幽鬼の源

2007-03-16

[]【+3】溜め池

全体的に説明的文章が多く、それが展開の臨場感というものを奪っているように感じる。

特に急展開や場面が切り替わる部分で、その傾向が強く見られた。

そのために話の自然な流れがうまくできていないという印象が残った。

例えば、溜め池の巨大魚の出現、少年との対話、そして様変わりしたイトコの水死体という一連の流れ(ここがストーリーとしては最も盛り上がる場所のはず)でも会話と説明文でほとんどを動かしているため、登場人物の動きのイメージが少なく感じる。

もっと少年の様子や体験者の心情の動きが書かれてあれば、読者はストーリーの中に引っ張られたと思うし、迫力のある内容になっていたと思う。

怪異自体は非常に不気味な不条理感を伴う珍しいものであると感じるし、のどかな風景を一変させる禍々しさをも具えている。

特に少年の存在は一見無害でありながら、人の死を左右する凶悪ぶりを発揮していて、その正体は不明であるが、非常に怖れを感じさせる。

そのあたりの雰囲気については、作者もきちんと整理して書いており、決して的外れな書き方はしていないと思う。

ただ、このネタの充実した内容を完全に生かしきっていないという思いは強い。

やはり筆力の差は、描写力に尽きるだろう。

[]【−1】守備範囲

いわゆる“見える”人と“見えない”人との違いは明瞭であるが、同じ“見える”人同士の間でも同じ対象を見ているにもかかわらず違うように見えることが多いらしい。

たとえば一方が明瞭な人の形に見えていても、他方はそこに発光体しか確認できないというケースである。

結局、普通の人間の視力とは全く違い、“見える”能力に差があると、同じ対象を見ても同じには見えないのである。

この作品の場合、3人の登場人物のうち、問題の山下君と大谷君とは“見える”わけなのだが、作者は人間の視覚能力同様、霊体が同じように見えているという前提で話を進めているように感じる。

つまり山下君は、大谷君の見た左半分が潰れた状態の霊体で見ていないという推測が大いに成り立つと考えられるのである。

多分大谷君の方が山下君よりも能力が高いため、明瞭に霊体の姿を捕捉したのだと思う。

多分山下君は遠くの方からその霊体を見たのであり、むしろ容姿というより全体的な雰囲気で一目惚れしたのではないだろうか。

この作品では山下君が見た霊体に関する容姿の説明が一切ないので、この推測が最後まで推測の域を出ないのである。

結局、作者の思い込み(あるいは霊に関する知識不足)できちんとした取材がなされていないのではという悪い印象を受けた。

山下君が見た霊の姿が書かれてあってこそ、この怪異は俄然映えてくると思う。

もっと突っ込んだ取材で大谷君と山下君の見たものが違うことが明らかになれば、この作品は希少性の高い内容も兼ね備えたものになっていただろう。

そのあたりの配慮に欠けているため、大きく減点させていただいた。

内容をコミカルに書いた点は、それなりに効果があったと思う。

[]【+1】横顔

体験者の格闘の場面などを読むと、相当文章を書き慣れているという印象がある。

また30年以上前の当時の風景を巧みに書きだしているところを見ると、その時代を知っているか、あるいは体験者への取材が非常に上手かったか、いずれにせよ当時の雰囲気を彷彿とさせるレベルである。

文章技術の点で言えば、相当高く評価すべきだと思う。

怪異であるが、やはり描写力がものを言うという感じで、その異様ぶりは手に取るようにわかる。

まさに“怪人”という言葉がしっくりと来る印象である。

ここまで評価は高いが、問題は最後の1行の言葉である。

当時の夜の雰囲気から考えれば、あやかしの顔が常にまともに見られるほどの明るさはなかったのは間違いない。

だから体験者が一瞬だけしか顔を見られなかったという証言はおかしくない。

だが、その一瞬でそのあやかしの顔が「犬」であると判断した材料が全く書かれていない。

そのために、この1行だけが完全に浮いてしまっているのである。

(先にあるあやかしの行動に関する描写を読んでも、犬に直結するような表記はない)

多分作者としては、横顔のシルエットから鼻と口が突き出た犬の顔を連想させようとしたのだろう。

しかし人間の顔と動物の顔で一番違うのは、どうも“耳の位置”であるらしい。

それを考えると、実は、一番そのあやかしの正体について判っていたのは、竹刀で後頭部を叩いた友人ではないかという推測も成り立つ(友が格闘している時に正確に敵の後頭部を打ったのだから、はっきりと相手の後頭部を確認しているはずだろう)。

結局、書かれた内容だけでは憶測の域を出ないにもかかわらず、明確に“犬”と書いた根拠がないために、この部分でかなり眉唾な話という印象になってしまった。

実際に体験者が格闘して“生身の存在”であることを確認している以上、そのあたりの状況は明確に説明しなければ、読者は納得しないだろう。

あやかしが霊であれば、見たまま感じたままの表記でも良いかもしれないが。

[]【+2】家族の食卓

結論から言うと、読者に対して怪異をどのように見せるかの点で中途半端になってしまった感が強い。

具体的に言えば、恐怖を煽ろうとしたのか、厭な雰囲気を味合わせたかったのか、悲しみや哀れさを誘おうとしたのか、そのあたりが全然見えてこないのである。

特にあやかしの存在が凶悪なものに感じられないのが、全体の方向性がまとまりきらない最大の原因であるだろう。

怖いものに見えなかったために体験者が恐怖を感じるまでに至らず、それに呼応して、見えない妻も「首を傾げる」程度にしか不思議を感じていない。

あやかしについても“あったること”だけを描写しているので、読者が何となく感じている感傷的な印象を補強する事柄が一切ない。

これらの一つ一つが微妙な齟齬を生み出しているように思う。

さらに最後の1行を妻の行動で終わらせたのも、ある意味失敗だったように感じる。

この話で一番影の薄い妻の行動に何か含みがあるかのようにするよりも、体験者かあやかしかどちらかの状況で終わらせた方が、視点の中心がどこにあったかを示すことが出来たかもしれない。

作者の明確な誘導も必要ないし、体験者の解釈も必要ない。

しかし、何かしら全体の雰囲気を決定づけるものに欠けているという印象は拭いきれない。

“投げっぱなし”度の高い作品であることは認めるが、作者自身の意図も“投げっぱなし”状態になってしまっている感もなきにしもあらずというところかもしれない。