真夜中ってドキドキしない?

自分を憎む。そういう境地に近づいています。鬱のチェックリストには必ずといっていいほど入っているこの質問。自分を憎むってどんな感覚なんだろうか。そう思ってる人にちょっとだけ教えてあげたいこんな気持ち。

自己否定はいつも悪いことしか招きません。自分の潜在能力にカギをかけているのも、いわゆるこれです。マイナス思考なんていわれてもいます。簡単に言えば「どうせ俺なんか…」の精神です。過去の過ち、自分の失敗を経験してそこから立ち上がれない最大の原因でもあります。反面、もっと大きな失敗を犯さないための戒めでもあるのが、この感情の厄介なところです。

さて、鬱病患者さんの「どうせ俺なんか…」精神はどうなっているか興味はありませんか?恐らく、大して興味は無いでしょう。大して興味ないことでも、この「どうせ俺なんか…」精神のせいで年間何人死んでることやら。無関心は罪とは言いませんが知ってて損はないでしょう。この日記を未だに読んでいる人がいるかどうかも不明ですが、どうぞ精神的に正常な方は後学のために私のブログを読んで欲しいですね。イタイ文章ですが薬学だって医療なんだから知っておいたほうがいいんじゃないんでしょうかね。(俺には関係ないけど)

私の「どうせ俺なんか…」デビューは大学一年の頃です。医者のでるテレビを見るたびに全身が硬直し、すぐにチャンネルを変えるようになりました。いまでは、フリーターという単語や○○歳という単語にも反応します。学校や未来のある子供なんかも全身が痙攣するような、若干の震えが伴います。医者に関して言えば逆に「トラウマ」です。あそこまで自分を追い詰めて勉強した日々を思い出すだけでも吐き気がします。模試でのE判定なんかも辛かったですね。勉強なんか大嫌いになりました。

時の流れは主観性と客観性を含んだ残酷な物です。自分にとってはたった一年でも世間様では大きく世界が動き、再来年には同級生は社会人1年生です。日々はだらしなく過ぎていくのにどうしてこんなにも俺はダメなのか、なんて思ったりします。(カウンセリングを受けて思ったことは傾聴の合間に褒め言葉をさりげなく入れてること。ありゃ癒されるね。でもネタはばれたぜ。カウンセラーの人もあまり患者をなめて掛からないほうがいいですよ)ダメ〜だめ〜駄目。

何をやっても上手くできる気がしない。過去の記憶、失敗の記憶が脳を必死に説得してきます。何かに取り掛かろうとするとき、普通の人でも過去の失敗が頭をよぎることはあります。これは脳の自然な反応なんです。脳の必死な説得によって人は危険を回避できる一面も常に持っているのです。ですが、これが鬱患者に訪れると絶望が全身を包みます。当たり前です、脳がぶっ壊れてるんですから。エラー反応を起こします。「お前なんて生きる価値はない」、「お前がいるから家族は不幸なんだ」、「お前は死ぬべきだ」、「これから先、お前は失敗ばかりを繰り返して何も出来やしないだろう」。これが幻聴として聞こえるステキな人もいるみたいですが、生憎僕は聞こえません。残念。

そりゃもう脳の障害なんだからしょうがないじゃん。そう思った方もいるでしょう。けど……しょうがない…ねぇ。諦念は自殺への階段の1stステップですよ?しょうがないですめば国が失った時間を取り戻してくれるのか、誰かが幸せにしてくれるのか。そんなに世の中甘くないし、弱肉強食なコンクリートジャングルでは僕らのような精神が病んでいる人間の生きる場所はありません。(あんな閉鎖空間に耐えられる奴ら、お前らみんなカラスか?なんて思う。けど、やっぱりうらやましいよね)

どうせ俺なんか…、傍からみればイライラする発言です。でも、これが言えるうちはまだ幸せな方。「どうせ」という言葉はまだ自分の可能性を若干信じている証拠。慰めてもらいたいのかもしれません。第二段階は「………」もはや何も喋れなくなります。空気になるとでも言いましょうか、感覚が鈍磨してどうでもよくなります。即ち空気。重度の鬱。この頃になると生き死にもどうでもよくなります。「自殺」は最大の逃避、快楽を求める最後の切り札です。自殺で悩んでいる方、結構いますけど自殺を考えるうちはパワフルな方です。自殺って結構むずかしいし、パワー使います。だからといって勘違いされちゃ困るのは自殺志願者はそれほど辛いという事。パワーがなまじある分苦しんでるんです。でも感覚が鈍磨すれば辛さもどうでもよくなります。重度の人は自殺願望もないのかもしれませんね。消えたいとは漠然と考えるだろうけど。

どうせ俺なんか人間は何処へ行く。母親のような暖かい人、もしくはそれに相応するシステム(グループセラピー)、人生の師、伴侶、宗教…色々ですね。自分を認めてくれる人が欲しいんです。人じゃなくても居場所でもいいんです。でもね、それも半分幻想だってわかってる。それでも欲しい。そういう気分なんですかね。恋愛依存症、SEXに依存する人、お酒に走る人、博打に走る人、大伝道師様から電波を受信しちゃった人。苦しみ方は人それぞれ、これぞこの世の生き地獄。俺はこれを「渇愛地獄」と呼んでいます。決して手に入らない愛を追いかけてる病んだ人間たちの悲しい宴です。