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2009-05-02

紀塔池原遺物

"紀塔池原"とは紀津市に住をなす一家系の姓であり、この字にて"きとかちわら"と読む。紀塔池原姓が公称されるようになったのは明治初期。明治3年平民苗字許可令において、当時の家長・紀塔池原復槍(またかず)が届け出てからである。由来については判然とせず、江戸期の戯書にある幽霊名字でないかという説もあるが、確とした話ではない。復槍自身の言葉によれば、紀塔池原姓は一族が代々私称してきたものであるとされるが、これに関しては復槍と同郷の者の言によって否定されている。

 紀塔池原復槍は一代の変人であり、数々の逸話によって紀津に名を残した。彼は静岡(旧駿河)の農家の出であるが、若年の間に富を築いて紀津に移住している。豪農というわけでもなく、一介の農民に過ぎなかった復槍がいかにしてそのような財をなしたかについても謎が多い。全国、あるいは外国にまで手を伸ばした、山師まがいの取引をその財源とするのが一説であるが、それだけではとうてい説明できない権勢を奮ったともされる。これらの仕事秘密は後代に継承されず、彼が子孫に残したのは莫大な財のみである。

 復槍は紀津に移ってまもなく、紀津の四分の一を占める山林を買い占めた。この山林の中心をなす山を蛇池峰(へびちね)山と言う。復槍はここで怪しげな発掘作業を行い、同時に石職人を雇って数百の石像を造らせた。また独自の宗教観に基づいた数々の文献を作成し、その年代を偽るといったことも行っている。復槍は蛇池峰からの出土品を捏造するなどし、彼の宗教古代紀津に由来するものであると主張した。

 当然、このような主張は受け入れられるものではなく、一部のオカルト学者がまんまと釣られて馬鹿を見るといった程度の結果に終わったようである。またどうやら復槍自身も、これらの主張が本気で通ると考えていたわけではないらしく、これらを単なる道楽として笑い飛ばすような言動をしばしば残していたとされる。

 蛇峰池山林に並ぶ「七十姉妹像」をはじめとしたこれらの創造物を、市の史跡として名所化してはどうかという話が持ち上がったことは一度ならずある。しかしそこが今も紀塔池原家の私有地であること、怪しげな由来が市のイメージアップに繋がるとは考えづらいこと、そもそも紀津という土地において観光産業に力を入れるような理由が存在しないことにより、このような動きが実現したことはない。また、当の紀塔池原家もこれらの遺産をどうこうしようというつもりはないらしく、「紀塔池原遺物」と呼ばれるこれらの石像群は、実質無管理地帯となっている蛇池峰にてごく僅かの好事家を喜ばせるのみとなっている。

 なお昭和11年発行の地域紙にて、山寺修道なる地史学者が「いくつかの七十姉妹像の制作は、少なくとも室町時代以前である」とする証言を残している。山寺修道については、当時の旧帝大にそのような人物が在籍していたことは確認されているが、それ以上のことを語る文献は今のところ存在しない。地史学者である山寺修道がなにを根拠にしてこのような判断を下したのか、平成代を生きる我々には預かり知れぬところである。

trivialtrivial 2009/05/02 22:54 なんか太陽公園とハニベ巌窟院を足して2で割ったような話ですね。

crow_henmicrow_henmi 2009/05/03 12:43 なにやら円城塔っぽいものを感じました。

ErlkonigErlkonig 2009/05/03 17:54 神秘珍々ニコニコ園なんていうのもありましたね。あとイメージ的にはヘンリー・ダーガーが混じってないこともありません。
紀塔池原遺物という文字列とか円城塔っぽいかもしれません。塔だし。

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