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脳無しの呟き《土鍋と麦酒と炬燵猫》(旧) RSSフィード

2011/05/29

新聞のお悔やみ欄

2002 年に父親が死んだ時、私は長男だということで残された母親に代わってあれこれすることになった。葬儀の手配やら喪主として担がれてしまったりで、今から思うとかなり精神的には負荷の掛かることだった。有名大手企業でそれなりの地位まで登ってしまった人だったので、引退前にこの世から去るとなると大変なのですよ。後ろにいる人が見えないような大会場でマイク握ってとか、もうあんなことはこりごりだ。

一連の作業を終えて母親のマンションでぼぅとしてたら、地元の新聞社から電話。「お悔やみ欄に載せてもよろしいでしょうか」という丁寧な申し出だったのだけど、これは丁重に断った。もう放っておいて欲しいという感覚。マンションには母親だけしか残らないので、仮にお悔やみ欄にでも掲載されてしまうことがあると、面倒な電話もあるだろうという配慮だった。

はてブでなぜか今頃『僕は元気です』(乙武洋匡 公式サイト)という 2001 年の記事が上がってきて読んでみたのだが、そのようなことを思い出した。一般人でもそこそこの立場になれば新聞社から電話があるくらいなのだから、有名人ともなればもっと大変なことになるのだろうことは少しだけども想像できる。

父親がいなくなってから1年後、母親のもとに電話があったそうだ。転勤先の地方でお世話になったという方だったのだが、父親の死を知らなかったらしい。人づてにそれを聞いて、慌てて電話をしてきたとのこと。

その話を聞いて当時の自身の判断が正しかったのかどうか、それがわからなくなった。地元の新聞とはいえ、お悔やみ欄に名前を出していればずっと知らなかったという人は減ったんじゃないか。面倒なことがあるかも知れないが、そこは守ってあげれば良かったのかもしれない。落ち着いてしまった現在では、その判断がどうだったかなんてわからない。そんなことを未だに考える。

乙武氏が記者会見を選んだのは正解だと思う。取材陣がクソなのは残念だったけど。