2007-03-02
■[超−1]【+3】水平に顔半分だけ
怪異の肝が、0行目とも言えるタイトルから描写されている。
本文がたった3行だけの内容だからこそ可能な、まさに意表を衝いたアイデアである。
だがそれだけではなく、2行目に「目が合っていない」ことを表すことで、まだ起こっていない最悪の事態を想起させることに成功し、別の恐怖感を生み出している。
単に短くてアイデアがあるだけではとどまらないセンスを感じさせる。
この作品全体から感じることは、いわゆる“引き算”できるところまでし尽くしたというよりも、実は体験者自身もこれだけしか怪異の情報を持っていない、つまり顔を見つけてしまった直後に見なかったことにして寝てしまったら顔が消えていただけの体験だった可能性が高そうである。
ここに書かれた内容だけで想像するに、遭遇した時間はわずか数秒程度、長くても10秒もなかったように見えるからである。
ネタについても単なる幽霊目撃譚だけであり、分析すればするほど他愛のない話であるように思えてくる。
これだけ凡庸なネタを使い、もしかすると一瞬間だけの体験だった内容をインパクトのある作品に仕上げたのは、ひとえに作者の力量としか言いようがない。
まさにあり合わせの材料でちゃんとした一品を作れる料理人の感がある。
大胆でありながら計算された、完成度の高い怪談話であると思う。
■[超−1]【+1】解体現場
前半部分の精緻な状況説明そのものは特に冗長とは思わなかった。
ただ、最後の怪異の描写部分と比較すると、仰々しいほどの装飾にしか見えなかったということである。
結局のところ、肝であるべき怪異の方が短くあっさりしているにもかかわらず、そこに至るまでの説明の方が微細であるが故に、読者としてはそのギャップに違和感を感じざるを得ないのである。
もし仮に怪異がもっと陰惨で尾を引くようなものであれば、前半の書きぶりは功を奏していたかもしれない。
やはり怪談話の本質は、怪異をどのように強烈に見せるかであり、それにそぐわない装飾は却って怪異の面白味を殺してしまうものである。
それ以上に興醒めさせるのは、体験者の最後の言葉である。
多くの指摘がある通り、「堕胎専門」という言葉は、読者の想像する楽しみを奪うだけで何の効果もない。
絡んできた小さなもの・産婦人科跡というキーワードで気がつかない読者はいない訳で、そこにわざわざかぶせるように答えを出すのは、まさに余計なお世話以外の何ものでもない。
そして一番最後の体験者のコメントも蛇足である。
この怪異の場合、体験者のコメント以外にもさまざまな可能性が考えられるので、それを作中で限定させることは“実話怪談”の醍醐味を損なう行為であると言っても差し支えない。
またコメント内容が実に感傷的であり、それまでの恐怖感優先の書き方に対して違和感を覚える。
ラストでしんみりさせることを書いて読者の気を惹くようなあざとい意図で書かれたものではないことだけを祈りたい。
書きようによってはそれなりに怖い話にすることが可能なネタだと思うが、サービスが過ぎたというところだろう。
■[超−1]【+3】ポケット
物腰丁寧(?)なあやかしと、それに遭遇してパニックに陥った体験者の対比で面白い内容に仕上がっていると思う。
ただしどちらも度を超した描写にまで至っていないので、品のいい笑いに昇華できているようにも感じる。
体験者の狼狽ぶりも的確な表現でうまくいっていると思うが、一番感心したのはあやかしに対する表記である。
上着の内側から伸びてくる手があやかしの正体なのであるが、それに関するディテールを全く書いていない。
あやかし、特にそれが人間の身体のパーツである場合、そのディテールを書けば書くほど不気味な印象が強くなる。
この作品の中で、例えば“子供の手”と書いても“女の手”と書いても、多分何らかの恐怖感を与えることになるだろうし、携帯電話をまさぐる手の様子を克明に描写したらそれこそ怪奇なムードに陥ってしまう。
作者は間違いなく、そのような気味の悪さを前面に出したくないという意図で手に関する詳細な記述を敢えて書かなかったのだと思う。
作者の意図によって表記を制限し、作品全体の雰囲気をコントロールさせることに成功した好例であると言ってもいいだろう。
個人的には貴重な心霊現象だと思うのでディテールを要求したいところだが、“怪談話”としては実に良くできた内容であると賞したい。
■[超−1]【−1】わやわやわや
動物が人語をするパターンなのだが、致命的な問題がある。
「わやわやわや」という表記が、イメージとして人語を表す語ではないような気がしてならないのである。
ペットを飼ったことがないので推測の域を出ないが、熟睡中に枕元でペットが低い声で唸ったりしたのを、夢の中で人間が喋っている声と思い込んだのではないかという疑念の方が強い。
せめて断片的な単語でも構わないので、一語だけでも人語と分かる言葉があれば印象が相当変わっているのではないかと思う(実際、動物が人語をする時は、長文の会話になっていないことの方が圧倒的だ)。
文章構成としては、いわゆる“投げっぱなし”にして正解だったように思うし、無理に体験者との心の繋がりを持ち出してこなかったところに、作者がこの怪異の本質を理解していることがわかる。
明瞭な人語(日本語でも英語でもよいが)が聞き取れていたらよかったのだが…
■[超−1]【+4】海が呼ぶ
久しぶりに重厚な奇譚を読ませていただいた思いである。
連続する偶然の一致も凄味があるが、この作品のような一期一会の瞬間に狙い澄ましたように生じる偶然の一致もインパクトの点では負けていないだろう。
特にこの作品では母親の心情の流れを短いながら的確に記述しているために、クライマックスの部分が嫌が上でも劇的なイメージとして鮮烈に残る仕掛けになっている。
作者の筆さばきの確かさを示す部分であると思う。
だが着地点が微妙にずれたという印象がある。
個人的には、新聞が保管されているところで終わった方が余韻が残るという意見であるが、作者はさらに体験者の現状について言及している。
多分冒頭の「海の眷族」という言葉に引っ掛けて持ちだしてきたと推測するのだが、父親の海難事故そして葬儀の際の異常性はそれだけでも人智を超えた何者かの存在を十分意識させるものになっているので、そこで止めてしまった方がよかったような気がしてならない。
また「ウインドサーフィン」と「眷族」という言葉のイメージ的なギャップも気になるところである。
あまりにも強烈なエピソードである。
他の細かな部分は目をつぶって、それだけを特化させて展開させた方がもっと強い印象が残る作品になったような気がする。