これって自由とか権利とかの問題じゃないよね

多少規制側に好意的な書き方をする。
個人的には規制はイヤだと思うが、野放しはかなりマズイと思う。ではどうする、という時に何故一足飛びに法/規制という話になるのだろうか?

結局、「とかげのしっぽ切り」ですよね。
わかりやすく「悪」っぽい「陵辱系」という名前を出すことで、気を使っている事を強調できるわけですし。
これでTVという世間や、政治家のトーンが落ち着けば良いのですが。

はうにぶー。:時事的なこと

こういう理解って(反規制の人達に)一般的なのだと思うけど、これをトカゲのしっぽ切りとしか理解しないと、結局規制したい人(問題視する人)の言い分を取り違うことになる。
彼らは要するに「このような表象は反社会的である」というメッセージを発している/したいのであって、ポルノを根絶したいとか個人の表現の自由云々はたぶんハナからアタマにない。
(無論それらを本当にこの世から消し去りたいというファナティックな人もいるだろうが、例外だろう)。
なぜ彼らがそのようなメッセージを(政治をまきこみつつ)発しようとしているかと言えば、この種の商品の生産/流通/消費のいずれの段階でも、それぞれの当事者によるそのようなメッセージが発せられないからだ。無論そのモチベーションが無いからだ。*1
だから誰かが「これは本当はいけないことなんだよ」ww と代わりに言う必要がある、という認識/危機感があるだろう。
なら便宜的にそれを政治家にやらせよう、という面はあるだろう。
そもそも何のためにそんなメッセージを広報する必要がある? 社会の安全/信頼や秩序の維持のためにだろう。上エントリでは「気を使っている事を強調できるわけですし」と揶揄的な書き方をしているが、これは社会心理の安全/安心感を確保するために重要なことで、軽視すべきでない。現実と虚構は別だと言って済む問題ではない。
だがこの商品による受益者にはそうするモチベーションは無いし、一方商品が市場を流通しているという事実自体はその商品に対する肯定的なメッセージになるだろう。社会的に容認されていると見えてしまうからだ。
市場に流通しているということと(これが「自由」の問題だ)、その内容が社会秩序/道徳的に容認できることかとは別の問題で、両者が整合しない点というのは多々ある(「禁止の侵犯」の表象自体をウリにするような商品などむしろありふれている)。
市場と社会との論理/倫理の不整合は個別に人為的にすり合わせる必要があり、それをするのは誰だ?
規制したい側の言い分は、今回のようなエロゲを根絶しろということではなく、それが社会的に容認できない価値観の表象であることを、「受益者は」何かの方法で広報する「社会的な」責任を負うのではないか? そして現実に受益者(生産? 流通?)はそれをできておらず、やる気も無いのではないか? という疑念/不信に多分基づいている。
上エントリにかぎらず、web上に見られる、反規制を言う個々人(エロゲ消費者)の言い分/態度には、この種の商品の表象が社会的に持つ意味についての視点がまるで無いものが多い。ただ表現だの個人だの思想だのの自由を言うだけだ。
でもそれは問題視する人たちの言いたいこととは別なのではないか? 話がかみ合っていないようにみえる。まともに相手の言い分を聞いているだろうか?
これは双方(の声のデカイ人)に言えることだけど、相手の話も聞かずに自由だの権利だの言っても、ただ胡散臭いと思われるだけだし、それだけでも規制の口実になる。不安を感じる人はいるからだ。
この現実的な不安感を解消する方法を考えないと、いやコレは虚構だしリアルと区別つかないのアンタwwとか言ってるだけでは同じことは何度でも起こる。
今回の件も(同エントリにあるように)実質的な影響は少ないだろう。法のような強制力の出番など、現場レベルでは規制する側もされる側も望んでいないのは明らかだからだ。だから抽象的(でマト外れ)な議論はやめたほうがいい。

※引用しておいて申し訳ないのだが、このエントリは上ブログ主に対する批判では全く無い。彼は実作者として、その考え方は至極当然のことだと思うし、あくまで実作者としての範囲を逸脱していない冷静なものだ。
ただこのような社会的な問題について発言する際、単に個人として個人的な権利/自由を言ってみても、それは限定的な意味しか持たないということがわからない人はいる。

*1:いわば問題なのは、自分にとって利益が無いから社会的な役割を負わない、とでもいうような無責任な態度だろう。そこで「自由」なる語が用いられる