エレニの日記 このページをアンテナに追加


名刺交換で気を付けること

2007-10-01

ブログの使いよう

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20071001#1191195663


url大丈夫かなこれ。
現在いろいろ保留の状態にしている問題があるのでそれは置きますが。


ブロガーとして、というのは私は微妙だと思っています。拉致問題について私は身体の問題があるためにある程度以上踏み込みませんでした。ご存じの通りにこの問題があまりにややこしい背景を持っているということもあります。核実験があって、実質ブロガーに出来ることはいったんリセット状態になりました。北朝鮮問題の推移に関しては報道もあまり意味を為しません。
北朝鮮に関する人権問題を言うなら脱北問題にフレームを取らなければいけないと私は思っていますから、必然的に取り上げ方がややこしくなります。たとえば北朝鮮人権法の記事を書いたとき、法案に関して脱北援助NGOに直接連絡を取ることも可能だったわけです。それをやらなかった理由は三つあって、他の問題に首を突っ込んでいる最中だったこと、身体の問題があり最後まで問題をフォローできないのがわかっていたこと、また最大の問題としてはNGOに対して批判的な物言いが出来なくなることでした。なぜならその批判の箇所があまりに微妙な性質を持っているからです。


結局書きませんでしたが、帰国事業を取り上げていくなら起きていく厄介がはっきり予想できます。日本政府批判にすり替えられていくことがあまりにも見えている。当時頭の中でシミュレーションしてみて、問題提起の届く範囲を一気に広げることが出来ることはわかっていました。ただそれも先の二つの理由を持ってやらなかったわけです。ただ私はブログというものをそういう一つのツールとしても見ています。実際には政治的な行動を私はほとんどしていませんし、それを中心に置くブログスタイルというのにも抵抗があります。そこでブロガーという立場があるように振る舞ってはいましたが、実際にはそういうスタンスにも心情的に距離がありました(と言って今の自分がブロガーというにも問題外なのはわかっていますが)。きっこの事も頭をよぎったりしましたが。


少し話をfinalventさんのおっしゃっているところに戻しますが、私は問題に関わるときその理由をはっきり意識しています。それには表のものと芯に根を下ろした裏のものとがあります。ただ個人のつながりだけがその発火点になるものでもないだろうと思います。ここはまだうまく言葉にできませんが、BB氏のこういった問題への関わり方を見ていて、正直最初のうち「有りがちなリベラルのスタンスだな」と見ていたのですが(失礼BBさん 笑)、私自身かなり考えを変えた部分があります。


finalventさんのおっしゃるように背景の情報を提供していく事がブロガーのできることでしょうし、私自身それを目的にしていた部分が大きかった。力不足ながら多少国際記事も書きましたが、日本のジャーナリズムが提供しない視点を提供することそのものは可能と認識しています。私がというのではもちろんありませんが、延長線上でおそらくこれはビジネスにもなりうるのだと思いましたし、新聞より通信社の存在の必要性が私にもあまり感じられません。


ミャンマーの人間がブログというものを使って情報を発信しているのなら、ブロガーという規制のない立場で発信していくことが有効なのでしょうし、報道規制がきついことがありブロゴスフィアというものを利用することは一つの可能性であるだろうと思います。そこで乗ってみることも可能でしょうし、極東ブログの過去記事をあらためて読んでみて、フレームをうっかり取れない問題だと意識していますが、ただ背景の情報を同時に提供できるのならば(それが出来るかが意識のキーになるわけでしょうが)、実態は個そのもの同士というブログにおいて、報道の枠外で流れを伝えていくというのも一つの手段であると思います。今現在私はそれを出来ないわけではあるのですが(単純に語学力の問題もあります)。



北朝鮮についていろいろ考えていることはありますし、それは発信を伴うものではなくなるでしょうが、限定的ながらある種の思考のライフワークになるのかもしれません。現在グルジアの国境問題で大統領が打って出ていて、そのことについて調べて書きたいという思いはあり、これももちろん大統領の主張を鵜呑みにはできないわけです。ただ彼がその行動を取らねばならない必然性は見えていて、書くならばそれを炙り出していくことになる。それがブロガーとしての、というより日本人が取れるスタンスなのだと考えています。
ロシア絡みは欧米メディアのフィルターも相当邪魔になりますが、一連の革命とそこへの欧米メディアの支援の立場というものはあったでしょう。そこにあったある種の無責任さが、革命の挫折と共に顕になったのだとも思います。その関係の形は今回のミャンマーにおけるブログの情報発信の受け取り方と多少重なるのではないかという気がします。日本とミャンマーというのはそれ以上に距離があるのですが。

ほぼ同意見ということになってしまうのですが

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20071001#1191195663
(トラバ用リンク)


私も継続して追っている問題がありますから、おっしゃっていることは理解できます。自分がこの問題にコミットするのはどういうことなのか、限界ということも含め一時期かなり考えました(現在はほとんど関わっておらず、以前もブログで取り上げていただけに過ぎませんが)。自分の個人的な状況と重ねる部分もあり、それは良いことでないという自覚がありました。ただ重ねるということが私だけのことでないという事を知って、イデオロギーなしにこの種の問題に関わるのなら、結局個々の深い傷の部分に触れたときでしかありえないのだということに気付き一部吹っ切れました。


構造という指摘は非常によくわかるのです。何か一つ継続して追うならその問題に呑み込まれることになる。無力さを痛感させられるわけです。
ミャンマーの問題でいうなら仮に軍事政権が倒れたとしてそれによって抑えが効かなくなる部分、スーチーさんが出てきたからといって解決するわけではない、生まれるかもしれない混乱まで射程に入れているのかということもあるでしょう。私は今回詳しく見る余裕がありませんが、ブログで発信している人たちのことも構図の中で見ていかなければならない。私が関わるとしたら構造を提示する役割を果たします。ただそれを把握するだけでかなりの労力ですし、それが出来ないなら私はやらない。私にとってはそれだけです。おっしゃるとおりどう関わるのかという主体的な問題になりますし、最低限構造の理解に基づかなければならない。一言でいえばミャンマーの様々にいる民族の構造の生み出す困難とその苦悩を負っていけるのかということでしょう。もちろん他者である限り本当に「負」えるわけではないのですが。


ただ今回は報道統制からブログというツールが使われたことが私を考えさせた点ではあって、何らかの接続を持つことはある必然ではないかと感じたことがありました。
ブロガーは主体的に関わるということに関して私はかなり意識的です。ただある流れがあるとき私はそれを止めたくないという思いを持ちます。思い付きの関わりによる暴走への懸念ももちろん持っているのですが、今回はそこに必然の流れがあるようにも思いました。今回のことが一つの経緯にすぎないということはもちろんBB氏も理解されているでしょうし、今そこにある何かに触れたいという思いが私のなかにやはりあるのだと思います。その中にミャンマーの抱える問題の本質があるのは事実でしょう。
あまりうまくまとまりませんが。

forrestalforrestal 2007/10/03 00:05 はじめてコメントさせて頂きます。この度のfinalvent様、 BigBang様、エレニ様のやり取りは、大変、考えさせれるところがあり、拙ブログのエントリで、リンクを貼り、一部、引用させて頂きました。不快、不愉快でしたら、その旨、お伝えください。すぐに取り消します。
どうぞ、よろしくお願いします。

EreniEreni 2007/10/03 23:06 とんでもないです。こちらこそ拙い意見で。