Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

時間

時間とは人間にとってもっとも深刻かつ悲劇的な気がかりである。唯一の悲劇的な気がかりといってもよい。想像しうる悲劇のすべては、時間の経過という唯一無二の悲劇へと逢着する。時間はまたあらゆる隷属性の源泉である。

パスカルが深く感じとっていたように、時間は存在の虚無という感覚をもたらす源泉である。時間が逃れさせるものがゆえに、人間はこれほどまでに思索を恐れるのである。「気晴らし」は時間の経過を忘れさせることをめざす。事象を後世に残すことで自己の永遠化をはかるが、残ることは事象にすぎない。
〜ロアンヌの哲学講義録1933-1934の学習プラン シモーヌ・ヴェイユ 冨原眞弓訳

とりあえずまとめてみよう、人間には永遠をめざすやみがたき傾向があると。

〜さらにシモーヌ・ヴェイユはいう。

旅程の横断

わたしたちは時間と空間の無限の厚みを横断せねばならない。だが、まずは神がわたしたちのものに来るために横断する。まず一歩をふみだすのは神なのだ。このとき、愛は、もし可能ならば、さらに大きくなる。愛は乗りこえるべき隔たりの大きさに対応する。・・・
魂をとらえ、わがものにするために、神は時間と空間の無限の厚みを横断し、力を使いはたす。魂が抗い逃げさるので、神は試みをくり返す。いくらかは不意をつき、いくらかは強制により、いくらかは貪欲の誘惑にうったえて、神は魂に一粒の柘榴の実を食べさせようとする。魂がほんの一瞬にせよ純粋で総括的な同意を与えると、神は魂を征服する。ついに魂を完全にわがものとするや、神は魂をおきざりにする。魂をひとり捨てておくのだ。こんどは魂のほうが、手さぐりで、愛する相手と再会するために、時間と空間の厚みを横断せねばならない。これこそが十字架である。
極限に達する身体的な苦痛、精神的に粉砕されて慰めの混じる余地するない苦痛とは、ある瞬間に、肉体の微小な延長のうちに入りこんで魂をひき裂く、時間と空間の総体である。魂はこうして神が魂のためにたどった旅程を逆にたどりなおす。ほかのやりかたはない。 
〜C3 シモーヌ・ヴェイユ 冨原眞弓訳 〜

神が先ずは横断し、時間と空間の厚みの横断こそが十字架であるということ。魂はその隔たりの大きさに比して愛を知る。