2007-03-08
■[超−1]【+4】釘
文章自体は非常に落ち着いた感じであり、ストーリーの展開も事実関係だけを述べるにとどめ、敢えて恐怖を煽るようなこともしていない。
だがその実、その裏で凄まじいまでの父親の思念の葛藤と言うべきものを感じさせる。
息子の死とその当日の父親の奇行、そしてその後の父親のエピソードには強い結びつきというものが感じられない。
作者はただ事実として時系列的に並べているだけのようにも見える。
しかし、その他の周辺事項を全て取り払って並べているために、父親の一連の行動は直線的、すなわち因果関係を持っていると考えるべきであろう(少なくともそれが作者の意図であるはずだ)。
その中で強烈な印象を与えるのが、紋付き袴と長い釘というディテールである。
怪異の前置きで、父親が誠実な昔気質の職人であるという印象が与えられており、その父親が息子の奇行に対してどのような思いでいたのかは言外にも明らかである。
“人様に御迷惑を掛ける”息子にけじめをつけさせるために父親が用意したものが、ディテールによって暗に語られているだろう(特に“釘”というディテールの存在は強烈である)。
そして自らが施した“けじめ”を贖罪する日々を送り続けているのだろう。
奇行を続けた息子が父親のかたわらで一緒に正座している様子(ただし贖罪する父親にはそれは見えていないのだろう)は哀れでもあり、またいびつな安息感に包まれた結末のようにも思える。
怪異と怪異が直接結びつく確証はない。
だが作者はそこに因果関係を見て取り、事実を壊さないようにきれいに着地点を決めたという印象が強い。
もう少し読者を誘導する言葉が欲しいようにも思うが、良作であることには変わりない。
■[超−1]【+3】置いてけぼりの荷物
“人形怪談”であるが、ほとんど怪異らしい怪異は起こっていない。
もしかすると箱の中身が動いたという現象も、単に中の人形の位置がずれただけなのかもしれない。
だが持ち主とのやりとりによって、この人形には何かがあるという暗示が見事にかけられたと言える。
怪談マニアであればあるほど、数多くの“人形怪談”を読んできた者ほど、この暗示は強烈である。
まさに“思わせぶり”で楽しませてもらえる怪談話の真骨頂である。
荷物の持ち主の最後のリアクションが少々気になるところだが、それ以外は構成も良く、寸止めの余韻が残るなかなかの良作であると思う。
怪異を直接書かなくとも怪談は成立するというお手本のような作品である。
■[超−1]【+2】電話男
或る特定の場所に霊が増殖するという話は、自殺の名所などの心霊スポットにまつわる場所ではよく言われることである。
だが何の変哲もない場所でもこのような現象があるだということを改めて印象付けられた。
本当かどうか分からないが、最初に現れた霊が電話で他の連中を呼びだしたように書いたのは、読み手に興味を与える点では成功していると思う(実際は電話で呼び出したのではないだろうけど)。
また何をする訳でもなく藤棚の周辺にたむろする霊体の様子は、“見える人”特有の感覚で書かれいているリアルさがあるように感じる。
特にとんでもないことが発生した訳でもなく、それでいて町内会で苦情が出ているとさりげなく書かれているところも、妙な現実味を持っている作品という印象である。
強烈な恐怖感はないが、日常に起こっている怪異を巧く切り取ったというべき作品だと思う。
惜しむらくは、現在進行形の怪談であることが書かれていながら、この怪異の最も重要な“増殖する霊”の現象が進行形なのかどうかが明記されていない。
ほぼ1年を通して観察されているのだから、ここが書かれてあれば希少性の点でも高く評価できたのだが…。
■[超−1]【+1】モッテ
怪異自体はかなりきついと思うし、霊が双子の兄弟を取り違えたと解釈できる点は希少性が高いとも思う。
しかしながらどうしても好評価には至らない点がある。
文章全体が饒舌すぎるのである。
例えば、体験者のプロフィール、マンション交換の際の立地情報、恐怖体験の後のメールあたりは、書かなくとも怪異の本筋に影響を与えない、いわば文の贅肉である。
結局、怪異そのものを浮き彫りにするために必要な情報以上に、どうでもいいような周辺事情がこれでもかと詰め込まれている。
作者がもしこれらの情報をリアルさを獲得するための手段と考えていたら、やはり問題であると思う。
これらの表記がなくともしっかりと登場人物の言動が書かれているのだから、書く必要性は全くないと思うし、むしろこれらの無駄情報でストーリーの展開が引っ掻き回されているという悪印象の方が強い。
そして怪異があった後の体験者の滔々とした語りによる講釈は、せっかくの怪異の余韻がぶち壊しになるほど鼻につく内容である。
あやかしの正体である女性の生死にまつわる事柄、弟との関係はまだ許容範囲であるが(これももっと情報を削ぎ落とさないと読みづらさを感じる)、最後の紐に関する体験者の解釈は不要どころか、付け足されたために読者を興醒めにさせてしまったと思う。
体験者から直接聞いた内容をそのまま書いたのだと思うが、それらは体験者の憶測の域を超えるものではないし、そのまま掲載しなければならない義務も作者にはない。
ある意味、饒舌体(説明過多)の怪談話は難度の高い技巧を要すると考えていいかもしれない。
■[超−1]【+1】ピースサイン
書き出したらキリがない怪異を「時折」という一言でまとめ上げて、掌編にしてしまったのは評価できるだろう。
また飛び降り現場と写真の被写体との因果関係を敢えて書かなかった点も、読者に謎を与えるという観点から見て好印象である。
だが、最後の一文で「機種を問わず、時間も問わず」までは良かったのだが、「場所を問わず」や「同じポーズ」などの畳みかけるような表記があれば、もっとインパクトがついたように思う。
特に、いつでもアップでピースサインというような状況が書かれてあったら、かなり強烈な怪異という印象が強まるだろう(別のポーズを取っている場合でも、それはそれで薄気味悪さが絶大だったろう)。
不謹慎なことをやったために変なものにまとわりつかれてしまい、無差別的に怪異が発生しているという書き方を強調した方が、この作品は活きたと思う。
掌編といえども、肝にとって有益な言葉であれば、少々語りすぎになってもきっちりと語り尽くす必要があると思うし、そういう方向性で書く方が語られる怪異にとってもプラスになるはずだ。
どのようにすれば怪異が生きてくるのかを考えて言葉を選ぶこと、これが怪異の本質を見極めて書くことの重要なポイントである。