Hatena::ブログ(Diary)

翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 RSSフィード

【09Dic10 00:45 更新】
※ NZ炭鉱爆発事故関連リンク;
  ☆Stuff.co.nz / Pike River: Full coverage (複数メディアをカバー)  ☆Greymouth Star/ Pike River Disaster(地元メディア)  ☆Pike River 社 Home



※ ケーブルゲート 関連リンク;
  ☆Wikileaks 総合目次  ☆Wikileaks Secret US Embassy Cables  ☆Wikileaks Facebook  ☆WikiLeaks - Wikipedia  ☆SaveWikileaks.net  ☆Leaks  ☆United States diplomatic cables leak - Wikipedia  ☆guardian.co.uk 特集TOP (英語)  ☆EL PAÍS.com 特集TOP (西語)  ☆LeMonde.fr 特集TOP (仏語)  ☆SPIEGEL ONLINE 特集TOP (英語)



『翻訳』 とは、異なる言語間で文章を置き換えて表す技術です。 『ルス、闇を照らす者』 と云う翻訳書の背景およびそれに込められた普遍性のあるメッセージの考察をコアに、 「翻訳」 された米州を中心とする国際情勢に関する記事や話題、フラメンコ・一部フォルクローレ・ハンパな理系の話題など私の趣味の世界も紹介します。


カテゴリー


2009-01-31

私の大好きなフラメンコのこと その2: 女王 カルメン・アマジャ

私はあまり踊りには興味が無いのですが、それでも何人かつよく惹かれる踊り手がいます。そのひとりが、古今を通じて『女王』の名を冠することに誰も異論を唱えないであろう gitana(スペインジプシーの女性)、Carmen Amaya (1913 - 1963) です;

f:id:El_Payo_J:20090131111527j:image  flamenco-world.com より抜粋


主に Flamenco-world.com のアーチスト名鑑の記事を中心に簡単に履歴を紹介すると;

1913年バルセロナのソモロストロ地区で生まれ、4歳ごろからギタリストであった父親と共に人前で踊りや唄を披露、後には映画などにも出演して生計を立てた。スペイン内乱の勃発した1936年に一族郎党と共に米州大陸へ遁れ、主にアメリカ合衆国を中心として北中南米で広く活動、1947年スペインへ帰国。1952年、同僚のギタリストであったフアン・アントニオ・アグエロと結婚、1963年に亡くなるまで幸せな結婚生活を送った。(ただし亡骸をどこに埋葬するかでモメた様です。これだけの大スターになると避けられないことですが)

カルメンは生まれつき?腎臓の機能が不全であったらしく、踊って大量の汗をかいている限り問題は無いと云う、文字通り踊りが命を支えていた様です。ただし結局これが原因で1963年8月8日、巡業先で公演中に50歳の生涯を終えた。


カルメンの踊りに関しては、ピラル・ロペス、ビセンテ・エスクデロなど斯界最高峰の踊り手から、これ以上は考えられない程の賛辞が与えられています。私が読むに、また踊りから感じることは、その力強さとスピード、それと同居する女性らしい優雅さ・端正さ、独自性が高く評価されていますね。なお唄も数多く録音されており、そのきっぷのよさは一級品で私は大好きです。父親はカルメンを唄い手にしたかった様です。


YouTubeで幾つかの動画が見られます。これらに限らず音と映像がビミョーにずれてますが、以下3つ紹介しますね;

1944年(このビデオの題名から。*1

D

一般的な女性のスカートよりズボンとベストが似合いますね。スカートだと踊りにくかったのかも。


1959年(46歳、バルセロナ市内に自身の名が付され設置された噴水の、落成式典を伝えるTV番組から)

D

かなり小柄ですが、踊っている時はそう感じさせない。体に収まりきれない踊りが周りに発散しているせい?


1963年(晩年、スペイン版ロミオとジュリエット "Los Tarantos" に、ロミオの母親アングスティア役で出演)

D

唄もいいでしょう!!映画ではこれ以外にもカルメンの出演シーンや、アントニオ・ガデスの踊り(男の私が観てもかっこいい!!特にファルーカの踊り)など多数あり。


なお最後に紹介の映画(邦題は『バルセロナ物語』、カルメンや他アーチストが観たくてビデオを買った、私や私より年配の方々は多かったハズ)について、 Flamenco-worl.com の記事から以下抄訳で紹介しておきます;

https://www.flamenco-world.com/tienda/autor/carmen-amaya/137/

注: このサイトは一部日本語で見られます。

−−−この最後の出演作は63年春に撮影されたが、寒い中裸足で踊るなど、カルメンにとって相当ハードなものだった。休憩に入るとすぐに防寒着を着ていたが、カルメンのミスによる撮り直しは一度も無く、きっちりと役をこなした。撮影終了後すぐに夏の巡業に出掛けそこで亡くなったためカルメン自身はこの映画を見られなかった−−−



Carmen Amaya については、スペイン本国のみならず、北中南米にも相当数の記録 −−− 録画なり録音が残されている筈です。誰か Carmen Amaya の伝記を書いてくれないかな、と勝手に期待しているのですが。今までに幾つか発行された形跡はあるものの、Webで見る限りその全生涯を扱ったものが無い様な。

私には私のこだわりがあってここには書き切れない程の想いがありますが、Carmen に魅せられたひとは皆各々の想いを抱いています。Webなどで検索すれば、それこそ山のようにヒットしますので読んで見るのもおもしろい。


私の大好きなフラメンコのこと その11: 女王 カルメン・アマジャ その2 へ続く


●2009年4月25日、最初の動画「1944年」リンク貼り直し

●2011年4月28日、2番目の動画 (1959年) リンク貼り直し

*1:題名から辿って調べてみると、出所が1944年ユニバーサルピクチャーズが作成した "Follow the Boys" と云う音楽フィルムの様です。

url: http://en.wikipedia.org/wiki/Follow_the_Boys より

と云うことは、恐らくカルメンが渡米した1936年より前に撮影されたものでは?

2009-01-28

翻訳家 山岡朋子さん その26 林語堂さん著 『蘇東坡』 のこと

2008年10月1日付け【翻訳家 山岡朋子さん その8】にて紹介の山岡朋子さんエッセイ;

http://shuppan.sunflare.com/tosho/4_sotoha.htm

仕事・私事などに忙殺されながら複数の本を平行して読んでいたため相当時間がかかってしまいましたが、山岡朋子さんの上掲エッセイに触発されて購入の『蘇東坡−上下巻(講談社学術文庫、創刊30周年記念復刊)』をようやく読了。

偉大な文人としての蘇東坡については審美眼の無い私ごときが今更どうこう言うものではないが、生き方に共感するひとは多いのでは?時代も環境も違うので直接比較などしようがないが、身につまされるのではないか。誰でも呉復古の様に心身ともに?自由人でありたいと願うものの、実際には色々なしがらみから意に反した環境に置かれることが多いのでね。

口、というより筆が災いして自由を奪われたのだろうが、それが蘇東坡の蘇東坡らしいところ。世渡りのうまい蘇東坡なんて、ちょっと想像出来ませんね。蘇東坡は精神的には自由人だった訳ですから。そこが愛されて、当時の中国であれば死刑になってもおかしくない状況下でも助けられたのでしょう。もちろん運も良かったのでしょうが。

どんな環境にあってもそれを受け入れ楽しみを見出せるだけの余裕があったことも素晴らしい。また見方を変えれば、意に反してあちこちに飛ばされたことも決してマイナスでは無いとおもう。自分の行きたいところだけ行っていたのでは決してすることの出来なかったであろう体験が出来、それが文人の肥しにもなったであろうから。(でもトシを取ると辛かったでしょうね)

作品中色々な詩が紹介されていますが、特に感銘を受けたものがありました。読むのに時間がかかり過ぎてどれだったか探すのがホネなので、この紹介は別の機会に譲ることに。(奥様に捧げたものだったか?)


以上が読み終えてのいい加減な感想ですが、翻訳に関してひとこと。

2008年10月1日付け【翻訳家 山岡朋子さん その8】に、『ひょっとするとアメリカ人読者を想定して英語で書かれたものなのか?おいおい調べてみることに。』 とボケたことを書きましたが、下巻の「解説」にちゃんと書いてありました;


−−−本書は、1947年、彼(=林語堂さん)が52歳のとき、ニューヨークにおいて出版した「 THE GAY GENIUS - The Life and Times of Su Tungpo」を全訳したものであるが −−−


講談社学術文庫 蘇東坡(下) 林語堂/合山究訳 2006年5月10日発行 第6刷 324ページより抜粋


林語堂さんは1936年渡米以来30年間主に米国で執筆されたそうですが、あくまで中国人としてのアイデンティティーを貫かれた。するとこの原著は、コスモポリタンである中国人が、敬愛して止まない自国中国の文人について英語で書かれたものですね。するとある意味、オリジナルの著作そのものが既に翻訳書と云えそう。私が読んだのは、更にそれを日本語に翻訳したものですから、やはり距離があるはず。林語堂さんがご自分でいちばん愛着をお持ちだった書籍の様ですから、これは是非英語の原著で読んでみたい。

小説では無く作者の思い入れの詰まった伝記ですから、読むのには相当ホネが折れるのは覚悟しなければなりませんが、我々が慣れ親しんだ(とは言っても私の場合、学校で習っただけですが)漢詩が横文字でどの様に表現されているのか、と云うより林語堂さんがどの様に『翻訳』されたのか大変興味があります。これ以上の翻訳はあり得ないレベルのものであることは間違いが無いでしょうからね。漢字によって与えられるイメージではなく、無味乾燥なアルファベットをどの様に組み合わせて紡いでいらっしゃるのか−−−


この出会いを与えてくれた山岡朋子さんに改めて感謝!! なお書籍は、冒頭紹介しましたエッセイから購入可です。以下、プリントイメージ貼り付け:


f:id:El_Payo_J:20090128033808j:image


サイトにアクセスし、書名をクリックすると表示されます。


なおこの翻訳書も、いったん廃刊になったものが復刊されたものです。こんな書籍を廃刊にするなんて、殆ど犯罪行為ですね。ある文化レベルを標ぼうする世界で許されることではない。−−−と、勝手に私は思っています。

2009-01-26

翻訳家 山岡朋子さん その25  『ルス、闇を照らす者』 : 原作者 Elsa Osorio さん その1

2008年10月27日付け 【翻訳家 山岡朋子さん その20 『ルス、闇を照らす者』】にて翻訳書の復刊について記載しましたが;

http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20081027/1225062108

復刊の投票がそう簡単に集まらないであろうことは想像に難くない。私の本音は、人気があまり無いと云うだけで書籍を簡単に廃刊することに承服し兼ねる、即ち市場原理を考えもなしに文化に当てはめるんじゃあねえ、と云うことなのですが。

市場の声の重要性は私自身がモノを創って売るメーカーの人間ですから十分理解していますが、同時に、市場原理と云う、聞こえはいいが要するに弱肉強食の暴力の原理をあてはめちゃあいけないものもあるでしょ、との思いも強い。例えば社会福祉なんてその最たるものですね。それにお客様の声が正しいとは限らないし。

当面地道に、周辺から攻めていくしかなさそうですね。


『ルス』の原作者 エルサ・オソリオさん自身のサイトは;

西語サイトを見る限りでは1年近くアップデートされていない様ですが、最新の小説として "Las mil y una noches"(千夜一夜物語、Elsa Osorio・Luis Sepúlveda 共著)が2008年4月に発売されています。

なおエルサさんの活動は小説だけではありませんが、私は門外漢ですからここではサイトの紹介に止めますね;

      • 既刊書の紹介  サイト内では2006年の Cielo de Tango が最新
      • 各国メディアでの紹介リンク集
      • ワークショップの紹介
      • 書評の紹介
      • 原作者お勧め集; 書籍、サイトなど
      • 連絡先: 原作者本人、ワークショップのメールアドレス

別サイトでエルサさん本人の『ルス』に関する2006年10月コメントの動画が見られます;

http://www.perfil.com/contenidos/2006/10/19/noticia_0021.html

以下はサイトのプリントイメージです;

f:id:El_Payo_J:20090117181417j:image

このサイトにアクセスのうえ、この文のすぐ上にあるエルサさん画像をクリックすると見られます。日本語が不自由ですがあえて一部を訳すと;


−−−この小説を書き始めた頃、『おばあちゃんたち』が子供を捜し出したケースはあったが、少なくとも公式に知られている限り、子供が自分が誰であるかを捜しているケースは皆無だった。そこで、もし何らかの事情で、ルスの様に誰にも捜されていない子供がいたらどうだろうか?との思いに取りつかれたのがこの小説を書いた動機。架空のことではあるのにそれ以来現在まで、自分のルーツを求める若い人たちが沢山増えたのは特筆すべきこと。


−−− 書いていく過程で主人公になり切ることで自分だけでは出来なかった展開ができたし、自分より若い世代である主人公ルスの抱く希望が私にもうつってしまった。


−−− なぜ今まで捜してくれなかったのか?の問いに対して、それを正当化出来るだけの言い訳は無いのだが、自分が愛し合った両親から望まれて生まれて来たことを知るのが救いとなっている。 −−−

フィクションが現実世界に与える効果・影響について、アルゼンチンのスペイン語で語っておられますね。ですから、歴史の闇に光(西語で Luz )を当てるという社会的・教育的な側面だけではなく、小説としても本当に読み応えがある。山岡朋子(横山朋子)さんの翻訳はそれを忠実に日本語と云うスクリーンに映しているとおもいます。

このレベルの翻訳ものが、たとえ本棚の片隅でも本屋さんに行くとめぐり合えるのでなければつまらない。主な図書館には蔵書されている様ですが、多くの人の目にはとまりにくいですからね。

(そのうち続く)

追伸:上記訳に致命的な誤りがありましたら、右カラムのプロフィールに掲載のアドレスあて、遠慮なくご指摘願います。(ただし細かいのはカンベンして下さいネ、いつもアバウトな訳しか出来ないので)

2009-01-25

キューバと云う国: フィデル・カストロ と チェ・ゲバラ

テレビを見ていましたら、久々の登場となるキューバのカストロ議長のニュースと、チェ・ゲバラの映画の宣伝をやってましたね:

ニュース

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date1&k=2009012400004

時事ドットコム、1月24日付け記事、以下一部抜粋します;

病気療養中のキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(82)が、フェルナンデス・アルゼンチン大統領と21日に面会した際の写真が23日公表された。

(中略)

また、オバマ米大統領がキューバ・グアンタナモ米軍基地のテロ容疑者収容所の閉鎖を命じたことなどを列挙し、「最初の米黒人大統領はアメリカンドリームの生きる象徴」と評価した。(2009/01/24-00:07)


以下は、キューバを公式訪問した際のアルゼンチン大統領コメント;


D

Fidel Castro: 'Obama es un hombre sincero'


なおフィデル自身によるオバマ氏論評は以下で読めます;

http://www.granma.cubaweb.cu/secciones/ref-fidel/art82.html

(西語版)

http://www.granma.cubaweb.cu/english/news/art0047.html

(英語版)


映画


D

CHE 『チェ 28歳の革命』 『チェ 39歳 別れの手紙』 映画予告編

この映画の公式サイトは;    http://che.gyao.jp/


映画に関しては観ていないのでコメントは出来ませんが、いわゆる西側で作成された映画ゆえ、あまり期待はしていません。でも、これをきっかけにキューバに関心を持つ人が増えてくれれば嬉しいことです。


f:id:El_Payo_J:20090125003247p:image

で、この2件を紹介した理由は; チェは英雄でかつ多分永遠のアイドルですが、それと比べてフィデルのイメージは手あかにまみれた感がありますね。

でも考えてみれば、フィデルは1992年以来国連決議を無視し続ける*1『帝国』(この観点から、正に真の "Rogue State" と呼べますね)の露骨な嫌がらせや、反カストロキャンペーンにも屈せず1959年の革命成立以来50年に渡ってキューバを率いて来た実績がありますから、私は高く評価もするし、共感もしています。毅然としていますよね。

それに、フィデルは世界に名だたるアジテータです。演説は以下サイトにまとめられています;

http://www.cuba.cu/gobierno/discursos/index.html

1959年1月1日から2008年までの演説集、最近何年かのものは各国語に翻訳されています。これ、本当に西語の勉強になりますよ。彼の演説も YouTube などで見たり聴いたり出来るはずですし。


−−−『帝国』が宣伝する様な「悪魔」の下で50年も政権が続きますかね?世界中にテロを輸出している国は、実際にはどこでしょう?世界一、大量破壊兵器を所有する国は?キューバの周りの国々ではキューバをどう見ているか?いい機会なので、一度自分の認識を新たにすべきですね。

*1

国連総会における米国の対キューバ経済封鎖解除決議投票結果1992−2007
決議正式名称:「米国の対キューバ経済・通商・金融封鎖解除の必要性」

年度  賛成   反対   棄権   欠席 
1992 59 3 71 46
1993 88 4 57 35
1994 101 2 48 33
1995 117 3 38 27
1996 137 3 25 20
1997 143 3 17 22
1998 157 2 12 14
1999 155 2 8 23
2000 167 3 4 15
2001 167 3 3 16
2002 173 3 4 11
2003 179 3 2 7
2004 179 4 1 7
2005 182 4 1 4
2006 183 4 1 4
2007 184 4 1 3

反対国:2004年 アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ
      2005年 アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ
      2006年 アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ
      2007年 アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ
      日本は、97年より賛成投票。
2004年棄権国(1):ミクロネシア
2004年欠席国(7):エルサルバドル、イラク、モロッコ、リベリア、ニカラグア、ウズベキスタン、バヌアツ
2005年棄権国(1):ミクロネシア
2005年欠席国(4):ニカラグア、エルサルバドル、モロッコ、イラク
2006年棄権国(1):ミクロネシア
2006年欠席国(4):コートジボワール、エルサルバドル、イラク、ニカラグア
2007年棄権国(1):ミクロネシア
2007年欠席国(3):アルバニア、エルサルバドル、イラク


キューバの累積損害額1962年以降:
2004年:793億ドル
2005年:820億ドル
2006年:860億ドル
2007年:890億ドル(時価評価額2,220億ドル)


 以上日本キューバ友好協会HPより抜粋、 url は http://homepage3.nifty.com/aajc/archive43.html

2009-01-24

翻訳雑感: 自分の場合

翻訳に関する私の経歴を少し紹介;


中学生の頃から英語(のロジック)に興味があって、わからないなりにかつ生意気にも、別宮貞徳さんを初めとする理論書などを読み漁った時期もあり、コトバの専門的な勉強もして中南米で生活もした割には、翻訳への関心が薄くなっておりました。

多くの男の子がそうである様に(違うかな?)、元々物理学やら宇宙に関心があってそれ以外の本に親しむ習慣が無かったことが最大の原因? またある時期からは、全くの偶然でめぐり合ったフラメンコと云う音楽とその世界にのめり込んで行ったこと、コトバを勉強する過程でやっぱ原語で読まないと本当に理解なんて出来ないよな、との感が強くなったこと、本を読むだけでわかったつもりになることへの戒め、等々本から遠ざかるには充分な理由。つまり日本語への関心が薄れてしまった。


ところが転機は例の9−11。この日私はテネシー州に仕事で行ってまして、それなりにとばっちりを喰いましたっけ。

その2〜3年前、中近東との関わりが出来ていました。オバQ*1(注:馬鹿にしているのではありませんよ、服装から親しみをこめてこう呼ぶのです。その地の気候に合った実に合理的な服装と思います)が闊歩する湾岸のある国へ出張した際、そこで暮らす日本人と話していた時「オレは、イスラムって非常にまともな宗教だと思うよ」と言われたこと。この方はどちらかと云えば保守的な考えをなさるが合理的なビジネスパーソンなので、へぇ〜、このひとがそう言うんならそうかもしれないな、じゃあいい機会だから何か関係した本を読んでみようかと考え、滞在先ホテルの書店で物色して買ったのがサウジアラビア出版のクルアーンのアラ英対訳と、文字・装丁の美しさが群を抜いていたクルアーンのアラビア語版。この時は、ホテルの部屋でどちらかと云うとぱらぱらっと眺めた程度だったのですが、

9−11を報じるアメリカのTV・新聞を取引先やらホテルの部屋で見ていると、当初はやれ特攻隊だ何だと混乱していたのが、これはイスラムの仕業だと云う方向にマスコミがなびき始め、その後の経緯はご存じの通り。アメリカの報道の良心はこれを機に崩壊した、と私は考えています。(余談ですが9−11から帰国直後、この件について更に子供レベルの社説を臆面もなく掲載した毎●新聞に抗議しましたっけ。)

マスコミは全く信用出来ない状況下、中南米から見ていた北の帝国(以下『帝国』と略)を中心とする今の世の中の仕組みと、どう考えても誤解・曲解されているとしか思えないイスラムについて私なりに改めて勉強し出してから、嫌でも翻訳を意識し出しましたね。


9−11に限らず、カストロ率いるキューバ、チャベス率いるベネズエラやらイスラム・中東紛争に関する報道を横目で見ていて昔っから気に食わないのは、どう考えても一方的にある1国・1体制の都合のよい方向だけに誘導していること。根底にあるのは『帝国』が共産主義・イスラムに対して抱く恐怖であるし、他国の場合は『帝国』に対する気兼ねでしょうね。日本の場合は長年に渡る巧妙な植民地支配に慣れ切ってしまったことかも。報道機関なんて所詮株式会社ですから、そのステークホルダーの不利益になることは出来ない。昔からよく言われましたっけ、「新聞から少しでも真実を知りたいと思うなら、複数の系統のものを数多く読むしかない」。昔と違ってネットを使えばある程度実現可能でしょうが、9−11以降はそれも難しくなりましたね。

特に『帝国』の場合、9−11の際「味方しないものは敵と看做す」と云う二者択一、「国際社会の決定に従う必要はない、我々は一国で行動する」と云う独善性を世界中に公言し一方的に正当化しましたから、マスコミは皆骨抜きとなってしまった。いちおう報道の自由は確保されているのでしょうが、非国民とのレッテルを貼られて会社をつぶされてはたまったものではありませんから。『帝国』の自由なんて、そんなレベルです。


こうなると、日本○○新聞しか忠実に読まないようなビジネスパーソンなんて洗脳されてしまう。外国語なんて勉強もしないし興味もない『帝国』の住民なんかもっと簡単にコントロールされてしまう。「何故我々は憎まれるのか?」なんてボケた疑問を持つ。悪意は持っておらず無知なだけなのでしょうがね。経済的に『世界の勝ち組』と云われている国以外と関わったたことが無ければ、何の疑問も持たないのは仕方がないのかも。まあ、我々が生きている世界は、数の理論が幅を利かせる民主主義とカネ稼ぎ至上の資本主義に基づくと言えますから、社会主義・共産主義なんてもってのほかであり、日に何回も大袈裟なお祈りをする宗教なんて非効率(実は我々だって似たようなことはやっているのに)だし、ジハードなんてテロの道具としか思えないのでしょう。


ではどうやって自衛するかしないか?別にそんなことをしなくたって私は困らないと思えばしない自由はあります。でも自衛したいなら、自分の目で見て感じて、それが出来なければ他人の目を通じて見て感じて、自分で判断するしか無い。試行錯誤して自分独自の情報ソースを持つ。その為には、たとえ幾つかのコトバが出来ても限りがありますから、そこで嫌でも翻訳と関わることになります。特に日本語って、漢字やらフレキシブルな造語のおかげで、大量のデータを一覧させることが出来ますから時間の節約になりますからね。


その意味で信頼出来る翻訳、すなわち翻訳者を選ぶことの重要性に気付き、翻訳に対する認識が変わりましたね。ただしこれは何も翻訳に限りませんが。

*1:オバケのQ太郎。トシがばれますね。Wikip ed i a に相当の分量の説明あり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%90%E3%82%B1%E3%81%AEQ%E5%A4%AA%E9%83%8E

2009-01-22

私の大好きなフラメンコのこと その1: カディスの唄

1月15日付け『フラメンコの唄い手達: アグヘータス と ボリーコ』が実際にはその1ですが;

http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20090115/1231950707


翻訳とは直接関係はない様に見えて実は私の場合おおありの、かつ私が西語を学ぶうえで欠かせなかったフラメンコのことも気楽に紹介していくことにします。実は本を読むことよりも好きだったりして。私の好みですから旧いものが多いのはご勘弁。


フラメンコの基本要素は3つ:華やかな順に挙げると、(1)踊り (2)ギター (3)唄 ですね。私がのめり込んだ順は、(2) → (3) です。高校生の頃ラジオで聴いたギター演奏に惹かれ、そのギタリストが来日した際コンサートへ行き、その帰り道熱がさめないうちにギターのレコードを買うつもりが、偶然フラメンコの唄(これがまた渋いものでした)のレコードを見つけて衝動買い −−− その不思議な魅力に負けてそれから唄のレコードを集め出し、当時解説やら歌詞の対訳をしておられた勝田保世さん(結局生前お会い出来なかった)、濱田滋郎さん、中村とうようさん、ラモン・高場将美さん、小泉文夫さんなどの文章でどんどん深みに。

平行してスペイン語を独学で始め、結局宇宙物理学志望の道を踏み外して文系へ進路を変更、西語を専攻することに。西語が少しわかり出してからはスペインのレコードを集めましたが、お店の主人であったナガタ(多分「永田」)さんと云うおばちゃんの人柄に惹かれたことも手伝い、当時確か恵比寿あたり?から中目黒に引っ越したディスコマニアと云うお店に入り浸っていましたっけ。レコードショップはあちこち行きましたが、普通フラメンコなんて置いてなかった。

それから早xx年が経ちましたが、今は世界中からCDやらDVDが比較的容易に入手出来る様になり、最近では、昔であれば余程の好事家でなければアクセス出来なかった貴重な録画がネットで気軽に見られる時代に。


今日紹介するのは、私が大好きな女性の唄い手 La Perla de Cadiz (1925〜75);

D

題名は EN CAI LA PERLA Y M MORAO HACE 45 ANOS


解説は多分ドイツ語。冒頭、伴奏家のマヌエル・モラオに手を引かれて登場するのが、カディスの唄の大御所であるアウレリオ(1974年没ですから、このビデオの題名 "45年前" と併せて判断するに撮影は60年代初頭?)、まだ子供であった踊り手の ディエゴ・デ・マルガラ、そして ラ・ペルラと夫君のクーロ・ラ・ガンバなど。正に夢の様なメンバーです。内輪の宴会ですね、本来フラメンコを楽しむには最高のカタチです。

ラ・ペルラのレコードはそれこそ擦り切れる程聴いていますが、映像で見たのはつい最近。CDやらDVDでも昔の映像は入手できる筈。多分アウレリオを前にして緊張していた筈ですが、本領発揮のブレリアには感激、モラオの伴奏も!! 軽い唄から深いものまで幅広く、 Propio Sello を持って唄えるひとでした。50歳で逝ってしまったのは本当に残念です。


参考まで、更にラ・ペルラ自身のことを知ろうと思うなら、本人と旦那さんの言葉も聞けますね。例えば

D

題名は  la perla su vida de cadiz solea entrevista flamenco


いい教材でしょ? まして好きなことなら楽しいし。フラメンコの唄なんて云う超マイナーな世界でさえ相当数のビデオがアップされていますから、応用がききます。


学生時代にどなたかから紹介頂いたジャズやら、ブルースやら中南米のフォルクローレやら色々感動出来る音楽はあるのですが、やっぱりフラメンコの唄が一番私にはしっくりきますね。

2009-01-20

翻訳家 山岡朋子さん その24 『ルス、闇を照らす者』 : わかりにくい作品? その3

プロフィールにも記載の通り、このブログの主目的は;

出版された翻訳や訳者コメント・公開されたエッセイなどを通じて、山岡朋子さんの翻訳に対する姿勢や独自のプラスαを考察

することなので、山岡朋子(横山朋子)さんの出版された翻訳のうち私が比較的得意なスペイン語の唯一のもの、即ち "A VEINTE ANYOS, LUZ" について原著・翻訳書の両方を読んだ次第。昨年11月2日付け 翻訳家 山岡朋子さん その21 『ルス、闇を照らす者』 → http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20081102/1225634181 の最後に、

−−− 以上が原著・翻訳両方を読了直後の感想。次回は上述の『素直かつ忠実な翻訳』について考察できれば。

と書きましたが、その後私生活でのごたごたで忙しくなり、そのうちクリスマス・年末年始などで延び延びとなってしまっています。今回の考察はそれと一部重なるかも。


●私はこの30年近く、フラメンコや自分の勉強を除いた大半の時間はビジネスで西語やら英語と関わっておりますので、主張がはっきりして、何より分かり易いものが評価される世界で生きていることになります。その感性でまず原著を読み、その余韻が消えぬうちに翻訳書を読んだことは既述の通り。

文学なんて久しく読んでいませんでしたから、本の分量も考えて苦労するかな、との期待?を見事に裏切ってくれた程読みやすい作品でした。構成も文章(独白および対話が多い)も一級品だからです。シチ難しいものを求める読者にとってはむしろ物足りないんじゃあないか、と思った位です。


作品の大体の構成としては;

    • プロローグ  1998年の設定   父親との再会
    • 第1部    1976年の設定   ルス誕生、その前後の事件全容
    • 第2部    1983年の設定   ルス7歳の時に起こったこと
    • 第3部    95〜98年      ルス19歳〜22歳、出産・ルーツ捜し

つまり第1部以降は刑事コロンボの様なもので、真相が先に明かされ、ルスがどの様にそれを解明して父親まで辿り着くかが展開されます。ただし目線が次々と変わりますから、慣れるまで少し大変かも。


恐らく全くのフィクションではなく幾つかの実例に基づいて書かれた半ノンフィクションと思われ、小説中登場する『五月広場の祖母たち』は実在の組織でもあり、正に事実は小説よりも奇なりを地で行く様な小説です。読み出したら止まらない。とても重い問題を扱っていますが、理屈抜きにおもしろい。舞台はアルゼンチン、読者は日本であっても、抵抗なく共感出来ると思います。子を持つ親ならなおさらですね。

原著も翻訳も同じ感動を与えてくれましたから、詳細な比較検証は行っていませんが、翻訳が忠実に行われたことは疑う余地がありません。どちらも、私の様に文学の素養なんかなくても読みやすかった。


だから、わかりにくいって云うコメントはどう考えても理解出来ない。ルスがわかりにくいと云うなら、わかりやすい作品って何なのだろう? もし販売数が伸びないがゆえに絶版?になったとするなら、明らかにマーケティングのミスですね。原作や翻訳の責任ではあり得ない。一方で、字面を追うだけで考える必要のない小説だけが売れるとは思いたくない。ファーストフードは飾ろうが大きくしようが所詮ファーストフードであり、それだけでは健康を害してしまう。噛み応え・食べ応えのある食事は絶対に必要だし、需要も必ずある筈。

すると復刊させるには、読者層を特定するか創り出さなければなりませんね。さて、どうやろうか?チャレンジングですが、言い方変えると大変難しそう。大体が書籍のマーケティングってどうやるんだろう?ネットの力を借り、無い知恵を総動員して、空腹の読者を見付ける、ってことですね。


  • なおこの考察ではストーリーのわかりやすさ・わかりにくさだけに焦点を当て、内容については敢えて触れていません。この作品の意義やら原作者の意図、当時のアルゼンチンの状況やらその背後にいたものなどは別の機会に譲ることとします。原作者・翻訳者の想いが伝えられるとよいのですが。

2009-01-18

翻訳家 山岡朋子さん その23 『ルス、闇を照らす者』 : わかりにくい作品? その2

ただし以前書きました様に、その翻訳の質の判断は相当難しい;

→ 翻訳家 山岡朋子さん その16  訳の質について、日本語の質について

  http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20081017/1224208374


翻訳者がある意図を持って原作の文章を、誤訳と言われぬ様にある方向へ操作するのは、多分そんなに難しくはない筈。文学作品でならそれも許される、あるいはむしろ求められるのかも知れませんが、真実の追求を目的とする場合にはそれは出来る限り排除されるべき。 (続く)



  • 1月17日および18日付けのブログについて、元々は私自身の経歴を振り返りながらくどくどと考察するつもりでいったんアップしたのですが、あまりに山岡朋子さんファンクラブとは関係が薄く冗長であるためトリミングして再アップした次第。結果、1月18日付けブログが極端に短くなりました。(1月20日記)

2009-01-17

翻訳家 山岡朋子さん その22 『ルス、闇を照らす者』 : わかりにくい作品? その1

2001年6月横山朋子さん名で翻訳・出版された『ルス、闇を照らす者』(以下ルスと略す)に関し、「わかりにくい作品」との私からすると理解不能な声があるとのことなので、少し考察してみたい;


−−−この作品との出会いは、2008年8月ある事情があって翻訳サイトを物色している時に偶然めぐり合った翻訳家および物書き(文章の発信者)としての 山岡朋子さんのエッセイがきっかけ。

以前 ■翻訳家 山岡朋子さん その6 でも紹介したことのある;

http://shuppan.sunflare.com/essays/yamaoka_01.htm

Webマガジン 出版翻訳 『フリア・アルバレスと闇の時代』


端折って言うと、個人的に80年代から仕事と私生活で関わってきた中南米の作品を紹介・翻訳している方はそんなに多くないので単純に嬉しいこと、このブログのタイトルが示すとおり翻訳の質および翻訳に関するエッセイに共感したこと、ルスが扱っているテーマおよびその当時中南米では少なくなかった軍事政権下のアルゼンチンに興味があったこと*1、加えてそのテーマはある国のある時期の特殊体制下の問題にとどまらないだろうな、と云う直感があったことなど。翻訳家、原作および翻訳すべてに惹かれた、と云うことですね。

(この件続く)


  • 1月17日および18日付けのブログについて、元々は私自身の経歴を振り返りながらくどくどと考察するつもりでいったんアップしたのですが、あまりに山岡朋子さんファンクラブとは関係が薄く冗長であるためトリミングして再アップした次第。(1月20日記)

*1:蛇足(田中さん、ごめんなさい)ながら、ある程度独立していると思われるジャーナリストのサイトを紹介しておきます。賛同出来るかは別として独自の視点がおもしろいので、私はひとつの参考として読んでいます。→ http://tanakanews.com/

このサイトのウリは;


【フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)が、独自の視点で世界を斬る時事問題の分析記事。新聞やテレビを見ても分からないニュースの背景を説明します。週1回配信。無料です。】


アルゼンチンの軍政については、1998年2月18日付けの記事『独裁政治を時代遅れにしたのは「市場経済」』参照;
http://tanakanews.com/980218chile.htm

2009-01-15

フラメンコの唄い手達: アグヘータス と ボリーコ

今日は、前回 『なぜ英語が話せなければいけないの? その1』 でお約束しましたスペイン語のお勉強にあたっての私のインターネット活用について紹介しますね。

まず 2008-10-06 付け『翻訳家 山岡朋子さん その11 ドン・キホーテ』

http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20081006/1223219943

の中で荻内センセイと共に紹介した、フラメンコの唄い手アグヘータス(アブヘータス)をからめて始めますか。

便利な世の中になったもので、画質・音質に難はあるものの YouTube で手軽にビデオを見られます。例えば;


D


"Tio Gregorio, Borrico de Jerez, martinetes con Abujetas "

このビデオは60〜70年代のものと思われますが、フラメンコの唄好きなら狂喜するアーチストが出ていますね。唄い手は紹介したアグヘータス(若い方)とボリーコの2人、唄が無伴奏のものですから弾いてはいませんが、当代切っての名伴奏家であるモラオ兄弟(兄:マヌエル、弟:フアン)の2人が見えます。全員スペイン南部アンダルシア地方はカディス県の出身、かつ生粋のスペインジプシーですね。

アグヘータスは『翻訳家 山岡朋子さん その11 ドン・キホーテ』に記載の通り80年代に来日時、ボリーコとマヌエル・モラオはカディス県のヘレスで、フアン・モラオはレコードで聴き馴染んでいるのでこのビデオを選びました。

もちろん私がスペイン語の勉強にフラメンコの唄を使っていた頃にはこんな気の利いたものはありませんでしたから、LPレコードとその解説、および正に翻訳の一形態である歌詞カードが主な「静的な」教材でした。一方とにかくフラメンコの唄が好きでした(今でも浮気せず大好きですよ)から、今考えると随分ずうずうしいこともやってましたね。レコードの解説者と連絡を取ってご自宅にお邪魔したり、雑用を手伝う名目で来日したアーチストのホテルまで押しかけたり。でも、結果としてこれらの「動的な」教材を通じて聞くこと・話すことに慣れましたし、何よりフラメンコの世界に引き込まれましたね。

今はインターネットと云う便利な道具がありますから、マルチメディアで何かを調べることもそれを掘り下げることも拡げることも容易ですね。そこからリアルの世界を探索することが大事。他人から教わらなくとも、自分が本当に好きなことなら自分だけの道は開けます。仲間も出来るでしょうし、世界も広がります。

これからも「外国語の勉強方法紹介」にかこつけてはフラメンコのアーチスト紹介をしますが、自分のお好きなことに置き換えて、自分はこうしてみよう、ってふうに読んで頂ければ。

なお私はフラメンコの唄を教材として使いはしましたが、一方でそれを聴くということは、歌詞を理解することではなく唄として感じることですから別物です。胸の中に手を突っ込まれて心臓をぎゅっと握られ揺さぶられる様な感覚は、一度体験すると抜けられません。病みつきになる世界。おかげで?犠牲にしたものも多かったのですけれど。

2009-01-11

なぜ英語が話せなければいけないの? その1

今日は、外国語を学ぶことについての考察を;

外国語をメシのタネとしている/仕事の道具として使っているひとや学生さん・受験生などは除きますよ。

逆説的ですが、英語が出来ないと何で困るんだっけ?と考えるとどうでしょう?大半の人たちは、多分何も困らないのでは? 必要が無いのに時間やカネをかけて学ぶのは至難のワザ。ニンタイとかツヨイイシとかシメタフンドシ(死語ですが)が必要。楽しくない、業者が儲かるだけ。アタマの体操や、ボケ防止にはなるかも知れませんが。

日本の実質宗主国?であり、少なからぬ日本人が崇め奉りあこがれるアメリカ合衆国の大半の人たちは、たとえビジネスの世界にいても、外国語なんて出来ないのが大半。当り前ですよ、その必要を感じていないからです。英語は世界の標準語だと思っていますからね。実際はそんなに通じませんが。大半のアメリカ人は、カネにならない勉強はしない。(私のヨタですが、多分高い確率で正しい)

視点を変えますよ、日本に滞在していらっしゃる外国人の中には、我々が恥ずかしくなる程立派な日本語を話す方がいらっしゃいますね。そこまでいかないにしても、相当流暢に話される方は相当数いらっしゃる。日本語を専門に勉強されたケースは少ないでしょう、大半は苦労されたからうまくなった。生きていくため、仕事のため、ご自身の権利を守るため、くにに残してきたご家族のため、必死に勉強されたからうまいのです。

誰だって、その必要に迫られれば学びます。日本語のあまりうまくない外国人の恋人(超短期のコイビトは除きます)が出来たら、多分何をさておいても一生懸命勉強するでしょ。仕事で(=業務命令で)どこかの国へ行かされて、その国の言葉しか使えない環境に放り込まれたらいやでも出来る様になります。もちろん、その様な環境に置かれたことを受け入れる/チャンスと考える/楽しめるこころの余裕は必要ですが。私の身の回りにも実際いらっしゃいます。私は意外と負けず嫌いなのですが、ある方はある専門分野のために駐在されました。赴任時西語なんて全く出来なかったのが、何年かのお仕事終えられ帰国の際、一般的な西語であれば勿論私の方が上ですが、その分野については完全に脱帽、のレベルになっておられましたっけ。

自分は何故外国語を学びたいのか、本当に必要なのかをよく見極めれば、何をすべきかがハッキリしますね;

何故英語なの?

  • たとえば、イスラムのことを深く勉強したい、となれば、英語なんてまず不要。英語で書かれた、と云うより英米人の書いたイスラム関連のものはあたまっから偏見に基づくものが多くロクなものがない、と聞いたことがあります。日本の研究者の書かれたものには秀逸なものが多数ありますから、外国語はその段階では不要。もちろん、ムハンマドが預かった神の言葉であるアラビア語を勉強するのが最高!!クルアーンを1冊読める様になれば卒業みたいですし。
  • 私の場合は、フラメンコの唄の意味が知りたいと思ったのが、高校生時代西語を独学で始めたキッカケ。英語なんてまずカンケイない。*1 英語は主に勤め出してから必要になったためOJTで学んだことと、著名な言語学者としてではなく外交評論家であり論客でもあるチョムスキー教授の書籍を読むことでかかわり続けています。(蛇足ながら、911以降アメリカの大手メディアは皆骨抜きになったので、見出し以外は見ないことにしています。日本の新聞はアメリカ一辺倒だから、まして読まない。文芸・社会面は別ですが)

聞いて理解する・読む・書く・話す・議論するのどれが/どこまで必要なの?

  • 読んで理解出来ればよいケースが多いと思います。インターネットで世界中のサイトにアクセス出来る日本の様な環境にいれば、場合によってはフォーラムにカキコしたい、メールのやりとりをしたい、など、書くところまで出来た方がよいかも。

方法は?

  • 自分のニーズに応えてくれる学校や参考書、駅前ではない留学など、予算に応じて様々ありますね。でもそれだけではない。日本に住んでいるのであればインターネットを活用しないテは無い。一昔前は到底考えられなかったことが出来ますから。そのうち私のケースを紹介しますね。


必要に迫られて、だけではなく、音楽やら舞踊やら芸術やらこころから自分が楽しめることで外国語と関わるのは本当に楽しいし、苦労も苦労とは思わない。真の意味で自分の血となり肉となります。一生のうちに何度必要となるかわからない英会話なんて、カネの無駄遣いとしか思えない。

もうひとつ大切なこと;上手にやろうなんて考えないこと。ここだけのハナシ、ビジネスの会議の席上の英語なんて、大半は社外のひとには聞かせられたレベルのものじゃあない。でも、立派な英語が求められている訳ではなく、業務上での交渉・合意が求められている訳で、それが達成されればマルなのです。一発で通じなければ言い方を変えて何度でもやればよい。わからなければ、とことんわからない、と主張すればよいのです。メールも同じ。そのうち段々サマになってきますって。

特に必要もないけれど英語を勉強してみたいって? であるなら、楽しくやることが絶対必要なので、お勧めする訳ではないが、大多数の男性なら英語の合法的な?ポルノサイト閲覧とか、同じく大多数の女性ならロマンス小説を原語・翻訳で読み比べるとかいかが?まず挫折しませんからね。

*1:例外:ドン・ポーレンの書籍やらディエゴ・デル・ガストール愛好サイトなど

2009-01-05

再びキリスト(教)のこと: Los Reyes Magos

先日クリスマスのことを書きましたから、今日は東方三博士(あるいは三賢人)でキリスト教の話題を締めることに;


f:id:El_Payo_J:20090105010806j:image  Murillo の作品

出典  http://corazones.org/apologetica/reyes_magos.htm


1月6日(火)は、国によっては祝祭日となります。たとえばスペインの場合、主顕節の日 (EPIFANIA DEL SENOR)でお休み。自分の経験からかなりいい加減に言うと、子供へのプレゼントの日(オトナのそれはクリスマスだけ)かつクリスマスの飾り付けを片付ける日(家庭によって違うかも)ですが、宗教的な意味は;


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「公現祭」より抜粋


公現祭(こうげんさい、ギリシア語:エピファネイア(επιφάνεια 現れ、奇跡的現象の意))は、人としてこの世に現れたイエス・キリストが神性を人々の前で表したことを記念するキリスト教の祭日。本祭日は教派によって何を記念しているかについて違いがある。カトリック教会や聖公会、プロテスタント諸派では幼子イエスへの東方の三博士の訪問と礼拝を記念するのに対して、正教会では神現祭(しんげんさい、Θεοφάνεια)といってヨルダン川でのイエスの洗礼を記念し、三博士の礼拝は降誕祭で祭られている。「公現節」、「主の公現」、「主顕節」などとも呼ばれる。


これはキリスト誕生を祝うため、星に導かれて贈り物を持ってキリストと家族の元へ駆けつけた東方三博士 ( 西語で Los Reyes Magos、3人の名前は Melchor, Baltazar および Gaspar。『マタイによる福音書』2:1−13では「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていない) のことを指しています。


f:id:El_Payo_J:20090105010807j:image   出典は同上


私はキリスト者ではありませんが、大好きなフラメンコの唄の中に正に上の絵を唄った素朴な Villancicos flamencos (主に bulerias に乗せて唄われる)が多数あり、クリスマス〜三博士のテーマには親しみがあります。いつか紹介出来るとよいのですが。

---

振り返ってみると、西語を学ぶきっかけは1975年にめぐりあったフラメンコ、キリスト教とのふれあいは主に遠藤周作さんの作品、イスラムとのふれあいのきっかけは貿易業務、中南米とのつきあいは貿易業務および私生活、英語とのつきあいは主にジャーナリズム・IT関連および貿易業務 --- 私の宗教観・世界観・語感などはこれらによって培われたものです。