2007-03-18
■[超−1]【0】1991年
大ネタまではいかないが、心霊現象として非常に希少価値の高い内容でありながら、怪異の内容がアラばかり目立つという感じである。
明確に書いていないが、体験者が雨の日に目撃したのはまさしく自殺者の霊体と見なしていいだろう。
さらにその霊体に憑依されたために変調をきたしたと考えられる。
この部分についてはよくある話であり、また話の展開や表現方法もオーソドックスな手法で書かれており、過不足のない持っていき方だと思う。
だが、その後の展開がまずい。
この部分がこの作品の怪異の肝であり、しかも他にあまり類例を見ない怪異であるにもかかわらず、十分な状況説明がなされていない。
一番問題なのは、体験者の意識だけが幽体離脱のように学校へ赴いたのか、それとも夢遊病者のように本人自体が赴いたのか、そのところが文章からは判然としない点。
学校へ行く部分が半覚醒の“夢”という認識で書かれているにもかかわらず、男子学生の絶叫後にその場に倒れて起きあがるという身体行動が書かれているのが、どうも納得のいかない説明のように感じるのである。
さらに翌日の噂話で、男子学生は幽霊を見たが、体験者のことには言及されておらず、ここでも不明瞭感が募るばかりである。
憑依されている最中に本人が意識を持ってその期間に自分自身に起こった体験を語るというのは、実に貴重なものなのである。
だからこそ、この肝の部分は克明に取材して書き起こしてもらいたかった。
怪談の書き手は、単純に体験者の話をリライトするだけが仕事ではない。
その怪異の本質を見極め(専門的知識の観点に立つというよりも、瞬時に事象そのものを整合的にイメージする力だと思う)、語られなかったピースを体験者から引き出していく作業が求められると思う。
この大切なことが、この作品では生かし切れなかったため、大きく減点させていただいた(すごく興味があっただけに反動は大きい)。
ちなみに“紺のブレザー”は憑依現象にとって非常に重要な符合であるので、書き落とさなかったのは正解であると思うが、冒頭の時代背景に絡めたのはさすがにいただけないというところである。
■[超−1]【+2】連続攻撃
まさに狐狸妖怪の類の仕業と言っておかしくない話である。
本道と待避所に置かれた車の位置関係がわかりづらかったのが難であったが、突撃してくるあやかしの描写が的確だったので、怪異の内容を壊すところまでいかなかった(むしろ細々した表記になるため、書かなかった方が良かったかもしれない)。
全体的に描写力を必要とする怪異であったが、読んでいておおむねイメージしやすかったと思う。
特に体験者が恐怖で目をつぶる瞬間のあやかしの姿を描写した文は、この作品全体の面白さを生み出す原動力になっていたと思う。
問題は多くの指摘のある通り、体験者の「化かしやがって」の悪態であろう。
あやかしの内容から推察すれば、大概の読者は「化かされた」と思うのが当然である(マニアであれば、狸と限定することも可能だ)。
だがそれを体験者自身から切り出されると、途端に不機嫌になる。
自信満々の解答を用意して待っているところに、さも誰もが解けない問題であるかのように教師が得々と正解を述べている時の生徒の気分といったところである。
大半の読者が容易に想像が付く解釈を作者が作品中で書くことは、特に“実話怪談”の場合、禁じ手としても良いかもしれない。
以前から指摘されている問題点なので、しっかりと減点させていただいた。
■[超−1]【−1】パチスロ台
怪異そのものはさほどのネタでもなく、あまり印象に残るようなものではない。
そのような小粒なネタに因果を絡めてしまうと、どうしても胡散臭い雰囲気が漂ってしまう。
この作品も、そういう意味であまり高く評価できなかった。
それと同時に気になる点がある。
体験者自身は老人の声をはっきり聞いているのだが、他の客も同じ怪異に遭遇しているのかと言われると、文の内容から判断すると、どうもそうではないのではという気になる。
このパチスロ台は数週間そこに設置されていたとあるが、もしどの客にも老人の声が聞こえていたら、噂だけでは済まない事態になっていただろう。
それ故に、老人の声を聞いたのは体験者だけであり、他の者は何かしら「台が悪い」という気を感じただけで済んでいるのではないかと推測できる(当然、老人の霊が取り憑いている可能性は完全に否定できないが)。
ではなぜ体験者だけに声が聞こえたのかと考えると、結局、体験者がこのパチスロ台のあった店の閉鎖理由を知っていたという事実に行き当たる。
つまり彼が事実を知っていたから声が聞こえたということ、はっきり言えば彼の“幻聴”であった可能性が出てくるのである。
このような推測が可能だからただちに怪異はないと断定は出来ないが、小粒と感じるネタがさらに小粒になってしまった感は否めない。
体験者と同じ怪異に遭遇した者がもう一人いれば、それなりの怪談話になっていたかもしれない。
■[超−1]【−4】タマゴ
怪異の一つずつを見ていくと、非常に不気味な印象を与えるものが並んでいると思った。
ところが作品を構築していく際にこれらの怪異がきれいに繋がらなかったために、一気に怪異としての魅力を失ってしまった。
結婚式当日に義母が渡したタマゴの謎は、不可解さと同時に何か禍々しいことのようにも感じる。
そして家に現れたあやかしは、描写こそ少ないが、相当ヤバいものであることがわかる。
ところが、タマゴとあやかしの関係が一切書かれていないために、多分何か関係があるのかと思いつつも、結局答えらしいものが得られずじまいであった。
この2つのものを結びつけるために必要な、怪異のパーツが完全に欠けているのである。
結局、この2つを結びつけるものとして読者に提示されているものは“義母”の存在しかない。
それを決定づけるように、最後の部分で義母の存在が体験者によってクロースアップされる。
しかし、義母と怪異との関連も明確ではなく、最終的に残ったのは“離婚の原因”という怪異とは大きく懸け離れた現実だけである。
つまりこの作品で一番訴えたかったのは“なぜ私は離婚したのか”ということであって、怪異はその遠因でしかないという印象なのである。
これではいくら怪異が強烈であっても、所詮刺身のツマである。
もしかすると、一連の展開の中で一番怖かったのは“義母”だったのかもしれないとも取れる。
そうなっては、怪談話としては本末転倒も甚だしい。
文章自体も、はじめは非常に正確に書いているという印象だったが、最後の方になるとあまりにも展開は早すぎてぞんざいな書き方になってしまっていると思うし、これが作品全体にも大きく影を落としている。
せっかくのきつい“厭な怪談話”の持ち味を殺してしまった作者の責任は重い。
■[超−1]【−3】玄関荒らし
最初の1行目から全てが読み通せてしまうという、単純明快な話である。
これでは怪談話というよりも、怪異のインフォメーションである。
何の捻りもないし、特別なオチも用意されていない。
敢えて挙げるならば、瞬間的に犬の霊が靴をグチャグチャに乱してしまうという早業が面白いと思っただけである。
文章もある意味、過不足なく読みやすいと言えるのだが、別の角度から見ればただの文書データの域を出ない、悪い意味で無味乾燥な書き方である。
さすがにこれでは“怪談話”としての評を出すことは困難である。
また怪異そのものについてもありきたりのレベルであり、とりたててコメントする事柄もないというところである。
この大会の水準から見れば、マイナス評点が妥当であるだろう。