Hatena::ブログ(Diary)

翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 RSSフィード

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『翻訳』 とは、異なる言語間で文章を置き換えて表す技術です。 『ルス、闇を照らす者』 と云う翻訳書の背景およびそれに込められた普遍性のあるメッセージの考察をコアに、 「翻訳」 された米州を中心とする国際情勢に関する記事や話題、フラメンコ・一部フォルクローレ・ハンパな理系の話題など私の趣味の世界も紹介します。


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2009-02-28

私の大好きなフラメンコのこと その5: ふたたび エル・ボリーコ

先日も紹介した唄い手 Gregorio Fernandez "El Borrico" とは一度だけお会いしたことが。

1979年か80年、ヘレス郊外のペーニャ(フラメンコの同好会の様なもの、地元のファンの集まりですかね)  "Los Cabales" でのことでした。タクシーを飛ばして到着、お店へ入ったところで、組んだ手を杖に乗せてボリーコご本人が周りを圧倒する威厳と共に座っておられましたっけ。

その日のイベントは確か 『3人あわせて210歳』 ってなタイトルで、ボリーコと男性ひとり、女性ひとりでしたが、ボリーコ以外の唄い手のお名前がおもいだせない。伴奏は Pedro Carrasco だったか?

3人ともご高齢であり、狭い会場とはいえマイク無しのため空調類を全て止めて3人の唄が始まりましたが、豊かな声量と、外見からは想像出来ない(失礼!)、聴いている者を柔らかく包み込む様な包容力のある声でボリーコが唄った何曲かを目の前で聴けたのは本当にラッキーでした。その時に感じたことを表せるだけの能力は私にはありません。なお他のお二人の唄も素晴らしかったのですが、いかんせん息が続かず、1〜2曲で精一杯でした。


D

題名=TIO BORRICO QUE QUITABA EL SENTIO

音が割れていますが、唄の雰囲気を感じて頂ければ。

ボリーコの向かって左隣りは誰だかわかりませんが、更にその左の3人は多分アグヘータ一家、伴奏のマヌエル・モラオの右は弟のホアン・モラオの様ですね。


また、リクエストによる埋め込み無効ですが、下記は一見の価値アリです;


http://www.youtube.com/watch?v=uaCkO4WuX0k

この動画ではボリーコの踊りだけではなく、 Tia Juana la del Pipa の踊りも見られます。特に後者については、ジプシーのフラメンコ一家の中で育ち、誰に教わった訳では無い、自分の中から湧き出る愛嬌と独創性に溢れるフラメンコらしい踊りを披露しています。彼女の踊りは他の幾つかのサイトでも見られますが、私は上記サイトのものが多分いちばん彼女らしいとおもいます。可愛らしいって思いません?


経歴や評価などは以下参照頂ければ;(スペイン語の教材ってことで)

https://www.flamenco-world.com/tienda/autor/tia-juana-la-del-pipa/199/


フラメンコは、舞台芸術としてのそれだけが全てではありません。元々は、たのしみの少なかった時代、ジプシーを中心とする地元の愛好家が集まって楽しむ、逆説的ではあるが非常に高度な娯楽の中から名人上手が現れて職業化して発展してきた経緯がある。

フラメンコだけがスペインの音楽では無いのは事実ですが、でもこれだけ世界中に認知された民族音楽は他にありませんネ。


そういえば、日本にもペーニャがありますので、興味のある向きは是非訪問・参加を;

La Penya Flamenca de Tokio

url = http://f57.aaa.livedoor.jp/~flamenco/

2009-02-22

エルサレム賞授賞式での 村上春樹さんスピーチ: 多分 その3

前回 『−−−おかしなフィルターを通っていないこの記事だけをじっくり読んでみることに』 と決めた通りに全文と思われる記事を読んでみました。

ひとことで言えば、文学賞の授賞式というTPOから大きくかい離しない範囲で、文学者らしい表現で 「脆い人間のために元々は作ったはずの体制やら仕組みに振り回されることへの警鐘」 を鳴らされた、と感じています。


概ねスピーチの順に言うと、

  • 巧妙なウソを組み立てることで称賛されるのが小説家であるが、今日は出来るだけ率直に私の考える真実を述べるつもりである。特定の国家や戦争を支持しない立場からは、政治的なメッセージではなく小説の形で発信すべきであろうが、もっともらしく見えるフィクションを組み立てるにしてもまず隠れた真実を把握する必要がある。
  • 千人以上の非武装の市民が亡くなったガザ地区での激しい戦闘への抗議の意味で、出席しないほうがよいと云う助言やら書籍ボイコットの脅しがあったにもかかわらずこの場に来て話すことを決めたのは、大多数の人と反対のことをしたがる、自分自身で実際に見たり触れたりしなければ信用出来ないと云う、小説家の天の邪鬼さによる。さんざん考えた末の結論である。

以上前置きのうえで、

『小説家としての私のこころに刻み込まれているのは、高くて強固な壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵があれば、私は常に卵の側に立つことである』 旨最初に宣言し、その比喩について説明を行っています。

    • 「卵」 の意味するところは、国家や人種や宗教を超えた、人間個々人。我々は皆、脆い殻に包まれた誰とも違い置き換えのきかないたましいであると言える。私が小説を書く唯一の理由は、個人のたましいの崇高さを浮き出させて光を当てること。
    • 「壁」 とは 「システム」 であり、本来は、脆い卵を守るために人間が創り出したもの。

で、村上さんのメッセージの中核は、"The System did not make us: We made The System." のコトバに凝縮されています。「仕組みが我々を創ったのではない、我々が仕組みを創ったのである」 くらいの意味ですね。


そのうえで、

脆い卵があまりにも高くて強固な壁に勝てるとしたら、それは、自分も他人も置き換えのきかない個性であることを信じ、こころをあわせることで得られる暖かさ以外にはありえないと思うが、皆さんはどう思われるか?

と問いかけ、エルサレム文学賞授賞およびスピーチの機会を与えてくれたことに対する感謝の言葉で締めくくっています。


従い、以下は村上さんの著作を読んだことの無い私個人の私見ですが、この発信はイスラエルと云う国家による非人道的行為を暗に批判はしているものの、おっしゃりたかったことはもっと普遍的なレベルで、国やら戦争やらといった、もともとは人間を守るために考え創りだされた仕組みに振り回される愚を指摘したうえで、人間個人のため、と云う原点に立ち返りましょうと云うことではありませんかね? この観点には、私は諸手をあげて賛同します。私流に言い換えれば、他人の身になって考えるのは意外と難しいが、誰よりも愛しい自分の身に置き換えた時にどうなんだ、ということですね。


−−−村上さんは滅多にこの様な場には出席されない、と読んだことがあります。それを曲げてでも出席されたのは、受賞者にしか与えられない機会をとらえてよほど発信されたかったのでしょう。なかなかできることではありません。まして文人には。これを我々日本人がどうサポート出来るか?国内でも思い当たることはたくさんありますよね?


なお蛇足ながら、このスピーチで、村上さんの小説に対する考え・姿勢も述べられており、共感出来る部分が多かったと思います。横山朋子(山岡朋子)さん翻訳のアルゼンチンの小説 『ルス』 について考察するに当たってのヒントがあったので、その意味でも何回か読み直してみる価値アリですね。


とりあえずこの内容で公開しますが、追って加筆訂正行うかも知れません。

2009-02-18

エルサレム賞授賞式での 村上春樹さんスピーチ: 多分 その2

スピーチ全文がなかなか見つからないですね。外国のメディアがサマリだけを扱うのはまあ当然としても、授賞式に同席した筈の日本のメディアが、これだけ話題となっているスピーチの全文を紹介しないのが情けないところ。あんたらには多くを期待していない。余計なことはしなくてよいから、せめて録音データなり録画データを公開してくれるだけでいいよ。アホな政治家の何の価値もない醜態を書き立てるだけが能ではないでしょうに。どこまでボケているのか?それとも誰も出席しなかったのか?


調べられた限り、比較的多くスピーチを引用していると思われるサイトは;


http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost/JPArticle/ShowFull

これ、確かイスラエルのサイト。

以下2月20日加筆:

イスラエルのメディアであるハアレツの特集ページに、村上さんのスピーチ全文と思われるものがUpされているみたい;

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

ハアレツのHP http://www.haaretz.com/ から


f:id:El_Payo_J:20090220065132j:image


この切り出しイメージ左下の "Haruki Murakami: Why I decided to go to Israel after Gaza war" をクリックすれば、今日現在では記事に辿りつけます。なお同サイト内での検索(イメージ右上)では見つけられませんでしたが。恐らく何日かすると、無償では見られなくなりそう。

イスラエルおよびパレスチナ・他中近東の幾つかの他メディアでも検索して見ましたが、特に村上さんスピーチに関してはめぼしい記事はなさそう。


ホスト国としての立場はあるにしても、イスラエルにとって必ずしも「好ましい」発言ではないにもかかわらず全文を掲載している同メディアのスタンスには敬意を表すべき。それに比べて日本のメディアって一体どこに存在価値があるのかしら?

なおこのメディアのヘッドラインを紹介しているブログもはてなの中にあるのですね;

→ http://d.hatena.ne.jp/haaretz-headline/


−−− 実は私は、村上春樹さんのお名前は勿論存じ上げているものの、翻訳も含めたその著作は読んだことがありません。でも村上さんの今回の発言は、読者向けのものではなく世界に発信されることを前提に、従ってその発言が独り歩きをすることも想定してなされたハズ。従って、おかしなフィルターを通っていないこの記事だけをじっくり読んでみることに。

2009-02-17

エルサレム賞授賞式での 村上春樹さんスピーチ: 多分 その1

エルサレムで2月15日に開催された「エルサレム賞」の授賞式で、受賞さなった作家の村上春樹さん(60)が受賞演説でイスラエル軍による先のパレスチナ自治区ガザ地区攻撃に言及、人間を殻の壊れやすい「卵」に例えて尊厳を訴えたことが報道されていますね:

f:id:El_Payo_J:20090217050132j:image

出典= http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090216-00000019-mai-int

    毎日新聞(2月16日11時5分配信、Yahooニュースよりの抜粋)


イスラエルにより与えられるこの賞は辞退すべきである(何故ですかね?)との呼びかけも少なからずあった様ですが、同国内でも人気があり世界的にも知名度の高い方ですから、辞退するのではなくあえて受賞され授賞式で発言されたことを私は高く評価しますし、あまりこの言い回しは好きではないのですが日本人として誇りにおもいます。政治家がわざわざ国外に出かけて発言する役人の作文など、失笑を買うだけですから。

下手な抄訳読まされるより是非オリジナルのスピーチ全文を読んでみたいのですが、まだどこにも見当たりませんね。捜し方が悪いのかな?もし見つけられたら、「その2」 以降で紹介・コメントしてみたい。

今後の反応を見守りたいですね。通常であれば恐らくある一定期間話題になって、その後意図的に無視され忘れ去られる。正に『不都合な真実』ですからね。環境問題なんて、はっきり言ってこれに比べたら屁みたいなもの。ここから目をそらさせるのが、どこぞの元副大統領の真意だったのではないか、また当時の政権にとっても好都合だったのではないか、と勘繰りたくなります。


−−− 「民主的な」 国家による人権侵害は現在でも世界中で進行中であると断言出来ます。何も軍事独裁政権の専売特許ではありません。最近のガザ地区での虐殺行為や、過去のアルゼンチン軍事政権によるものはその一部でしか無い訳で、どうして我々はかくも懲りない生き物なのだろう、と暗澹たる気持ちになります。 Nunca Mas, Never Again, 繰り返すまじ? 空しいコトバですね。


この頃、過去に見つけた幾つかのサイトを巡回しています。本当におぞましい現実がそこにはあります。

例えば;

"The WE" http://www.thewe.cc/

このサイトは宗教団体?カルト?的な臭いがしないではありません*1が、膨大な (これだけあれば、全部がフェイクである訳がない) 写真が見られます。言っておきますが、気の弱い方は見ないほうがいい。誰が加害者で誰が被害者か、と云った観点も重要でしょうが、それより何故こんなことが出来るのか、理解に苦しみます;

http://www.thewe.cc/contents/more/archive/atrocities.htm

http://www.thewe.cc/weplanet/news/middle_east/palestine/lest_we_forget.html

http://www.thewe.cc/weplanet/news/middle_east/israel/israel_using_gas_unknown_chemical_agents.htm

http://www.thewe.cc/weplanet/news/depleted_uranium_iraq_afghanistan_balkans.html


もしこんなことが自分にとって大切な人に起こったら、どう思いどう行動するでしょうか?大義名分のためには許されるのでしょうか?憎悪が憎悪を産む、悪循環ですね。それにアブラを注いでいるのは、多分我々の無関心。政治ってそんなものだよ、自由を守るためには犠牲を払う必要があるんだよ、人間のダークサイド、云々 −−− 本当にそうでしょうか?


※ この日記は2月19日一部加筆訂正。

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*1:未調査なので、これは私の単なる偏見に過ぎません。ただし私は同サイト中の精神的なことを扱った記事も含めて興味深く読んでおり、軽蔑あるいは侮辱する意図は全くありません。為念。

2009-02-11

私の大好きなフラメンコのこと その4: 足の不自由な踊り手?

踊り手の名前は Enrique El Cojo(故人)、確か1980年かその少し前小松原庸子舞踊団の招聘で来日された際にコンサートホールで観ることが出来ました。

f:id:El_Payo_J:20090131190823j:image

写真は小松原庸子スペイン舞踊団の小松原庸子さん紹介のHPに記載のもの、url は http://www.komatubara.com/yoko/index.html


この踊り手については、実際に師事なさった小松原庸子さんの以下インタビュー記事に詳しいのでそちらに譲ることに;

J-WAVE : ANA WORLD AIR CURRENT 2005年1月8日付け

http://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/lounge/back/050108/


例によって、YouTube でも見ることが出来ます;

D

題名: Enrique El Cojo. Aires Salineros.En la II Bienal de Flamenco(1982年)

後ろに座って囃しているのは、やはり踊り手であるマティルデ・コラルさん(この方も来日経験アリ)ですが、目を凝らして見ると、感極まって泣きながら掛声をかけたり手拍子を打っている様な。私の勝手な思い込みかも知れませんが−−



私が観たのはマルティネーテとアレグリアだったと記憶します。真っ暗なステージ中央奥に置かれた椅子に肘を膝に置いて頭を垂れて腰かけたエンリケさんがスポットライトで徐々に浮かびあがり、マルティネーテの唄と金床をハンマーで叩く音にあわせてゆっくりと立ち上がって踊り出した時の情景は今でも忘れられません。へぇ〜、こんな凄い踊りがあるんだ、と思い知らされた。

その次が一転して明るいアレグリア(かブレリア?)、パートナーの踊り手が誰であったかは全く覚えていませんが、愛嬌たっぷりの踊りでした。いずれも足が不自由なため激しい動きではないのに、鬼気迫るものがありましたね。エッセンスだけ取り出すとこんな踊りになるのでしょうか。

日本でこの踊り手に師事された方は、小松原さん初め複数いらっしゃる様です。


最後にもうひとつ、今度はマティルデさんのものを;

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題名=Matilde Coral baila en avión a Guadalajara Mexico

これはマティルデさんがメキシコのグアダラハラ市で開催されたブックフェアにアンダルシアアーチスト使節団として訪問時、飛行機のなかで撮影されたものの様です。(Johnny Cago さん撮影?しかしすごい苗字ですね)

2009-02-07

私の大好きなフラメンコのこと その3: アントニオ・ガデスさんの踊り

先日 女王カルメン・アマジャ の紹介の際、Los Tarantos - 邦題『バルセロナ物語』でもちらっと紹介しましたが、今日は踊り手のアントニオ・ガデスさんのことを;


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題名=Antonio Gades in Los Tarantos

この、あまりフラメンコに馴染みのない方でも親しみやすい4拍子のファルーカの踊りは、場所の設定も含め粋でリクツ抜きにかっこいい!って思いませんか?よく言われることですが、フラメンコと闘牛は裏と表、軟と硬:フラメンコの踊りの中には闘牛士の動きを模したものが多数ありますね。そういえば昔確かプエルト・デ・サンタマリアの闘牛場で観たパキリ*1のバンデリジャ(飾り付きの銛)打ちの美しさ・動きの粋さに涙が出るほど感激したことが忘れられません。

この映画を見ていると、優れたフラメンコの踊り手は同時に優れた俳優でもあるのかも、と思えます。表現の仕方が違うだけですからネ。ましてガデスさんはご自身の舞踊団を率いるだけの能力もお持ちでしたから、この映画への関与も大きかったのでは?


来日経験もあったと記憶しますが、残念なことに2004年7月20日午後5時、スペイン・マドリードの病院にて逝去。享年67歳、ガンであったとのこと。


共産党員でもあったガデスさんは、1975年に初めてキューバを訪問されて以来同国とスペインを行き来された様ですね。キューバ革命に深く共感され、フィデル・ラウルの知己も得て、キューバ共産党名誉党員でもあった。本人の生前からの希望により遺体はマドリードで荼毘に付され、遺灰はご家族の同伴無しでキューバ大使館員の手により火葬場からキューバへ搬送され埋葬されました。最近、生前ガデスさんのお気に入りであったハバナ旧市街のカテドラル広場にブロンズ像が設置されたそうです;

f:id:El_Payo_J:20090208050548j:image


写真の出典;

http://www.elmundo.es/elmundo/2007/05/16/cultura/1179310274.html

以下サイトでは、広場の360°ビューが見られます;

http://www.cubasi.cu/vistaspanoramicas/antonio-gades.htm


−−− ガデスさんはスペイン市民戦争が始まった1936年アリカンテ生まれ。共産党員であった父親は反ファシズム勢力としてマドリード戦線で参戦。戦後家族でマドリードへ引っ越され、ガデスさんは家計を助けるため11歳で学校中退を余儀なくされ職を転々とされた様です。あるバル(お酒も飲める、小さなレストランの様なもの)で小銭のために踊っていた時、著名な舞踊家ピラール・ロペスに見出され、爾来彼女の舞踊学校で広くスペイン民族舞踊を習得後最終的に同舞踊団のメインダンサーまで昇りつめられ、その後独立された経歴をお持ちです。

ただしガデスさんはその政治的な主張から、結成の1974年以来、ご本人の死を乗り越え現在のアントニオ・ガデス舞踊団に至るまでには紆余曲折がありました。スペイン舞踊界に大きな足跡を残されたガデスさんについては様々なサイトがありますが、ここでは来日公演時の宣伝サイトなど紹介しておきます;

http://www.japanarts.co.jp/html/antonio_gades/program.htm

http://www.gades.jp/  本年2月28日〜3月4日ですよ!!

http://jspanish.com/antonio2/index.html


「アントニオ・ガデスの踊りは本質的に大衆的な伝統を深めたものであって、その功績は、正しく民衆の表現力という根を洗練された舞踊に植え変えたところにある。」 J.M. カバジェロ・ボナルド 作家

https://www.esflamenco.com/bio/ja10498.html より抜粋

これが、ガデスさんの生きざまを端的に表している言葉と思います。合掌


.

*1: Francisco Rivera Pérez "Paquirri" 1948〜1984、コルドバの闘牛場で闘牛士人生を全うされた名高い闘牛士

2009-02-04

津軽三味線: 高橋竹山さんのこと

高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年(明治43年)6月 - 1998年(平成10年)2月5日)は全盲の津軽三味線奏者。本名高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。 演歌歌手北島三郎が歌った『風雪流れ旅』のモデル。(ここまで ウィキペディアより抜粋、url = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%AB%B9%E5%B1%B1

f:id:El_Payo_J:20090131163014j:image

写真の出典:

高橋竹山 - 『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど” - 楽天ブログ(Blog)

http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/3033 より抜粋



幾らなんでも津軽三味線と翻訳やら横文字は関係なさそうなのですが、私の場合おおありで;

フラメンコギターと津軽三味線の類似点が多い*1のに気付いていたことがきっかけで、学生時代、当時渋谷の山手教会の地下にあったライブスペース『ジァンジァン』で確か月いちで開催されていました、高橋竹山さんのライブへ何度か通いました。

当然マイク無しですが、腹に響き情景を目に浮かばせる三味線の名人芸は勿論のこと、演奏の合間の(いや、逆かな?)竹山さんの気取らない、あったかい喋りと訛りに引き込まれましたっけ。一度フラメンコのギタリストを引っ張っていったことがありました。狭いライブ会場で少々周りのヒンシュク買いながら通訳(のまねごとを)しましたが、さてどこまで想いが通じたか。

竹山さんはその後86年にアメリカ公演をなさって高い評価を得られたそうで、嬉しい限りです。


The New York Times より

http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9A0DE6DB1F39F936A2575AC0A960948260


−−−渋谷ジァンジァンは確かオーナーさんの強い意思で当初の計画通りに閉鎖され竹山さんも亡くなられた今、このブログを書くまで津軽三味線から遠ざかっていましたが、ジァンジァンで聴いた音も喋りも私の意識の奥底に残っています。

上掲ブログから、竹山さんのコトバを引用します;



「びんぼうは、なんもおっかねえもんではなかった。金がないだけで、あたまやむ(あたまがいたくなる)わけでねえし、はらいたくなるわけでもねえ。

ただねえ。ひとがいっしょうけんめいやろうというとき、目のまえへでてきて、ばかにしたり、じゃましたりするやつが、いちばんにくかったね。

ひとがいっしょうけんめいに生きようとするのをじゃまするものには、けっしてまけない」


このコトバは、ライブの際だったか書籍だったかでも聴いたか読んだ覚えがあります。それ以来肝に銘じていることのひとつ。

また、上掲ブログ中でも紹介されている、音楽そのもの・奏法などに関する竹山さんの言葉は、フラメンコの唄伴奏に限らず音楽一般に通用しますね。音楽だって翻訳の一種ですから、当然翻訳にも通ずるものがある。基本的な技巧について訓練を積むのは当然のこととして、何を吸収してプラスαをどれだけ付加できるか。竹山さんの場合は、視覚障害とそれに対する差別を乗り越えられて更に、と云うことですから、まして容易なことではなかった筈ですが、それを楽しんでおられたのでは?


D


伝統の世界では異端児扱いされることもある様ですが、津軽三味線と云う一地方の特殊な芸術を伝承するにとどまらず、更に認知させ発展させて行くのには欠かせない存在だったとおもいます。フラメンコも似たところがあります。ジャズやブルースもしかりでしょう。

*1:フラメンコギターの場合の右手(左利きなら左手)親指の使い方と津軽三味線の撥の使い方が酷似、どちらも伴奏(唄づけ)においても唄い手の即興に応じた演奏をしなければならず名人芸が存在すること、演奏者が被差別者;フラメンコの場合はジプシー、三味線の場合は視覚不自由者;であったことなど。

2009-02-02

ノーム・チョムスキー教授のこと: 言語学者+外交評論家

このところ『ルス』復刊を最終的な目標として、私の能力の問題・時間など様々な制約はありますが、まずその周辺事項について調べ始めています。その過程で、やはり大規模な人権侵害はイデオロギー・政権の形態・地域・時代に必ずしも関係なく起こり得るし実際起こっているな、との感を強めています。Nunca mas の精神が本当に根付いているなら、少なくとも時間の経過と共に無くなっていく筈ですが、実際には手を変え品を変え段々巧妙になって行くだけ。クスリの効かない耐性菌の様なもの。二次大戦や、特に悲惨であったヒロシマ・ナガサキの時だって「繰り返すまじ」と誓った筈なのに、実際今どうなっていますか?


私が80年代から関わっている中南米は、美しい国土、概して明るい民族気質、様々な文化などバリエーションに富む愛すべき地域ですが、一方では軍事政権(もう全部無くなったかな?)、汚職、貧困に代表される極端な格差の存在、他国による内政干渉・嫌がらせ、他国からの資金流入による国内での紛争長期化、麻薬問題、人種問題など何でもアリの世界です。このほぼ全てに北のかの『帝国』が何らかの形で絡んでいることは、この地域に興味があれば周知の事実ですね。何しろ『帝国の裏庭』と呼ばれていた期間が長かったから。『ルス』で描かれた問題は軍事政権だけを断罪して本当に解決か?共犯者がいなければ起こり得なかったのでは?「自由」や「民主主義」という、漠然とした、色々な解釈のあり得る「大義名分」のためなら何をしても許されるか、未解決ですね。


1月24日付け【翻訳雑感:自分の場合】でも述べました通り、「自分の目で見て感じて、それが出来なければ他人の目を通じて見て感じて、自分で判断する」ために私が主に頼っているのは、ノーム・チョムスキーMIT教授の著作・発信です。言語学に少しでも関わったことのあるひとなら、『チョムスキーの生成文法』*1の名前ぐらいは聞いたことがあるはず。

チョムスキー教授が、若いころから言語学者としてだけではなく、アメリカの外交評論家として活躍なさっていることは学生時代には(受け身で勉強していたため)全く認識がなく、中南米と関わり始めてから認識した次第。教授の経歴・思想背景・著作/発信内容・関連サイトなどは、最下行の注の中に記載したウィキペディアに詳しいので、一部承服出来ない記述はあるがそちらに譲ります。


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題名: What Is Globalization? - Noam Chomsky (一例として)


−−−真夜中過ぎの2006年9月21日でしたか、例によって夜更かしをしてさあそろそろ寝ようかと思った時、低音でつけっ放しにしておいたテレビから、「昨日悪魔がここに立っていた、悪魔のにおいがぷんぷんだ」と云うスペイン語が聞き覚えのある声で聞こえた様な気がしたのでよく見ると、丁度国連総会でベネズエラのチャベス大統領が演説していました。また凄いことを言ってるな、と思い寝ずに最後まで見ましたが、なかなかおもしろかった;


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題名: Chavez Cites Chomsky at UN General Assembly

    関連部分の英語通訳あり


演説全文は http://www.venezuelanalysis.com/news/1954 に英語訳(私は検証していません)アリ。オリジナルの西語での全演説やら全文は、ネットで幾らでも聴いたり読んだり出来ます。この演説の是非の議論は別として、多分これが中南米の本音であると思います。チャベスの名前を聞くだけで嫌悪感催すひとにとっては無意味ですが。でもこの演説が行われた次の日、紹介されたチョムスキー教授の書籍がアマゾンでトップセラーになったとのこと。紹介したウィキペディアに、日本語の翻訳本が紹介されています;

『覇権か、生存か』(集英社[集英社新書 0260A], 2004年、鈴木主税さん訳)


なおチョムスキー教授のサイトは; http://www.chomsky.info/ (過去日本語の翻訳サイトも存在した様ですが、暫く前に更新終了。有形無形の圧力がかかったのでしょう。)

私がユダヤ系アメリカ人であるチョムスキー教授に全面賛成できる部分は、自国が行なう「大義 (just cause)」の名の下での虐殺であってもきちんと糾弾している点です。だって、この「大義」の定義が変わったら何が起こりますか?


『帝国』の皇帝が交替して何が変わるのだろう?大規模な人権侵害の舞台がイラクからアフガニスタンに変わるだけであったら、最悪ですね。イラクでの人権侵害については、以下サイトの参照をおススメします;

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/iraq_body_count.htm

http://tanakanews.com/070327GOP.htm (以前紹介しました、田中宇さんのもの)

蛇足ながら、このサイトに中南米ファン?にとっては懐かしい名前が;ネグロポンテ。確か現在の(今となっては前政権時代の、か)ポジションを引き受ける時に、中南米時代の問題について今後一切蒸し返さないことを条件にした、と云う記憶があります。コイツの名前をネットで検索してごらんなさい、それこそ山のように出てきますから。80年代中南米との関わりがあったので、『ルス』とも無関係ではないかも。


.

*1: ウィキペディアより以下抜粋−−−全ての人間の言語に普遍的な特性があるという仮説をもとにした言語学の一派である。その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であるとする言語生得説を唱え、言語を人間の生物学的な器官と捉えた。初期の理論である変形生成文法に用いた演繹的な方法論により、チョムスキー以前の言語学に比べて飛躍的に言語研究の質と精密さを高めた。

url = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

2009-02-01

翻訳家 山岡朋子さん その27  『ルス、闇を照らす者』 : Nunca Mas サイト 紹介 1

"Nunca mas" はスペイン語で 『 Never again、繰り返すまじ 』 の意味ですから、人権擁護活動など他西語圏でも一般的に使われている名前の様です。ただしここで紹介する "Nunca Más" は、1983年12月15日当時のアルフォンシン大統領によって組織された、作家のエルネスト・サバトさんを委員長とする "CONADEP"*1が、その調査結果をまとめて翌1984年9月20日に大統領に渡したレポートのことです。委員長の名前から別名『サバト・レポート』とも呼ばれています;


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題名=Juicio a las juntas militares

このビデオに収録されているのは、エルネスト委員長が大統領にレポートを手渡す84年の映像、続いて軍事政権に対する裁判開始20周年を記念する2005年のTV番組です。後者では、『ルス』の中でも描かれている残忍な拷問の様子を証言する場面もあり、涙と憤り無しには見られません。


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題名=Nunca Mas

この2つ目のビデオについては、私自身不勉強のため間違っているかも知れませんが、85年軍事政権に対する裁判の席上、(多分)エルネストさんが、アルゼンチン国民の総意として "Nunca Mas" の言葉を宣言したもの。


レポートは書籍としても入手可能ですが、ネットでも読むことが可能。幾つかを以下紹介しておきます;


http://www.nuncamas.org/investig/articulo/nuncamas/nmas0001.htm

西語、リンク切れあり

http://www.desaparecidos.org/arg/conadep/nuncamas/nuncamas.html

西語、左側が目次、右側が選択された目次の内容の表示。

http://www.nuncamas.org/english/library/nevagain/nevagain_000.htm

英語版


"Nunca Más" は小説ではなく調査レポートです。膨大な事実の羅列に幻惑されるよりも、意外とそれを踏まえたうえで書かれたフィクションの方が真実をよりよく理解出来るのでは? 『ルス』の作者エルサさんの意図もそこにありそうですね。その意味で、『ルス』には大変貴重な小説あるいはガイドって云う側面もあるとは言えませんかね?

(続く)

*1COmisión NAcional sobre la DEsaparición de Personas の頭文字、「行方不明者に関する国家委員会」とでも訳される組織のこと。76年から83年に至るいわゆる「汚い戦争」中に、アルゼンチンの軍事政権が繰り返し計画的に行ったとされる重大な人権侵害についての調査が目的。