遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その16  訳の質について、日本語の質について

9月28日の「翻訳家 山岡朋子さん その6」でも紹介したエッセイ;

http://shuppan.sunflare.com/essays/yamaoka_2.htm 『新訳ブームに思う』

の中で山岡朋子さんが言う「良い翻訳」とは何だろう?

−−− 今はまだ、新しいもの=良いという意識が強いような気がする。翻訳の学校や通信教育がいくつもできた。出版翻訳に携わる人の数も増えた。翻訳者予備軍も大勢いる。だが、今までの書評を見てみると、作品内容についての論評が中心で、訳についてはよほどの瑕疵がない限り話題になっていないように感じる。−−−


一般的な「商品」同様、期待した以上の価値をお客様が認めた時、それが出版物の場合「良い本」と評価されるとおもう。ただしその出版物が翻訳作品の場合に訳が話題にならないのは、評価は翻訳そのものではなく翻訳も含めた総体としての内容に対するものだから。

お客様の「期待」は、作品のジャンル --- 文学書なのか、学術書なのか、ジャーナリズムなのか、娯楽なのか等 --- によって、あるいは人によって皆異なりますね。要はどこまで正確さが求められるのか、あるいは読み易さが求められるのか、と云った側面。

一方で翻訳は多分空気のような存在で、正しく読みやすく訳されているのは当たり前、との大前提があるとおもう。実際そうではないにしても、大多数の読者にとって翻訳の巧拙なんてあまり興味はありませんからね。感銘受けた部分が、原作がよいからなのか、翻訳がよいからなのか、なんてフツー考えませんもの。

しかし、その「当たり前」が当たり前で無くなり兼ねない状況があるなら、原著の論評と翻訳の評価(正確さ、日本語、独自性・芸術性など)を切り離す必要があるかも。ただしこれが非常に難しいだろうと思われるのは、書評を書く人が原著を読めなければならないこと、および翻訳の公平な評価って可能なの?ってことによります。

山岡朋子さんは、同エッセイの中で次のように書かれています;


−−− 新訳がすべて旧訳より良いとは限らない。多少ことばは古くても、旧訳の中には新訳には望めないような格調高く美しい文章のものもあり、読んでみるとリズムがあって、意外に読みやすかったりする。新訳になってやたらと平仮名が多くなり、文章もかえってまどろっこしく感じるものもある。逆に、和文解釈が必要だった作品が新訳のおかげで理解可能なものとしてよみがえることもある。新訳によって誤訳が正される場合もある。版権の問題があるため、新しい本は訳したもん勝ちとなってしまうが、そうでない作品はどんどん新訳が出てきたらおもしろい。そうなって初めて、訳のよしあしが取り沙汰されるようになるのではないか。 −−−


ひとつの原著に対して複数の翻訳が出版されるケースは、一部の有名な文学作品に限られるかも知れません。山岡朋子さんはこのエッセイの中で、『星の王子さま』を例として採り上げておられますが、このブログでもふれた大作ドン・キホーテだって、私が認識しているだけでも−−−

    • 堀口大学 訳 (確か正編のみ)
    • 永田寛定 訳 (正編・続編)
    • 会田 由 訳 (正編・続編)
    • 牛島信明 訳 (正編・続編)
    • 荻内勝之 訳 (正編・続編)

相当数ありますね。スペイン本国のみならず世界中でこの古典の研究書・注釈書がかなり発行されていますし、このレベルの翻訳者なら正確さが問題になることはまず無いでしょうから、アウトプットである日本語の文章の評価に限られるのでしょうネ。するとその評価も、多分文学に携わる方々 --- 作家さん --- にしか出来ないかも。

残念ながら、ユーザー(翻訳書の購入者、読者)には翻訳のよしあしを判断することができません。山岡朋子さんが書かれている様に、「訳文のよしあしについては個人の好みが大きい」あるいは「せっかく本を買ったのに、訳がまずくて残念だった」と云うレベル止まり。従って、評価はどの様に行うのか、最低限の品質の保証をどうするのか、など、そのギョーカイでの自主規制に期待するしかないでしょうね。

山岡朋子さんが寄稿されている WEBマガジン出版翻訳は、翻訳会社であるサン・フレア社http://www.sunflare.com/)が運営されています。先日 創刊編集長 藤岡啓介さんによる刊行の辞を紹介しましたが、その締めくくりで;


以下 http://shuppan.sunflare.com/editor/index.htm  より抜粋

−−−これらを、連続講義、エッセー、新訳掲載、翻訳批評、海外情報など、さまざまなスタイルでとりあげ考え、主張していこうと考えています。翻訳者だけでなく、広く編集者、出版コーディネーター、版権エイジェンシーの皆さんにも、ぜひともご覧いただきたく願っています。


と書かれています。私は藤岡さんの想定されているステークホルダー(利害関係者、とでも云うのでしょうか)ではなく一介のユーザーなのですが、大変興味深くこのWEBマガジンを読ませてもらっています。私に限らず、外国の文学なり芸術に興味を持ち、翻訳書とつきあいのある方なら楽しく読めると思いますが。さすがに参加はできそうにありませんが−−−


−−−と書いている時、先日手配した中古の原著 " A VEINTE ANYOS, LUZ*1" (邦題 ルス、闇を照らす者: 横山朋子 訳)がようやく届きました。アルゼンチンのプラネータ書房のものですね。とうとう届いちゃいましたか−−−

9月27日のブログ『翻訳家 山岡朋子さん その5 』で、「 --- 名訳の誉れが高い様なのでこの作品だけは原著と読み比べたい。まず原著、そして翻訳の順で読みたい -- 」なんて書いた手前、読まなくては。正直、エラいこと書いちゃったな、と少し恐ろしくなりますね。上にごちゃごちゃ書きましたが、私は作家でも翻訳家でもありませんので。

ただ、このブログの目的は「ビジネスの世界では長年西語・英語を操るが文学的素養に乏しい筆者が、女性翻訳家である山岡朋子さんを応援します。」ってことであるし、「翻訳元言語を操る能力では山岡朋子さんにそんなに負けてはいない」筈なので、決して提灯持ちにはならず(敬愛する山岡朋子さんに失礼ですからね)、私に出来る範囲で評価のマネごとをしてみます。時間はどれくらいかかるかなぁ?ペーパーバックとは云え結構ぶ厚いし。速読をきちんと習っときゃよかった。

*1:「年」を意味するスペイン語ではNの上に〜が付きます。その活字が無くたんにNで表記しても普通はよいのですが、「年」でこれをやると非常にまずいのでNYで代用