Emmausブログ

人は見ね/人こそ知らね/ありなしの/われは匂ひぞ/風のもて来し

流れと枝

川の淵に木の枝が引っ架かっている。そこに渦が出来て、川流木を跨ぐように水がさらに流れゆく。流れに枝があるのか。あるいは枝に流れがあるのか。たぶん、枝が初めからあったのではなく、川の上流の何処かで折れて流木になったのだろう。日毎に水嵩は増し枝は次第に小さな堰となり、水のうねる勢いも強くなっている。
ことの中心はその原因結果ということではなく、構成されるこの現実に間違いなく二つの契機(要素)が絡まっているということの事実にある。まさに、時間というものが、単独に孤立した主体の事実の列なりではなく、流れと枝の主体と他者の関わりそのものであり、流れと枝との生きた出合いであると考えると、この場合の時間が経験ということをかなり解かせてくれる。