2007-03-17
■[超−1]【−3】縁
タイトルに堂々と『縁』という言葉を使っているのだから、さぞかし強い結びつきを持った因果が書かれていると思ったら、強烈な肩透かしを食らってしまった。
“縁”という言葉を使う以上は、一見何の繋がりもない事象に誰もが納得のいくような関連性が必要であり、その部分がしっかりと提示されなければ、却って胡散臭い雰囲気を出してしまうだけである。
この作品では、いつも出会っていた老婆の秘密を知ってしまったために“懐妊”してしまったという因果を見出して書き表そうとしているように見えるが、どう贔屓目に見てもそれが上手く説明しきれているようには見えない。
“懐妊”という重い事態に対しての経緯が全く書かれておらず、ただ「身に覚えがない」ために「産むことはありませんでした」であっさりとエピソードが完結してしまっている。
これでは、老婆とのエピソードとの間にどのような関連性があるかを読者に推測せよとつきつけても、そこには作者の意図以外に見えてくるものはなく、多くの者を説得する物的な確証はない。
むしろ、老婆の秘密を知ったために懐妊という因果関係であれば、それから“数週間”では計算が合わないのではないかという反証の方が説得力がある。
そして最後の段になって消えた犬に関する記述がなされており(ただしこれもリードを引きずっているだけであり、体験者のものと“似た”という表記すらない)、結局“懐妊”という怪異の肝も大した扱いにはなっていない。
別の言い方をすれば、“懐妊”という肝となるエピソードが“犬の消失”という副次的な怪異の陰に隠れてしまうほど貧弱な印象しかないということである。
全体的には作者の意図することは理解できる。
しかしそれを読者に納得してもらえるだけの構成力に欠けるということである。
またそれだけの説得力を持つ物証を集めてこなければ、散漫な印象を与えるだけだということである。
■[超−1]【+1】友の忠告
“病院怪談”の中でも、医師の過去の悪事にまつわる怪異は不動の黄金パターンの一つである。
特に“女癖の悪い産婦人科医”は格好のネタといっても過言ではない。
どのような怪現象が起こるかは別として、この作品のようなストーリーはそれほど希少性が高いとは言えない。
ここでは看護師の目撃や外来の子供のリアクションなどでかなり上手く怪異を表現しているが、それでも手術中に現れる霊や医師につきまとう影などでは、強烈なインパクトは感じられない。
つまり恐怖譚として大仰に書くよりは、さらりと事実だけを書いて終えた方が、身の丈にあった怪異という雰囲気になったような気がする。
その点で言えば一番難点だと感じたのが、前半の体験者と看護師との会話部分である。
経緯の説明を会話中心で行う場合、ゆっくりとしか話が展開しないという特性がある。
この特性は良くも悪くもストーリーに影響を与える。
例えばジワジワと真綿で首を絞めるように恐怖感を味あわせたい時は、このレトリックは効果抜群である。
しかしこの作品のように特に強烈な怪異でもない場合、あるいはこれから怪異について語ろうという場合、むしろまどろっこしいという印象の方を強く感じるようになるだろう。
しかもこの作品ぐらいの長さでイントロとして会話がズラズラ並ぶと、勿体ぶっているようでほとんど良い印象を与えないだろう。
テキパキと看護師の証言を出し、体験者が逡巡している様子を書いた後に子供の証言が出てくれば、かなり雰囲気は変わったように思う。
怪異の本質のレベルに合った(特にこの作品では体験者自身が怪異に直面していないからさらに低い次元である)書き方が要求されているという意味を、再考すべきだろう。
■[超−1]【−4】がりがりくん
見事なまでに怪異の本質を見誤った作品と言える。
巨大な3つの段落のうち、最初の2つは怪異の肝から考えると、9割以上は無駄な表記である。
タイトルにまでなっている『がりがりくん』すら不必要の一言である。
後段で「ガリガリくん」を老人が食べているような音が怪異の気付きの合図であるとするので、出してきたのかもしれないが、別にそれをわざわざ出す必然性は感じられない。
また隣の患者との親近感を出そうという意図もあったかもしれないが、これも効果があったようには思えない。
むしろ怪談話というジャンルに「ガリガリくん」が持ち出されたことで、商品のイメージダウンを植えつけようとしたのではないかという邪推の方が強くなってしまった。
結局、最初の2段で必要だったことは、入院した父の付き添いで遅くまで病院に残る事実と、隣のベッドに重症の老患者がいる事実だけだろう。
最後の段になってようやく怪異の肝が出てくるのだが、この段の前半も「ガリガリくん」絡みの内容なので、半分は不必要。
結局、この話の最も重要な肝は、最後の僅か10行程度に収まっている訳である。
この怪異については、いわゆる“お迎えにやってくるあやかし”ネタなのであるが、かなり珍しいものである。
そういうあやかしは人間の形をしたものや発光体がほとんどなのだが、この「牛肉の固まり」のようなものは初見ではないだろうか。
また強烈な悪臭を伴うというのも、ほとんど記憶にない。
これほど珍しい怪異でありながら、この部分に関しての掘り下げはかなり杜撰である。
特に嗅覚を失うという障りまで起こっているのであるから、これをおざなりにしか書かないのは書き手としてのセンスを疑う。
怪談の書き手の使命が希少な怪異を世に出すことであるとされる以上、どうでもいいようなことばかり書いて本質を見誤った点は厳しく指弾されるべきだろう。
■[超−1]【+4】猫だまし
“神様系”の怪異であるが、神威に対する畏れというものを扱った、なかなか意義のある作品である。
こういう霊験あらたかな体験談であるので、検索できるだけの情報が書かれてあっても問題はないと思う(これが“呪い”やら“祟り”であれば、あまり大っぴらにするのはどうかとも思うが)。
関西地方では知る人ぞ知るという奇祭なので個人的にも知っているが、このような現象が起こったことが報告されて改めて「すごいな」と思ってしまった。
全体的には文章のテンポが良く、非常によくまとまったという印象が強い。
後日談については、あってもなかってもというレベルである。
ただ気になるのが、タイトルである。
“猫だまし”という言葉はあまり良い意味で使われる語でなく、また字面としてもややひょうきんなイメージが強い。
「厳格な神」という表記があるので、“硬派でしっかりした”という印象を与えるような語にした方が良かったのではないだろうか。
だが貴重な体験談という価値は揺るぎのないものであり、高く評価したい。