コーヒー・コーヒー・コンシーラー

安物のコンシーラーを買って、コーヒーショップでぐたぐたする。
出会い系の売春待ちの連中がたまっている場所があって、そこを避けるのに地下をくぐる。短い丈のスカートにハイヒールを履いていると勘違いして声をかけてくるバカがいて、いつか蹴りを入れてやろうかと目論んでいる。


と思ったら、コーヒーショップの前に大馬鹿がいやんの。
隣の書店にて雑誌を購入、ミスユニバース関連のインタビューを読む。仕掛人のイネスという人の言うことを読むに、要するに事は世界基準の美と日本人ということか。偽物の赤いサテンのイメージが抜けなかったミスユニバースの変貌は、この人辺りからも少し背景を手繰ったらおもしろそうだけど。


「私ははじめから『日本人の女の子が世界で一番美しいのよ!』と言ったけれど、皆笑ったわ。」
この一言ににいろいろと集約されてる感じだなあ(苦笑)


新しい「美の基準の仕掛け」のようなものがやはり透けて見えてしまったところがあって、森理世という子立場的に辛いとこに立たされてかわいそうだったけど、この子嫌いじゃないんだよな。普通に話合いそうだし。一種の「マイフェアレディ」ではあるんだけど、仕込んだって馬鹿は馬鹿のまま変われないわけだし。「ベイビーみたいに十九歳だった」ところも残ってるし、むき出しの上昇指向がなさそうだからかえって先が大変そうだけど。自分の外見は置いとくとして、中身はこっち系ウケるようになってくれないとこっちも困るんだよなあ。


あー、コーヒーが甘い。

スタイルの問題

上の話の続きで、日本のマスコミの氾濫させる「かわいい」像を馬鹿みたいと斬って捨てていたけど、まあそれはそう思うんだけど日本って昔からそういう国だしなあ。雑誌の傾向見てると「かわいい」じゃなかったらいきなりイケイケなセクシーに振れちゃったり、もう少し地道にいこうよとは思うが。


スタイルのあるのがいいというとどこもそういう特集で、ジェーン・バーキンがしゃべってて。なんかなあ。偉そうに言える立場ではないが、まあそういうのがかっこいいでしょというのはわかるが、それさえも与えられる「餌」でしかないわけで。ただ、かわいいってのは脅威ではないということで、社会に自分を適応させているということだからそれは日本人の女の子の処世なんだけどな。だから私はそういう女の子には圧倒的に地力でかなわないなと思う。
スタイルを持つということはファッションの問題じゃねえだろと思うし。私自身はそんなものないけど。なんていうかなあ、好むと好まざるに関わらず自分がある一定の人たちに脅威でありうるというのはとてもしんどいことで、そうしたらどうしても人と違うところを歩かざるをえないわけで。スタイル貫くというのは日本社会では難しいんじゃないの。私だってあれ以上孤立したくないよ。あれ以上は現実に過酷。
そういう哀しみも分からないで、気軽に言うよなとは思うな。あんたに人と違っていることができるわけないじゃないか。