考を-、回答/秀逸を+として加算し、それらの重み付けによりユーザーをランキングすることで、自分のランクの上下一定幅ユーザーとしか交流できないような仕掛けを作る。

ユーザーAが質問をポストしたとき、それを閲覧できるのは少し上のランクにいるBと少し下にいるCだけであるとする。現在のランクから来る閲覧制限やその後のランク変動に関わらず、自分が一度でもコメントしたスレッドは全て閲覧できるものとする。ランク制限上、BからはCが、CからはBが互いに見えないが、質問A1への書き込みに関してはその制限外にあるため全て読むことができる。

下のランクにいるユーザーが現在のランクでは解決不能なほど高度な質問を発した場合、質問をリレーすることでより上位のユーザーからの回答を期待できる。具体的には、ユーザーAの質問A1を上位ランクのユーザーBがA2として再ポスト、更に上のユーザーDから回答を貰うといった流れになる。この場合「質問」ポイントがユーザーAからBに移り、Aは自動的に「参考」ポイントが振られる。


まだ細かいところまで詰めたわけではないが、このような感じで水平分割すると教えて君問題を抑止できるのではないだろうか。というか最下層が教えて君の溜まり場になって酷いことになりそうな気もするのだが、その分向上心のある人が上を目指し易くもある、ということで。

信者というレッテル

「○○が言ってた(から、確からしい/疑わしい)」という判断に意味はない。どんな人でも間違うことはあるし、また正鵠を射ることもあろう。一つ一つの言動について個別に判断されるべきであって、それを発した人物についての情報は精々がところ傍証に過ぎない。

同様に、信者であるか/あったかどうかの情報がその人の発言の価値に影響する謂れはない。仮に(過去にそうであったと報じられたように)情報操作を目的として発信していた節があるにしても、それは情報ごとに判断されべきものであって全ての情報を疑う根拠とはならないし、仮令情報操作目的のものであったとしても虚偽の情報でない限りは(或いは虚偽であったという事実さえも)情報としての意味を失うものではない。

私は宗教全般に対してかなり否定的ではあるのだが、それは自分または自分に近しい人物への勧誘その他の宗教的アプローチに対する態度であって、他人の信仰まで否定する気はない。それがどのような性質のものであろうとも。


わざわざ明記するほどのものでもあるまいが、どうも否定的見解が多いようであるのが気にかかったので。

医薬品の個人売買

最近、「医薬品高価買取」などの広告を幾つか見かけて疑問に思ったのだが、これは果たして合法な商売なのだろうか?医薬品の販売は薬事法あたりで制限されるのではないかと思うのだが。

薬事法では29条あたりから販売に関する規定があるのだが、これを見た限りでは「業として」の販売について認可制との制限が挙げられているのみで、個人が売ったり、或いは免許のない業者であっても買うだけなら違法ではないようにも受け取れる。

しかし医薬品は必ずしも気軽に第三者に渡して良い類のものばかりではない。処方がないと買えないものの中には向精神剤など厳密に管理されるべきものだってある筈で、それが個人から買い取られているという事自体に何かしら不穏なものを感じてしまう。

「医薬品 買取」で検索して見つけた高価買取リストにあったのは抗生物質や降圧剤など、処方無く流通することはない類の薬ばかりのようだ。これらを個人から買い取るメリットは何だろうか?

例えば(一般的な流通網のシステムに従うならば)製造元が市価の2割程度で製造したものを、卸問屋は末端価格の4割程度で仕入れ、7割程度で小売業者に販売する。しかし保険制度の関係で、消費者が支払うのは3割。

正規ルートでは定価の4割で仕入れている薬品を、2割で買い戻すとしたらどうか。売った個人は無駄になる薬品を処分して現金を手にする。買い取った問屋は製造元より安く仕入れられる。

……正直なところ、そんなことをして本当に得なのか-----消費期限の管理や再パッケージなど別のコストが嵩んでもうけが出ないようなことはないだろうか-----などという懸念があるのだが、そうしたメカニズムについては私で調べのつくものでもない。ひょっとすると闇に流れて高値取引されるのかも知れないし、それを元に別のものを製造するラインがあるのかも知れないが、その辺りは妄想に任せるとしよう。


ともあれ、医薬品取引の法的扱いについては厚生労働省に質問してみたので回答待ち。

[]人力検索リニューアル

urlがq.hatenaに。

システム面ではも大きく変わった。質問を書くと、まず「人力検索で質問」「アンケートで質問」「いわしで質問」の3択が。ためしにアンケートしてみる。

これまでは1設問しかできなかったために10の選択肢を複数選択式でAとBに分けた選択肢を書くなどしていたのだが、今回から設問の追加ができるようになった。設問の最大数はチェックしていないが、取り敢えず追加は無料で行なわれる消費ポイント数は回答数×設問数×1ポイントということなので設問を増やすとそれだけ支払額も高くなるようだ。

また、回答者の地域指定及び画像アップロード機能も追加された。つまり「図を見てお答え下さい」などの質問も可能ということだ。

回答評価についても、従来のポイントランキング機能不全の指摘から新たに回答の質を評価する「いるか」ポイントが導入されたらしい(何故「いるか」なのか気になる)。

従来の「いわし」機能はコメントとして残り、新たにはてラボで実験中だったポイント式ツリー掲示板が討議場として開催。1レス1ポイント、質問時の上限ポイントで〆切というシステムのようだ。これに関しては要・経過観察。

今のところ、追加機能については全体として好印象。気がかりなのはサーバーの重さで、リニューアル直後の一時的なアクセス集中の所為なのか機能追加による負荷なのか。いずれにせよ数日中には落ち着くものと思うが、ちょっと暫く動き難い。


というわけで試しに質問してみた

帰属団体の責をどの程度個人が負うべきか

今回の騒動で、以前からことあるごとに頭の片隅を過って来た違和感がまたもや鎌首を擡げているので、ここに書いておく。

一体に個人の責と帰属する/した団体の責とは、どの程度切り離されまた同一視されるべきなのだろうか。


件の団体が許し難い大量殺戮を画策(し、半ば成功)した事は紛れもない事実である。それを計画指導した人物の責は当然ながら重大であろう。しかし必ずしも望んで/事の重大さを理解してそれを行ったわけではない実行犯や、事件に直接関与していない信者の責は如何ばかりだろうか。彼らもまた、「事件を起こした団体」という括りで共同責任を負わねばならぬ立場なのだろうか。

私にはYesともNoとも断言しかねる。しかし、仮にYesだという立場に立つのであれば、その者は例えば首相の靖国参拝に伴うアジア諸国の非難や第二次大戦の戦争責任などの負債も「日本人」という括りに於いて背負わねばならないし、或いは不祥事を起こした会社に所属する社員としての責、罪を犯した者の血縁としての責……そうしたものまで負わねばならない。

逆にNoであれば、どこまでが直接責任の範囲でどこからが無罪なのかを明確にする必要がある。先の例では、計画立案者は明確な犯意を持っているから有罪といえるだろう。しかしどのような犯罪的行為であろうとそれを空想する事は憲法に定められた自由であり、考えること自体は罪とならない。では「首謀者だが実行者ではない者」と「悪辣な空想だが罪ではない者」の境界はどこにあるのか?


無論どちらの意見も極論に過ぎない。だが現に、この極論は常に問われ続け、そしてグレーゾーンのどこかで曖昧な線引きが為され裁かれて行く。


もう一つ追記。どんな罪を犯した者であろうと、罪を根拠に私的に裁かれるようなことがあってはならない。裁きは個人の責任に於いて行なえるようなものではなく、それ故国がその責を負う。国が裁きを下した(或いは下さなかった)ことで全ての罪は決着すべきだ。
無論、直接/間接の被害者がそんなことで納得し赦免するとは思わないが、「誰か憎む対象を持たねばならない」という精神状態が決して健全なものではなく、また正当性を持たない感情論であることも付記しておく。そこまで理解した上でどう考えるかは自由だが、「憎まれて当然」とは考えぬことだ。

*1:Winユーザーが無意識に使う○付き数字をMacで見ると(日)(月)などと見える

*2:というよりググれ派が自己学習の合理性を説くのに対し反ググれ派は「厭ならスルーすりゃいいじゃん/ググれと突き放されて不愉快」という感情論で迫るので議論の仕様もない