シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

そろそろホロコーストについて言っておくか

うーん、便乗しているようで悪いんですが、id:HALTAN氏が「わからない」を連発している理由が、大半の人には透けて見えているのに、本人は「透けていない」と思っているようなので。


もともと、Apemanさんが指摘しているのは単純な話で

福耳先生や麻生幹事長が「トリアージ」や「ナチス」を(意味無く)持ち出す事は問題視しないのに(“うっかり”と捉えてますよね?)、Apemanさんやhokusyuさんが福耳先生を批判するのに「ホロコースト」を取り上げると、「衒学趣味」だとか「不適当」だとか「語るべきじゃない」と述べるのは何故ですか?


ということ。もちろん、誰も「トリアージホロコースト」と見なしているわけじゃありません。
ですが、福耳先生の述べた

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127


というスタンスは、レイシストでもアーリア民族至上主義者でもない“ありきたりの”テクノクラートが如何に「ホロコースト」を(自分の中で)正当化しえたか、に共通するものなのです。
ホロコーストの犠牲者はユダヤ人やロマ、障害者だけではなく、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人が含まれていますし、ドイツのソ連侵攻後、村ごと消されたケースも多々あります。


ドイツ人に配分されるべき

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し

ユダヤ人やロマ、ポーランド人、ウクライナ人、ロシア人は消されたのです。


云っておけば、トリアージだって「助けうる最大人数を選別する」というのは、「助かる人数がたくさんの方が良い」という、特定の政治的な文脈によるものです。選別に漏れた人、身内にとっては他の人間がどうなろうとも、身内なりが助かる方が“良かった”のです。その点で、トリアージの公正さ、公平さも括弧書きされるべきものであって、ましてや「経営学」と結びつけて正当化を図れるような話では無い。それを的確かつ辛辣に指摘するのに「ホロコースト」より適当な例があるとしたら、むしろ知りたいくらいです。


で、このような「ホロコースト」の正当化手段は、「トリアージに擬された経営学」に限るわけじゃなく、他にも例があります。

平和部隊が創設され中南米で貧困対策活動に従事していた時のこと、彼らは貧困にあえぐ人々に断種、去勢を強制的に行ったのだという。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20060830/1156909559


強制的な断種・去勢は他にもスウェーデンなどで例があったようですが、まさに

資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し

た結果行われたのです。つまり、「ホロコースト」はむしろありふれた他者選別の正当化の結果であり、その中で最大規模のものであった、と云うことが出来ます。


この部分までが前段。大概の人はこの部分を理解しています。ですが、HALTAN氏は、「ホロコースト」を持ち出すのは「不適当」だ、と述べるのに、その理由説明を「わからない」と主張しているのです。
「わからない」のなら、「不適当」かどうかもわからないだろ?と云われているのですが、この点もほっかむりです。だからこそ、福耳先生や麻生幹事長には不適当と云わないの?と皮肉を言われるわけです。
ここまであからさまにダブルスタンダードだと、「ホロコースト」という言葉自体に反発しているだけじゃないの?と疑えるのも当然ですが、どう答えるつもりでしょうね。答える気も無いのでしょうけど。