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id:hiyokoyaさんことGLOCOMの井上さんが中心となって開催された「コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会(RGN)」を聴講してきました。この方面のセッションに参加するのは初めてで、色々と面白い話を聞かせていただいたのですが、情報量が多すぎて全てをまとめるのは無理そうです(´・ω・`)id:mkg_bさんすいません。以下で、個人的に面白かった議論を断片的にご紹介しようとは思いますが、GLOCOM公式で議事録が公開されるのを待った方が良いのかも。
会場及び懇親会でお世話になった皆様、ありがとうございました。
id:mkg_bさんに、以前書いたリネ2を舞台にした小説についてのエントリを発掘していただきました。ちょうど、今日の井上さんの発表の中でも、「死の固有性」*1と「死の複数性」*2の二重性を乗り越えることによる、ゲーム固有の「死の表現」の可能性といった話があり、興味深かったです。
特にオンラインゲームにおいては、「プレイヤーの死」という事象に対してペナルティー以上の意味を持たせることは絶対に無い上に、ゲームデザインによってはプレイヤー同士が積極的に殺しあうことも普通なので、「死の固有性」はないに等しいわけです。今日の研究会では、死の表現に関する小説/漫画側からの批判に応える、という形で議論が展開されていたわけですが、その意味で引用していただいたエントリでは、逆に上記のようなゲーム世界を小説に落とす時に何が問題になるのか、という点について書いたといえます。
顔面めがけて鉄の爪が襲い掛かる。後ろに引きながら盾で防いで再び攻撃。引いてはフェイント、そして攻撃の繰り返し。(中略)徐々に息が上がってくる。そろそろ終えなくては。バーツは敵の深緑の瞳を見据える。敵も勝負に出ようとしている。バーツは最後の力を振り絞って剣を突き出した…
ストーリー - クロニクル3 - 黎明の月 (10)
遠くから太鼓の音が聞こえる。バーツはその音を聞こうと努力してみた。でも無駄だった。余りにも騒がしくて何も聞こえない。断末魔の悲鳴、母を呼ぶ声、死ね!と言う罵声、音、声、音、声、様々な音が聞こえる。目に見えるのは、見慣れた緑の芝生。赤い血で染められている… バーツの血だ。バーツが聞こうとしたのは太鼓の音ではなかった。血が、彼の命が体から抜けていく音だった。
「はっ!」
バーツは呆れたかのように笑った。
(これでおしまいなのか?)
彼の旅、苦痛の末に得た悟り、彼の理想、人生、目標、彼が鍛え抜いてきた肉体と精神が、このたった一度の戦いでおしまいだとは。
バーツは頭を上げた。彼を倒した存在は、最初と同じく無表情に彼を見下ろしている。誰かが彼を呼ぶ声が聞こえる。(…セリエル?)
目の前が少しずつ暗くなる。音が再び遠ざかる。そして再び聞くことはできないと悟る。
最近、公式サイトに掲載されたバックストーリーの一節です。「バーツ」というキャラクターは、リネ2のバックストーリーの中でもいわゆる「英雄」的な存在であり、一番目のゲームサーバーの愛称にもその名が使われる主要な登場人物だったはずなのですが、短い対決の後にあっさり息絶えてしまいます。このくだりで表現される無常観にはかなりゾクっと来るものがありますが、それはさておき、ここで表現されているのは「死の固有性」以外の何物でもありません。
このように、これまでリネ2を題材として発表された3つのストーリーは、井上さんの議論をお借りするならば、「死の複数性」を完全に本質とするオンラインゲームの世界観にどう取り組むか、という点について異なる回答を示しています。
3番目はこう書くと屁理屈っぽいですが、ゲーム内のキャラクター達が「キャラクターの背後にいる現実のプレイヤーの存在」に辿りつくまでをミステリー的な手法で描いており、とても面白いです。まぁ、「ゲームでの死」を固有化するのはやっぱりプレイヤーの感情移入だよなぁ、とか穏当な所でお茶を濁しつつ。
懇親会では、id:kenjiitoさんにアカデミックなゲーム研究の難しさなどについてのお話を伺いました。
例えば、アカデミズムの場でゲーム研究をするには、対象となるゲーム作品からの「引用」の形式を確立する必要があるが、文学作品の研究などと違い、ゲーム中の「ある場面」でプレイヤーが感じていることの前提となる、「その場面までの(10数時間以上の)ゲーム体験」を文章で記述するのは非常に困難である、と。これの対策として、論文の電子化を進めて、引用作品の理解を助けるような操作可能なデジタルコンテンツ(Flashとか)を挿入する、みたいな話も出ていました。
あと、今日集まった皆さんのレベルの高さから省みて、自分が日頃書き散らしていることのヌルさを改めて実感してみたり。まぁ、ヌルいなりに、今後も自戒を持ちつつ書き続けていきたいとは思いますが。
*1:一人一人に一度限りであり、固有の「死」の経験や物語がありうること。
*2:シューティングゲームなどに由来する、試合の「勝ち負け」の水準における記号であり、繰り返しが可能なこと。
kenjiito
2006/04/10 13:12
どうも昨日はお疲れ様でした。まさかたまたま隣に座った人がはてなの知り合いだったとは思いませんでした。
Dryad
2006/04/11 03:17
こちらこそお疲れ様でした。またお会いする機会がありましたらよろしくお願いいたします。