劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜 インプレッション

マクロス健在」

実は自分はテレビ版は大まかな話の筋とかは聞いてたんだけど 殆ど映像を見たことがなくて、その状態で見てみたんですが。

「いい意味でマクロスだな〜」っていう感じですねー。 メカあり、歌あり、三角関係ありと。自分が見たかったマクロスがそこにありました。細かいことを言えばいろいろあるけれども、小難しいSF設定を並べて堂に入るでもなく、独りよがりの暑苦しい政治的主義主張をひけらかしてくるのではなく、「宇宙を舞台にして、ヴァルキリーを小道具にした普通のドラマ」。 25年前と変わらないマクロス、それが映画館にありました。

全体的な流れ

ストーリーはそれほど複雑ではなく・・・っていうか殆どないに等しく、 まあ複線貼り終わったかな、ってところで今回は終わったわけですが、 後半において伏線回収が楽しみなフラグがいくつか立ってて、 「前編」としては非常によさげだと思います。

歌に関しては、シェリルさん超えろいっす!」っていうのはさておくとして、それでもかなり映像を作りこんできてましたねー。 シェリルの最初のコンサートの導入は凄くいいですね。 「はじめに歌があった」から「あたしの歌をきけー!」までの一連のシーケンスが本当に素晴らしい。自分はこの導入部を見れただけで、もう元を取った気分です。あとはもう何があっても許すぞ!とすら思うぐらい。

ランカが歌うシーンも、非常に良かったですね。特にミシェルに挑発されて歌い始めるとき。 「どっから出てきたお前ら>伴奏の面々」っていう突っ込みが野暮に感じるぐらいです。「シェリルがライブステージ本番で歌う」シーン以外にもそういう音楽的演出がされていて 河森さんだかトロ・ステーションだったかで「ミュージカル的なイメージ」っていうのがなるほどとうなづけます。

ただ、自分がもう年寄りの範囲に入っているからだとは思うのだけれど、 歌そのものにあまりカタルシスを感じなかったのがちょっと残念ですね。凄くいい曲だとは思うし、ヘッドフォンで聞く分にはいいのだけれど、劇場でライブとして聞くにはカタルシスが足りなかった。まるでBGMの延長のような感覚というんでしょうかね。人の声を楽器として使うような使い方というか。曲として凄く複雑で難解で、リン・ミンメイFire Bomber、Sharon Appleのように「分かりやすく耳に届きやすいドライブ感」があまりない。

でもそうは言うけれども、さすがは菅野よう子、楽曲自体は本当に素晴らしいものでした。菅野よう子節全開なシェリルのアップビートな今日kは本当に聞いていて心地が良い。ユニバーサルバニーなんか、ライブ映像も含めて本当に度肝を抜かれました。

戦闘

戦闘シーンは・・・本当にすごいですねあれ。 マクロスの高機動三次元戦闘には慣れてるつもりなんだけど、 久々に「うわー、おいつかねー」っていう感覚を味わいました。 今時の若いアニメファンはこれについてこれるんだろうなぁ。 自分も年をとったものです。 恐らく色彩設計や明度設計の問題もあるのかもしれないですけどね。 全体的に「色が暗い」から、見えづらいっていうのもあるかもしれない。でもそれを差っ引いたとしても凄まじく高速なサーカスは圧倒されるの一言。

中盤の戦闘パートや最後のクライマックスの戦闘パートはもう圧巻というしかない。 やっぱマクロスはこれだよな!っていう。アップテンポなリズムに乗って、宇宙をヴァルキリーが駆け抜け、無人機ですらどうだろうというぐらいの高機動を成し遂げるその迫力は素晴らしいものでした。

劇場の雰囲気

本当に驚いたんですが、マクロスを見に来る人、本当に若いファンや一般人ファンが多いのね。 自分みたいな「いかにもオタク」って言う人が本当に少ない。 むしろ一般人がデートで来たりしてたり。マクロスの「三角関係」「歌」「メカ」っていう明確な柱は非常に分かりやすいし小難しいSF設定やSF物語、思想語りは思い切りばっさり蹴飛ばしてるんで、一般の人や若い人が入って来やすいんでしょうね。「メカ」を除けば、人類が古今東西作ってきたドラマと何も変わらないわけだから。

結局2回目を見に行く自分

なんだかんだで1回目を見終わった後にすぐにチケット売り場に並んで 2回目を見たくなるような、非常にいい娯楽作品だったと思います。小難しい話を全く抜きにしてるのがよくも悪くもマクロスだなぁと。

あと映画館の迫力はやっぱり凄いです。巨大なスクリーンに投影される「宇宙」とか「巨大な空間にある巨大な構造物」の感覚が、やっぱ普通にモニタで見るのとはぜんぜん違う。巨大なスクリーンに投影されているという事実と、目を凝らせばどこまでも細かくどこまでも遠くまで見えそうなほどの細かい描写がそういう「空間の巨大さ」を感じさせてくれるのでしょうか。

音も、やっぱり部屋でスピーカーやヘッドフォンで聞くのとではやっぱりぜんぜん違う。なんというんでしょうね、「音」だけでなく、「空気の振動」を全身で感じられる感覚。耳だけではなく、全身で空気の振動を感じ取り、音を感じるという感覚。爆発なんかのエフェクトで、空気が震えてる感じが体に伝わるというのは大きいです。こればっかりはよほどのシステムを組まないと、家では絶対に味わえないですからね。

なんだかんだいって、今回の劇場版は「劇場で、巨大スクリーンと大音響システムで鑑賞してこそ意味のある作品」といっても全く言い過ぎではない作品だと思います。トロステーションで河森さんも言っていたと思いますが、BDとかDVDはあくまで「劇場版を見た感覚や記憶を思い出すキー」扱いで、劇場で劇場版を見て初めてその迫力や凄さが分かる映像と音響と音楽、といえると思います。

そういえば・・・・。

余談ですが、自分は二度ほど見てもどうしても分からなかったのだけれど、シェリルのイアリング、なんであんなところに落ちてたんだろう。それまでの経緯からしたら、あんなところに転がり込む可能性は全くないと思うのだけど。そこらの街の隅に転がってたとかならともかく・・・。

「初音ミク - Project DIVA -」インプレッション

初音ミク その名知るもの 買うの義務」

2009年7月2日、セガからPSPソフト「初音ミク - Project DIVA -」が発売されました。当然自分も購入したわけですが、もう極論すると「【初音ミク】という単語に反応してしまう人は、例えPSPごとであろうとも、絶対に買うべきゲームソフトである」と言い切れるぐらい素晴らしいソフトです。
初音ミク誕生」「キオ式ミクのデビュー(「01_balladeを歌わせてみた」の出現)」MikuMikuDance出現」の次にエポックとなる出来事が、今回の「初音ミク - Project DIVA-」の発売だと言えるでしょう。

ということで、現在20時間ほどのプレイ時間ですが、インプレッションを行ってみます。

ゲームシステムについて

音ゲーのシステムとしては、押忍!闘え!応援団!」(以下「応援団!」)の系統になるでしょうか。画面上の様々な場所と様々なタイミングで表示される判定ポイント*1に対して、その判定ポイント上で回る「針」のタイミングやボタン指定オブジェクトが判定オブジェクトに重なるタイミングで指定されたボタンを押すシステムです。

音ゲーのシステムは大きく二つのタイプがあります。音楽でいうところの「○分音符、○分休符」という概念が

  1. 画面から正しく読むことが出来、それを「鳴っているサウンドから聞き取るテンポ」に同期して打ち込むタイプ
    ゲームシステム上、楽譜や音が主で、画面(絵)が従となるタイプ
  2. 画面のみからは読むことが出来ず、原理的に「画面上の動き」のみに同期するタイプ
    ゲームシステム上、画面(絵)が主で、楽譜や音が従

となる二つのタイプです。前者の代表はパカパカパッションバンドブラザーズ、後者の代表はコナミ音ゲー全般」太鼓の達人でしょうか。このゲームは後者に入りますね。

自分はどちらかというと、前者のシステムを得意としているというか、「音楽として楽譜的にどの位置にどのオブジェクトがあるのかが、画面情報から完全に読み取ることが出来、その情報から音楽に合わせて打ち込む」というゲームのほうを好むので、今回のゲームは自分にとっては今回のゲームはちょっととっつきにくかったですが、かつて「応援団!」にちょっとハマってたことがあったのでその経験は活きました。
ですが「応援団!」をプレイしたことのない人は、コナミ音ゲー太鼓の達人のように、「判定ラインが特定の場所に固定されている」わけではないので、ドラギタやポップンを得意とする人も、苦労すると思います。ただし、「応援団!」システムの拡張としては、割と自分は「見やすい」と思いました。○×△□ボタンをそれぞれ押させるタイミングの指定方法が結構上手く消化されています。

収録楽曲について

まさに「初音ミクブームを最初期から現在まで支えつづけている、数々の名曲」が勢ぞろい、ある意味究極のベストアルバムといってすらいいものです。ゲーム開始状態から初音ミクの初期代表曲「恋スルVOC@LOID」も比較的最近の代表曲「ワールドイズマイン」も収録されているため、とっつき易さは非常にいいと思います。「初音ミク」目当てで買う人にとっては、初期状態での出現曲はどれも知らないということは殆どないだろう、というぐらいに「分かってる」ラインナップです、初期状態出現曲の数曲は順序が決まっているわけではないので、「自分の知っている曲から始める」というのが、少なくとも初音ミクのファンにとっては誰でもできるようになっているのは良いと思いますし、ファンじゃない人向けとしても、カーソルデフォルトが「ワールドイズマイン」で、いわゆるオタクな匂いが比較的少ない曲だというのもセガとしてはいい戦略だと思います。
自分は「ワールドイズマイン」をプレイしてみたあと、

    1. 「恋スルVOC@LOID」(初期)
    2. 「Ievan Polkka」出現
    3. 「あなたの歌姫」出現
    4. 「金の聖夜霜星に朽ちて」出現
    5. みっくみくにしてあげる【してやんよ】」出現

というルートにはまってしまいましたw
初期の頃からミクにはまっていた人は、これだけでおなか一杯になると思います。

難易度

「収録曲を全曲出現させる」「PV(後述)を出現させる」ためのハードルは比較的低いです。音ゲー初心者やゲーム初心者でも頑張れば比較的簡単にクリアできるのではないでしょうか。昨今の音ゲーと比較するとかなり敷居や難易度が低く、あっさりしてやりやすいと思います。ただ先にも書いたように、「画面上から、音符を読めないシステム」であるので、HARDになると「音楽として、どのリズムで打ち込むのか」がパッと読めないため、苦心することが多いかもしれません。「モジュール」と呼ばれるミクの着替えセット(後述)を出現させるには、NORMALモードやHARDモードでのクリアが必要とされることが時折あり、少々難易度は高いものもありますが、「総じて、一般人向きは難易度が低い」ため、気にするほどのことではないと思います。

グラフィック及びサウンド

音楽については好みが分かれますし、収録曲は大概ニコニコで見られるので語ることは多くないのですが、選曲が本当に素晴らしい。初期代表曲「恋スルVOC@LOID」「あなたの歌姫」から、ryoさんの代表曲「ワールドイズマイン」メルトまで、名曲の数々の選曲は本当に文句の付け所がないぐらい素晴らしいです。
グラフィックに関しては「さすがプロの本気は違う」という感じですね。このゲームは「PV」と呼ばれる、3D初音ミクが歌い踊る映像をバックに、前面に音ゲー用オブジェクトが飛び交うものなのですが、その「ミク」のモデリングとモーションの質が本当に素晴らしい。キオ式ミクを見たとき以来の衝撃があります。それを含めてPV映像がかなり本気度が高く、ツッコミどころが殆どないのはさすがプロの仕事は違うという感じです。

「PV」について

このゲームは、「PV」と呼ばれる、「3D初音ミクが、曲に合わせて歌い踊ったりする映像」をバックに音ゲーを行います。PV映像は、ゲームである程度の成績を出せば後は自由にその曲のPVを鑑賞することができるようなっています。そしてそのPV映像が本当に素晴らしい出来です。ニコニコやpiaproなどでファンが練り上げてきたイメージとは一味違いながらも、それでいて「外してない」「分かってる」センスと出来の素晴らしい映像群は、それだけでも購入の価値があるほど素晴らしいものが多いです。特に一発目の「ワールドイズマイン」なんかは、作品イメージをさらに素晴らしいものにする、非常に質の高いPVとなっています。そのほかにも、他の様々な曲にはそれぞれPVが設定されており、中には「1枚絵が順次スライドショーのように切り替わる」だけのものもありますが、それでも曲の雰囲気やイメージを全く壊さない、素晴らしいものです。

「モジュール」について

このゲームにおいて、ミクは色々と「着せ替え」が可能です。デフォルトの衣装から、私服っぽいもの、ゴスロリ、または水着やスク水まで、様々な衣装に着せ替えることが出来ます。また、着せ替えの気分で「キャラクター変換」も行うことができ、メイコカイトリンレンルカなどのクリプトン純正ボーカロイドファミリーだけならず、亞北ネル弱音ハクなど、まさか商業ソフトの上でそんなものが見られるとは夢にも思わなかったキャラクターにまで変更できます。この「本気度」はまさに信じがたいものです。

そして、制作メーカーの「本気度」の高さ

正直、このソフトの情報を知ったときから購入するまで、「単なるキャラクター商品、キャラゲーの範囲を出るものではない」と思っていました。ニコニコやpiaproに代表されるCGM文化上では非常に重要なムーブメントであるけれども、メジャーな世界のゲームソフトになるとなると、「愛や敬意のない製作陣」が「あくまで仕事として作る」もので、「遊べなくはないが、熱情を感じない」凡百のソフトになるんじゃないかと思っていました。

しかし、その杞憂は本当に良い方向に完全に完璧に裏切られました。このソフトは、制作陣の「愛情」と「敬意」、それも「熱情」といっていいレベルの情熱が込められています。勿論そんなものがなくても「プロ」としてやっている以上、それなりのクオリティ、CGMといって喜んでいる「アマチュア」を一蹴するようなものを作って黙らせる事だってできるでしょう。しかしこのゲームは違います。「アマチュアの情熱と、プロのクォリティが同居するソフト」といっても過言ではありません。こんなレベルのものとは、そうそう滅多に出会えるものではないでしょう。開発もとのブログを見ても、心意気といいましょうか、「情熱と敬意」が込められてて本当に素晴らしいものだと思います。

開発元「ディンゴ」からのメッセージ
http://www.dingo.co.jp/action.html#content004

piaproとの共同企画の意義

このゲームは、piaproと共同で企画が進められたそうです。ゲーム中のLOADING画面や、一部の楽曲のPVにおいて、piaproユーザーが描いた「ミク」画像が、ふんだんに贅沢に使われています。これは本当に素晴らしいことだと思います。クリプトンの伊藤社長が時折口にされる「CGM活動の出口」の一つとなっているのではないでしょうか。ギャラが発生したかどうかは分かりませんが、「自分の描いた絵が、セガという有名メーカーの、PSPというメジャーなプラットフォームで堂々と使われる事の誇り、充実感」は本当に凄いんじゃないでしょうか。勿論仲間内からのPageViewを得るのもいいでしょうが、このような形で使われることは本当に素晴らしいことだと思います。

総評

このゲームは、ゲームそのもののクォリティが素晴らしいの一言であるのは勿論、「メジャーのメーカーが、CGM文化に敬意と理解を示し、アマチュアと同レベル以上の情熱を持って接してくれて、プロのクォリティで形にしてくれた」事も素晴らしいことだと思います。冒頭にも書きましたが、このソフトの出現は、「初音ミク」という文化の中で、「誕生」「キオ式ミクの登場」「MMDの出現」に続くぐらいの重要なエポックになるでしょう。PSPを持っている方は速攻、持ってない方もPSPごと購入しても絶対に損はしない、そんなソフトだと思います。

*1:もちろん、曲とシーケンスによって出現位置は厳密に決まってはいるけれど、ギターフリークスドラムマニアバンドブラザーズ太鼓の達人などのように、楽譜の場所やタイミングのポイントがゲームシステム上で一つに決まっているわけではなく、判定用オブジェクト画面中に散らばる、という意味です。

「プレミアム会員」の月額を可変にしてみたらどうなるだろう

ねとすたシリアス

自分を含む、ニコ厨かつねとすたファンの中で、非常に狭いごく一部の人と思われる層が待ち望んでいたであろう、「視聴者置いてけぼり上等で専門家や識者がガチモードでネットの現在や未来を語る」という番組が、ついにYoutubeにきました。

ねとすたシリアス第1回前編その1
http://www.youtube.com/watch?v=fsVTRFUDTas

こんな濃い企画というか、地上波でもBSでも載せられないぐらいの企画をよく実現してくれたものだと思います。まずはディレクターのアンディさんお疲れ様といったところでしょうか。座談会形式というか反省会みたいな形式ですが、メンバーが非常に濃く、内容も非常に充実している感じで、非常にいい企画だと思います。

「プレミアム会員の月額を可変にしてみたらどうだろうか」

今回は前編の1〜6まで公開されたわけですが、その中で白田先生が言ってたニコニコ動画の資金がショートしそうだから、みんなお願いお金払って、って言えば案外皆払ってくれるんじゃない?」っていうアイディア、なかなか鋭いというか感覚としては分かるものがあります。野尻先生こと尻Pが提案された「大人ならプレミアム会員」キャンペーンでしたっけ、そんなのが結構功を奏したというのもありますが、「せめて場を提供してくる人になら、なんだかんだスポンサードしてあげたい」というのは感情としてあるのは事実でしょう。

で、ねとすたシリアスでの白田先生の話をみて思ったのが「プレミアム会員の月額を可変にしてみたらどうだろうか」というアイディアです。つまり、今現在は月額500円固定ですが、これを「500円以上1万円未満で、自由に課金額設定できる」風ににしてみたらどうなるだろうか、という妄想ですね。

条件としては、下記の条件を想定してみます。

  • 課金額は最低500円から最高額10000円まで500円刻みで可変
  • プレミアム会員としてのサービス品質に差異を設けない(500円でも1万円でも同一品質となる)
  • 高額課金者、低額課金者を特定する手段はない
  • ただし「課金額と人数の分布」は公開される

2番目の条件は当然としても、1番目は「逆だろww」と普通は思うところなのですが、ことニコニコ動画を始めとする「ネット上のムーブメントにおけるお金の払われ方、お金の動き方」を見る限りだと、「払える人は払えるだけ払う、払えない人はは払わない、だたし、払う人はちょっとだけ自尊心が満たされる」という方向性を上手く演出するのがいいような気がするのです。

例えば、ストリートパフォーマは、お金を払う人と払わない人に明確な区別をつけたりはしません。もちろん路上で「サービス品質を、カネを払った人と払わなかった人で差をつける」ことは現実問題として不可能である、という事情はあるのですが、実際問題それを行えたとしても「やる」人ってそれほど多くないと思うのです。「もし自分がカネを払った立場だったとしても、目の前で差をつけけられたらなんとなく嫌だ」というのがあるんですよね。例えば「目線をくれる」とか、「買った人は握手してくれる」とか、そういう「オマケ的な要素」として得をするのは非常に嬉しいのですが、そのパフォーマーが披露している「芸の本道」のところで差を付けられるとむしろ気分が悪い。

ニコニコではすでに「一般会員」と「プレミアム会員」でサービス品質に差異があるわけで、厳密にはすでにもうこの条件は満たされないことにはなっているのですが、プレミアム会員同士でということなら逆に差異は無いほうがいいような気がします。

最後の条件、「課金額と人数の分布の公開」については、「ちょっとだけ自尊心が満たされる」というのを実現するアイディアです。「1万円払ってるのが200人いるぞwww」的に話が盛り上がると、案外「自分が払ってる」側にとってはニヤニヤ出来て嬉しいし、「誰が払ってるのかが誰にも分からない」のなら、安心して話が盛り上がれそうな気がするのです。

まあ、こんな制度にしたところで「月額500円以上を自主的に支払うユーザーなんぞ1000人もいるかどうか」という気はしますが、ちょっとした妄想ですね。

雪かきってむしろ

著作権の“雪かき”は進んだか――初音ミク発売から1年半
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/23/news049.html

 「雪かきみたいなものだよね」
 「初音ミク」発売から1年半あまり。誰も足を踏み入れたことがない雪原で雪をかき、人が通れる道を模索してきたと、開発元クリプトン・フューチャー・メディア伊藤博之社長は話す。

というようにユカたんが冒頭でまとめるような「道なき雪原に道を作ること」じゃなくて、むしろ

 急速に盛り上がったブームを見たコンテンツ関連企業からは、商品化の問い合わせが殺到。「CDを出さないか」「アニメ化しないか」「ぜひゲームに」――07年末〜08年春にかけて同社には、さまざまな企業からありとあらゆる打診があったという。

 「当時、企業はみんな焦っていて、クオリティー度外視で商品化を急ごうとする企業も多かった。“同人ゴロ”と呼ばれるような企業からも『CD出してやる』と連絡があった」と、初音ミクを開発した、同社の佐々木渉さんは振り返る。

 もうけることが目的なら、クオリティーなど気にせずすべてのオファーにOKすればよかったかもしれないが、そうはしなかった。

 「一度に商品化すれば、売れ残りの山ができることが目に浮かんだ」と伊藤社長は言う。一時的なブームに見えてしまうのを嫌い、テレビでの露出も報道系を除いては、原則断ってきた。

こっちの作業のほうが「雪かき」作業のイメージに近いような気がするのだけれどどうなんだろうか。
元道民の実感的にですけどもねw
こう、次から次へと降って来るのを必死にかき分けるイメージっていうか。

ポップスとクラシックとJ-POPの未来

N3さんコメントありがとうございます

コメント欄に書くとまた長くなりそうなんで、エントリを起こしてみました。

N3 『> 「安直なお約束に頼った安直なコンテンツ作りが横行している」
昔からメインストリームを行く(大衆が受け手となる)文化って、ずっとこの病にかかっては栄枯盛衰を繰り返してますよね。』(2008/10/19 10:32)

結局、その栄枯盛衰を繰り返しながら、音楽は進歩し、または伝統になっていくんでしょうね。乱暴に言ってしまえば、その手法やサウンドが100年生き延びればもうそれは「クラシック」になってしまいます。バッハだってモーツァルトだってベートーベンだってショパンだってリストだって、その当時の時代の中では「ポップス」に相当する「大衆音楽」だったのが(バッハやモーツァルトはちょっと客層が違うとは思いますが)そのサウンドや手法の優秀さが100年単位で大衆に認められ評価の栄枯盛衰を生き延びた結果、今では「クラシック」と呼ばれているわけですからね。
J-POP王道進行も、もしこの先100年生き延びれば、クラシックとは言わないまでも「手堅くお堅い伝統の手法」という評価になるのかもしれません。演歌におけるヨナ抜き音階の扱いみたいな感じですね。そして、日本人にとっての大好物っぷりからするとその可能性はひょっとしたら意外に高いのかも知れないとすら自分は思っています。だからこそ、JPOPを作っていく作曲家や編曲家のプロの方には、貴重な資源を浪費したり焼畑をするのではなく、「王道進行を使うからには、生半可なセンスのメロディじゃ話にならない」「後世に残るもっと素晴らしいメロディを作ろう」といった方向に頑張ってほしいと思います。

JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた

「名づけて"王道進行"」

昨日アップロードされたニコニコ動画の中で、一部(?)で超話題になり、ジェバンニも幾人かでまくってる動画があります。それが今回のタイトルになった「JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた」シリーズです。
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少なくとも過去30年に渡るJ-POPの代表的なヒット曲の特にサビの部分において、

「IV△7 → V7 → IIIm7 → VIm

この和音進行が使われまくっているという事を、実際に音を鳴らしながら実証して見せたというものです。投稿主は「動画を見ている人が分かりやすいように、比較しやすいように」ということで、実際には全てCメジャーコード(極端に端折って言うと、基本的に黒鍵を使わない白鍵だけのドレミファソラシド)に転調して演奏している動画です。動画の冒頭でも述べられているように、「J-POPとはなにか、J-POPとは一体どのような楽曲をいうのか」に対する、究極の答えを示す動画と言っていいと思います。演歌というジャンルにおける「ヨナ抜き音階」と同様の基本的なお約束ですね。

実は自分は、この動画タイトルを見た時点では「はいはいカノン進行カノン進行w」とか思ってたのですけれどもねw

「王道進行」とJ-POPと洋楽

この動画では、「日本人はなぜかこのコード進行が大好物である」事を、過去30年に渡る「J-POPの代表的なヒット曲」を上げるばかりではなく、後編の動画において「日本でも大ヒットした洋楽POPS」を例示してみたり、ユーロビートが唯一商業的に生き残っている唯一の国が日本である」事を言及することにより実際に実証して見せています。どのような曲が挙げられているか、どのような論理があるかということは、実際の動画を見ていただくとしても、この投稿主の「音極道」さんの実証と論理には反論の余地がないでしょう。動画の中には、驚きの声が多数あったり「コードは限られているんだから当たり前だ」的な話もあったり、まあ軽く喧喧諤諤があるわけですが、そういう反応をじかに見られるというのは、アップロードをした「音極道」さんにとっても私たちによっても非常に良いことだと思います。

音極道さんによるもう少し詳細な解説はこちらです。

JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話
http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html

とにかく語りたい事が多すぎて、最初のテイクでは1時間以上になってしまって焦りました。

分割してもいいし字幕無くてもいいから、是非ノーカットでうpって欲しいと思います。無編集だろうがなんだろうが、こんな良質なコンテンツをニコニコユーザーが見逃す筈がありません。ニコニコユーザーの皆さんが字幕つけてうpり直してくれると思いますよ。

ジェバンニの登場

まあここまでなら、今までのネットのプラットフォームでは普通にYoutubeでうpされてブログで多数のトラックバックが貼られるという話で終わるのでしょうが、さすがニコニコ動画、こういうのに対して「文章やトラックバックではなく、さらに動画という形でアンサーを帰す」という人が登場します。何人かのジェバンニ一晩でやってくれました

王道進行だけでニコニコの曲を表現してみた1
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※実際にはpart3まであります
「王道進行」っぽい曲をかき集めて繋げてみた
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エアーマンが倒せないやらみっくみくやら鳥の詩やら「god knows ... 」やら、もう本当に数多くの楽曲が王道進行を使用しており、それゆえに「適当にかき集めた曲が、メドレーや二重奏で見事に綺麗に繋がる」ところが大変興味深いですね。先の音極道さんの動画がうpされた時点では「JPOP涙目wwww」「さすがJPOPは糞www」みたいな反応があったのですが、自分たちが支持していた曲もまさにど真ん中だったのがまあ面白いといえば面白かったかなw

「お約束」の安易な活用による、コンテンツの画一化

音極道さんが後半の動画で述べているように、王道進行そのものに罪はありません。音楽というものの特性上、「大多数の人が気持ちよく聞こえる音の組み合わせ」というのは非常に限られており、ソフトウェアにおける「フレームワーク」のように活用するというのは、表現上でも商業上でも非常に有効なことです。音極道さんもおっしゃってますが、「実力や個性はあるが、売れないミュージシャンを世に知らしめるためのカンフル」としても非常に有効だと思います。問題なのはやはり音極道さんが批判しているように「安直なお約束に頼った安直なコンテンツ作りが横行している」ことでしょうね。音極道さんはavexレーベルの最近のヒット曲を批判されていますが、これは恐らくブーメランとしてニコニコ動画ユーザーにも跳ね返ってくる批判だと思います。一つのジャンルが流行れば雨後の筍のように亜流や亜種が出てきてしまう現状は、「売上」を「再生数/コメント数」に置き換えれば、まさにニコニコ動画の状況と同じといっても過言ではないかも知れません。私たちニコニコ動画ユーザーも、音極道さんが発表したこの批判のまな板に乗っているのではないでしょうか。

J-castの秀逸な記事

「日本の公的資金投入の薦め G7で相手にされず」その後

J-CASTのこの記事が最近注目を浴びています。

日本の公的資金投入の薦め G7で相手にされず
http://www.j-cast.com/2008/02/27016904.html

米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題が深刻化する中、バブル崩壊後に未曾有の金融危機を招き、「失われた15年」を経験した日本は、2008年の年明け以降、国際会議などを通じて「金融機関への公的資金投入の重要性を訴える語り部を演じている」(当局筋)が、欧米各国から一顧だにされない冷たい仕打ちに会っている。
(略)
サブプライム問題では、欧米政府が多額の損失を出した大手金融機関に対して速やかな公的資金の投入を決断すべきだと間接的に求めているが、「ポールソン米財務長官や欧州中央銀行(ECB)幹部らはどこ吹く風と聞き流し、ほとんど相手にされていない」(同)という。
(略)
「欧米もサブプライム問題がさらに広がってくれば、公的資金投入に踏み出さざるを得なくなるはずだ。その時の奴らの顔が見ものだ」(日銀幹部)という声もあるが、どうなるか。

また、この記事はコメント欄も非常に興味深いものがあります。

3:匿名 2008/2/27 12:57
あー。損失補填のための公的資金投入は、銀行だけが助かり、構造インフレを起こす下策。常識だよね。これじゃ欧米に相手にされなくても、仕方ないな。
サブプライム問題は世界経済が初めて直面した状況であり、日本のバブルとは問題のレベルが違う。過去に正解を探すのは無理だと思うよ。

7:匿名 2008/2/27 16:31
自由主義陣営で民間銀行に無駄な公的資金など投入しないのが当たり前でしょう。旧大蔵官僚には天下りの思惑か?

まあ結局なんだかんだといいつつ、金融安定化法案やらなにやらでアメリカの公的資金を市場に投入することが決定したわけで、つまりは結局日銀の人の予言が当たったわけですね。後半のコメント欄やはてなブックマークでのコメントでは、日銀の人の慧眼っぷりを称えたり、ポールソン氏や欧米の金融関係者の発言や2月当時に日銀や日本政府をあざ笑っていた人を晒し上げするようなコメントが多く続いています。

ですが、その中には後だしジャンケンだとそれを批判するコメントがいくつかあったりします。確かに時系列だけを見るとその通りに見えますが、実はそれは似ているようで問題が全然別ではないでしょうか。

景気動向予測が当たった/外れたは、本質的な問題ではない

j-castの記事の時点での、ポールソン氏や欧米の金融関係者による、公金注入拒否の態度と、最近の「金融化法案」を始めとする現実の違いは、実は景気動向予測があたった/外れた」の問題ではありません。

2月の時点でポールソン氏をはじめとする金融関係者が言っていたのは、「いざとなれば投入するが、そのような事態にはならない」ではなく、「金融政策の方針として、公金の投入は行わない」という意味と取るべきです。つまり、日本にとってまたはコメントの方にとっては「公金投入するほど悪化するかしないか」の問題に見えますが、ポールソン氏をはじめとする欧米の金融関係者にとっては、「自分たちが信じている経済理論が正しいことを、これからも信じるか、信じないか」という問題なのです。

2月当時にての、日銀関係者や欧米金融関係者の、景気動向予測が当たった/外れた」は対して重要な意味を持ちません。それよりも何よりも、「自分たちが信仰し、時には反対者を嘲り笑っていた根拠となる経済理論に誤りがあることを、自分たちが認めざるを得ない状況に追い込まれた事、これが一番重要なことです。9月以降にコメントしている人を後だしジャンケンなら何でも言える」といったような主旨で批判している人は、その意味の重大さが分かっていないのではないでしょうか。

他の事例に例えるなら

今回の、アメリカにおける公金注入決定は、ただ単に「動向予測が当たった外れた」の問題ではありません。例えていうなら

  • 「聖書は一言一句全て正しい」とするキリスト教信者が創造論に間違いがある。進化論が正しい」と認める。
  • 2ちゃんねらの人が「これからはmixiで実名SNSだよね!匿名ネットなんかだめだよ!」などと主張する。

というのに例えられるぐらいの、非常に重大な「思想的、信仰的なターニングポイント」であると私は思います。いわゆる新自由主義経済、いわゆるミルトン・フリードマンの経済思想、そういった思想の熱心な信仰者が、それまでの思想の少なくとも一部が間違いであることを認めなければならない事態になった、このことこそが、j-cast記事と最近のニュースにおいて一番注目すべき点ではないでしょうか。