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幸せを約束する聖書の言葉

2018-12-08

再臨のイエス・キリストを迎える(4)・・・救いを得るように定めた



 イエス・キリストの再臨を迎える根拠となるのは何でしょう。



 パウロは、テサロニケ第一の手紙5章9節から11節に述べています。



 「神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。」



 まず神は、私たちを再臨の日の怒りにあわせるように定めたのではなく、主イエス・キリストによって救いを得るように定めたというのです。


 

 イエス・キリストを通しての神のみ心は、私たちを救うことです。そのように定めたとパウロは言っています。



 そして、主にあって亡くなった人も、今生きて、主の来臨を待ち望む人も、共に生きるには、イエス・キリストの十字架によるというのです。



 内村鑑三は、「再臨の教義を受くる準備なき者が、つまり『十字架の苦杯を飲まずして、再臨の饗筵に与からんと欲す』迷信家、再臨狂の出現によって、運動を停止したのである。再臨を外的事件としてみる時は、事が余り絶大であり、ために吾人はそれに圧迫せられて、心の平静を失い易く、信仰が極端に傾き易い、併し、之に内的証明を加わる時は、再臨の信仰に固き基礎が併せられて、吾人は冷静に之に対しえる。さらば外なる再臨観に内なる再臨の実験を加えて再臨は最も深く且つ健全に味わえるのである。」(内村鑑三に関する著書より)



 エレン・ホワイトは次のように述べています。


 「われわれが主の再臨を喜びをもって期待できるのは、キリストが死んでくださったからにほかならない。キリストの犠牲はわれわれの望みの中心である。この上に、われわれの信仰を据えなければならない。」(各時代の希望下巻140頁)



 「キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」テサロニケ第一の手紙5章10節



 死人がよみがえり、生きている者が共に再会し生きるには、イエス・キリストの購いの十字架による死です。



 イエス・キリストの十字架の死が私たちの望みの中心です。



 イエス・キリストがこの地上においでになったのは、また、再臨するのは、私たちを愛し救うためです。