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EXAPON Becky!

「オレ的ゲーム速報@刃」「はちま起稿」記事一覧
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2004-12-19

「UMDはPSPという機械に夢を見させ、そして限界を作り、その中に閉じ込めてしまいました」

PSPがここからどうやって逆転できるか真剣に考える8

http://game10.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1102970512/522n-

522 :名無しさん必死だな :04/12/18 15:36:31 ID:0W8rhs4s

>>517

全く無いとは言いませんが。


PSPが出るまで、ソニーは災難続きでした。

海外ではMicrosoftが潤沢な(圧倒的に潤沢な)資金にものを言わせてシェアを奪いにくる、

(これは据え置きゲームがやりたいのではなく、家庭用ネットワーク端末を確保したいからです)

SONYの象徴でもあったWALKMANは思わぬ伏兵でありイメージではソニーと並ぶほど強いApple

(今回はMSの妨害を全く受けず)iPODで市場を席巻する、

生保とか損保とか銀行とかといったついでの事業ではなく、AVとゲームという二本の大黒柱において

かなり危険な状態に陥っていました。まあ、PS2は大丈夫ですけどもう普及しきった市場なんで、

とにかく北米では「次」が危ないわけです。これを否定できるソースはなかなかないと思います。

困ったソニーは一計を案じます。MSがほしがっている「家庭のネットワーク端末」はSONYとしても

喉から手が出るほど欲しいのですが、据え置きであの馬鹿みたいにでかい企業と張り合っても

勝ち目はないと踏みました。そこで、「ゲーム機携帯機にしてしまおう」と考えたわけです。


525 :522 :04/12/18 15:45:02 ID:0W8rhs4s

無線LAN環境も一般的になりつつあり(完全にとは言いませんが)、

今は任天堂一社が独占状態、しがらみをほぼ持たない任天堂ソニーにとっては

常勝相手、格好の獲物に見えたでしょう。GBAのあとGBASPを出し、

あと2年はGBA2の足音は聞こえない、そういう時期でした。タイミングもばっちりです。

ここで多少無理をしてもGBA市場を丸ごと奪っておけば、将来的にPS3がXBOX2に

シェアを奪われることがあっても、ティーン層とそこから切り込める家庭のネットワーク端末

(これはつまりネットで決済をする自動販売機の窓口になるということです)の地位は

万全に思えたことでしょう。

しかしソニーが間違ってしまったのは、その携帯ゲーム機市場を奪うという夢のような道が

あまりに魅力的だったため、iPODに押されるWALKMANの役目も、東芝や松下に押される

映像事業の夢も、そしてゲーム事業の夢も、すべて覆い被せてしまったという点です。


532 :522 :04/12/18 15:54:35 ID:0W8rhs4s

>>525のつづき

皆さんがなぜメモリースティック採用なんだ、とか、なぜ出もしない映画音楽UMD商品のことが

ここまで話題になっているのか、と疑問に思うのは当然のことです。ゲーム以外のAV関連で失敗した、

あるいは失敗しそうな事業を「携帯ゲーム市場の完全制覇」ですべてひっくりかえそうというのが

ソニーの考えでした。PSPメモリースティック業界標準スマートメディアになれば、デジカメ

VAIODVカムもHDDレコーダーも、全てがソニーの思い通りに行くだろう、UMDメジャーになれば

映画業界ソニーの支配下だ、と。

そしてそれは、多少の無理こそあれ、今のPlaystationの勢いなら実現できたはずだ、と私も思います。

これがなぜこんなことになったのか・・・私には実はよくわかりません。

今現在、PSPの勝ち目はかなり薄くなっているように思えます。

しかし、任天堂NintendoDSを出していなければこんなことにはならなかったはずだということは言えます。


544 :名無しさん必死だな :04/12/18 16:08:53 ID:0W8rhs4s

>>532のつづき スレ違いといえばスレ違いですねこ

「なんでこんなもんがこのタイミングで出てくるんだ」と考えたSCEの社員さんは多いでしょう。

任天堂携帯ゲーム市場はほぼスーパーファミコンリメイクで回っており、ポケモン一強市場、

任天堂はここで冒険をする必要はなかったはず。そこにソニーの勝ち目もありました。あと二年は

GBA2は出ず、京都の愚直な「ゲーム屋」は、2003年E3で完全に泡を食い、携帯ゲーム機市場が

奪われていくのをただ呆然と見守っているだけ・・・という展開が約束されているかのようでした。

しかし03年末、任天堂は意外なことを言い出します。「異質なゲーム機を開発している。それには

あるプラットフォームを使うが、詳細は言えない」思えば2003年任天堂社長が交代した年でも

ありました。岩田聡氏が40代の若さで任天堂の組長こと山内溥氏の後任となった年です。

彼を中心とした新しい経営陣が用意しいていたのは、「二画面タッチパネルマイクつき3D性能を持った

携帯ゲーム機」でした。明らかに、ソニー携帯市場を奪いにくると予想されていた対応の早さでした。


559 :名無しさん必死だな :04/12/18 16:24:13 ID:0W8rhs4s

>>544のつづき そろそろ終わります

すこし任天堂について書きすぎてしまいます。すいません信者なもんで。

しかしNintendoDS(以下DS)がPSPと同じ04年末に発売日を持ってきたことで、ソニーは03年5月から

言っていたことなのに、04年末に発売せざるを得なくなってきました。本当だったら05年の4月か5月頃

までは余裕があったはずです。E3-2005はPS3とXBOX2のお披露目があるので。

ここからソニーの失敗が続きます。まず初めに、04年の年始まではDSが「何なのか」さえわかって

いなかったため、ソニーの内部でもかなり時間をロスしました。任天堂が詳細を最初にリークしたときも

「実は二画面のゲーム機」ということを言い出したので、血迷っているんだなくらいにしか思わなかった

節があります。しかし実態が見えてくると、ポリゴンは64級に扱えてタッチパネルが装備されている、

GBAとの上位互換も備えているということがわかってきました。おそらくソニーが少し変だと思い始めた

のはこの頃でしょう。もちろん外にはそんなことは漏らしませんでしたが。そしてE3を迎えます。


583 :名無しさん必死だな :04/12/18 16:36:59 ID:0W8rhs4s

>>559のつづき あとひとつくらいだと思う

NDSスペックがリークした2004年E3直前でしたが、その頃は既に各ソフトデヴェロッパ

仕様が公開され、各社の有名開発者DSに対する期待というものが漏れ初めていました。

そして5月、E3NDSがお披露目されたとき、ソニーはほっと胸をなでおろしてしまいます。

なぜなら、DS自体はプレイアブルで出展という恐ろしい開発スピードではあったのですが、

デザインがなんともかっこわるかった。これならPSPの圧勝だ、と誰もが思いました。

しかし事態はその裏で恐ろしい展開を見せていました。任天堂の隙を突いて満を持して計画してきた

はずのPSPが、9月のTGS2004でも実機ができていないありさま。UMDではなくメモリスロット起動で

なんとかゲーム体験することはできたものの、一部の人たちは不信感を持ち始めました。

またUMD映画音楽展開がうまくいかない。MGM買収も思ったほどの成果を挙げず、BD戦略も

順風満帆とはいかない現実がソニーを焦らせ始めました。

最初に切り捨てられたのは、ATRAC3でした。


609 :522 :04/12/18 16:53:05 ID:0W8rhs4s

>>583のつづき まとめられるだろうか・・・

ATRAC3を捨て、ソニー全体でmp3を解禁するという荒業で、PSPmp3対応を自然に見せることが

できました。これでマイナー規格三つ(ATRAC3メモリースティックUMD)のうち一つを切り捨て、

PSPはひとつ身軽になりました。iPODに勝つという目が増えたわけです。しかしゲーム面では

メモリを32MBに増やした以外は特に何もしませんでした。本当にすべきはタッチパネルの搭載で

あったにも関わらず、画質にこだわるあまりそれができなかったのです。

画質にこだわったのは、前述の通り、AV事業の夢をも背負ってしまったためです。

ひとつ書き忘れていました。TGS2004直前の9/21、SCEPSPの発売日と価格を発表する予定で

記者会見を開きました。しかしその同日、まさに記者会見の直前に任天堂DSの価格と発売日を

15000円税込み、12/2、と発表してしまいます。このあたりは大手ニュースサイトをご参照ください。

DSさえなければ、価格は19800円(税抜)より高くできましたし、05年5月までは余裕がありました。

もはや後戻りはできませんでした。


647 :名無しさん必死だな :04/12/18 17:17:48 ID:0W8rhs4s

>>609のつづき おつきあい多謝

空白の7分間、と報道されていますが、結局一ヶ月ちかくソニー沈黙します。

この間に任天堂DSは着々とCM攻勢を初め、携帯ゲーム機にしかできない武器をうまく使い

女性や子供の心を掴み始めます。分からない人はTouchDS.jpのMyFirstTouchを見てください。

PSPに課せられた重い十字架、WALKMANとUMD映画と「ソニーの将来」が、PSPに何もさせて

くれませんでした。

本来急がなくてよいプロジェクトを、あまりに急いで「ホラ勝った!」と発表した03年の5月。

あのとき久多良木社長が誇らしげにかざしたUMDが、将来を約束するはずだったのに。

UMDPSPという機械に夢を見させ、そして限界を作り、その中に閉じ込めてしまいました。

12月12日、既に57万台売っているDSを横目に、PSPは発売されました。

製造が間に合わず、予約を絞り行列を作らせるというソニー営業の秘策は効を奏したかに

みえました。

そして起こった現実は、あまりにも象徴的すぎました。

       アッ!!  

  ∧,,∧ て   ◎

 (; ´゜ω゜)て//

 /ヽ_ァ( PSP )   

 しー-J

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