第1話「東京都練馬区豊中のぶっかけ下うどん」
……俺は腹が減っていた。スタジオコメットの見学を終えたのが午後0時30分ごろ。そのまま自転車に乗り帰宅途中にある適当な“めし屋”にでも入ろうと思ったのだが、如何せん真夏の炎天下だ。何も食べずに自転車を走らせたら暑さにやられて倒れてしまうだろう。仕方なく俺は手近な店で昼食を済ませることにした。
しかしこの辺りは住宅ばかりであまり目ぼしい店はなさそうだなァ。
かと言って駅に出て帰り道が分からなくなるのも厄介だ。
…………
……
…
東京ってのはどうして蕎麦屋ばっかりあるんだろうな。
実を言うと俺はあまり蕎麦が好きではない。特に理由はないが食べていて何となく物足りない気がしてしまうのだ。
ああ、それにしても腹減ったなあ。
“めし屋”は……、どこかに“めし屋”はないのか。
「おっ」
「カレーうどんか」
「しかしこの暑い中、カレーうどんというのもなァ」
いや、まあ、たまには良いか。
考えてみたら俺ははなまるうどん以外に専門店のうどんというのを食べたことがない。
「メニューには他に冷たいうどんもあるだろうし……よし、ここにするか」
ガラガラ。
「いらっしゃいませー、カウンターの奥の席どうぞー」
「お決まりになったら呼んでくださーい」
お昼時なのにあまり人が入ってないな。
さて何を食うか。
ほぅ、セットメニューでいなり寿司が付いてくるのか。
しかしハイカラうどんのいなりセットだと油揚げがダブってしまうんじゃないか。
熱いうどんは色々種類があるな。
うーん、どれもうまそうなんだけど。
やはりこういう暑い日には冷たいうどんをツルッと頂きたい。
豚汁うどんにざるうどん、ぶっかけ下か。
お、ぶっかけ下には玉子も付くのか。これはいいな。
「すいません」
「はいはいお決まりですか」
「ぶっかけ下ください」
俺はできるだけ物おじせずハッキリと注文を言う。いちいち聞き返されるのはやっかいだ。
注文を済ますと少し気が楽になり店内を見回す余裕が出てくる。
内装はなかなか老舗っぽい雰囲気だけど。
こんな住宅街の真ん中にうどん屋って、儲かるのだろうか。
まさか子供の頃からうどん屋をやりたかったわけじゃあるまいし。
夫婦でやってるみたいだし、それにまだ若い。仕事に疲れ脱サラしてって感じなのかな。
そういえば俺は小学校の卒業文集で、将来の夢の欄に何と書いたっけか。
「はい、おまちどうさま。ぶっかけ下です」
「お、待ってました」
どれどれ。加賀百万石の手打ちうどんの味は。
「ズルズル」
「うん、うまい」
つゆが少し薄味のような気もするけどダシがよく効いているな。
「うどんもコシがしっかりしていて中々食べ応えがある」
うんうん、練馬大根も辛くなく優しい味だ。
「ズルズルズルッ」
あー、そういえば昔、『練馬大根ブラザーズ』なんてタイトルのアニメがあったっけか。
「ズルズルズズゥ」
卵をからめると味がまろやかになっておいしいな。
…………
……
…
「ふう」
「うまかった」
結局俺が食べている間、一人しか客が来なかったな……。
「スイマセン、お会計お願いします」
「はぁ〜い、ぶっかけ下なので650円になります」
ガラガラ。
「あちゃー、すごい暑さだな」
22歳、就活をしたくないという理由で特に考えず大学院に進んだけど……。
「将来の夢か……」
俺には到底無理な話だな……。