Comments by Dr Marks

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Apocrypha を日本語で何と訳したらいいだろうか?

シマザキさんから質問をいただいた。Apocrypha を何と日本語で訳したらいいのだろうか。結論を先に言うと片仮名で「アポクリファ」または「アポクリュファ」がいいと思う。発音や表記の簡単さから言えば、前者の「アポクリファ」が妥当だろう。実際、日本語音韻の耳では「ュ」の部分は聞き取りにくいから「アポクリファ」でいい。

さて、シマザキさんがおっしゃるように、ギリシア語の意味は「隠されたもの」だが、この意味から想像できる適切な日本語はない。それゆえ、むしろ、原語で「アポクリファ」がいいことになる。このことは、英語などでも同じで、単に定冠詞 theをギリシアapocryphaに付して英語にしているだけである(The Apocrypha)。

次に、なにゆえ「外典」という訳語は不適切かという問題になる。「外」はこの場合「そと」という意味ではなく、むしろ、「ほか」あるいは「以外」という意味であることはわかる。つまり、「正典」があって、「正典以『外』の経『典』」という意味である。ところが、実際は、Apocrypha は「正典」以外のすべての経典を指すのではない。

正典以外のすべてといえば、1926年生まれで、現在もかくしゃくとした(昨年11月に実際にボストンで元気な姿を直接見た)ハーヴァードのヘルムート・ケスター(Helmut Koester)博士が、1980年に有名な「アポクリファ福音書と正典福音書(Apocryphal and Canonical Gospels)」という論文を『ハーヴァード神学学会報(Harvard Theological Review)』に載せたが、その中で提唱しているcanonicalとnon-canonicalの後者に相当してしまう。(この場合も、「正典」、「非正典」のほうがより適切ではあろうが。)

もちろん、日本語としての「外典」は「正典」以外のすべてではなく、ほかに「偽典(ぎてん)」と訳される経典は「正典」でも「外典」でもないものとして区別しているから問題はないという議論も承知している。すなわち、「正典=
Canon」、「外典Apocrypha」、「偽典=Pseudepigrapha」の3分類である。これらのすべてがギリシア語に発する名称である。しかし、シマザキさんのご理解にもあったように、「正典」と「偽典」は原語の意味を保持しているが、「外典」は原語の意味とは異なっている。

歴史的には、Canoncanonical)に対する経典の名称としてApocrypha(apocryphal)を使ったのはヒエロニムス(ジェロームとも呼ばれる4世紀の人)らしい。しかし、その後、Apocrypha で括られる経典の中味は変遷しており、「外典」という大雑把な名称は馴染まないように私には思える。Apocryphaは、旧約アポクリファと新約アポクリファに大別されるが、旧約アポクリファは現在「旧約聖書続編(deuterocanonical)」と呼ばれることのほうが一般的になった。

この「旧約聖書続編」はヘブル語(ヘブライ語)以外の、主としてギリシア語で書かれた経典だが、その扱いは、カトリックプロテスタント東方正教会のそれぞれで異なるが、プロテスタント諸派は一部の教派を除いて、原則として「正典」以外の経典を認めていない。

基本的には、現在、日本語新共同訳聖書に納められた「旧約聖書続編」はトリエントの公会議(16世紀)でカトリック教会が「正典」に準ずるもの(第二正典)として受け入れたものであるが、東方正教会側では17世紀に行われたエルサレム会議で、トビト記、ユディト記、知恵の書、シラ書だけを「正典」に準ずるものとした。

新約聖書アポクリファ(Apocryphal New TestamentまたはNew Testament Apocrypha)」は、新約聖書続編とは言わない。旧約聖書旧約聖書続編、新約聖書以外で、福音書、手紙、あるいは黙示録の分類名を付した文書のことであり、おおよそ2世紀から6世紀に成立したものである。トマスの福音書などはこの範疇であるが、「偽書(Pseudepigrapha、誤って名づけられた本という意味)」と分類される紀元前2世紀頃から紀元3世紀頃まで編纂された文書との区別が難しいものも多く、学者により判断が異なるため、SBL(Society of Biblical Literature)のスタイルマニュアルの巻末リストでは「新約聖書アポクリファ」と「偽書」は区別せず、一緒に掲載されている。

新約聖書アポクリファ」も「偽書」もユダヤ教あるいはキリスト教ユダヤ教キリスト教を含む)を信じる者たちの文書ではあるが、これらの信仰を自認していたとしても現在の正統派の思想とはことなった内容が多い。それゆえ、教会的な立場からは隔たったものと受け取られるのが普通だが、正統の成立や初期の信仰の状況を研究する立場からは、これらの文書も貴重な資料と受け取られるようになり、近年の「アポクリファ」や「偽書」の研究は盛んである。

しかし、「正典」の十分な研究を経ずに行われるのであれば、「アポクリファ」や「偽書」の正しい姿は見えないであろう。なお、以上のユダヤ教キリスト教文書以外に、中世以降にまったくの偽の文書(3世紀頃までの「偽書」とは別)が出回ったが、これらはいわゆる当時のトンデモ本であり、キリスト教の成立に関わる研究にとっては何の価値もない。例えば、「レントゥルスの手紙」というイエス・キリストの容貌を記した有名な本などは、いわゆる嘘っこ本である。

しかし、コロンビア大学モートン・スミス博士発見の「秘密のマルコ伝」はいまだに嘘っこ本なのかアポクリファなのかの決着はついていない。昨年の学会の特別セッションでも勝負は五分五分であったように思う。私自身は、少なくともモートン・スミス博士自身の捏造ではないと考えている。しかし、中世時代の嘘っこ本である可能性はある。

以上をまとめると、これだけの区別がある以上、「正典」の反対概念すべてを指すような「外典」という訳語をApocryphaに適用するのはふさわしくない。むしろ、アポクリファとそのまま使用したほうが多様性に対応できて適切と考える。