そこに千差万別の物語構造を見いだしたい - 大塚英志『ストーリーメーカー』

 まだ誰も指摘してないので自分で言っちゃうと、この記事のいちばんの突っ込みどころは、まるで自分に「物語感覚」があるような顔でぬけぬけと偉そうなこと書いてるところですよねーみたいな。一作でいいからちゃんと小説を書き上げてみたいです、はい。

ストーリーメーカー 創作のための物語論 (アスキー新書 84)

 で、ついでなので、記事のネタ元にした大塚さんの『ストーリーメーカー』の感想も上げます。といっても、いちばん書きたかったことは冒頭の記事で既に言っているのですが。

  • 大塚さんの理論に従うだけでは、「優れた作品」はとうてい作れない
  • 大塚さんの理論に従うだけで、「単なる物語」を機械的に量産することは十分に可能

 ということですね。イメージ的に「物語」と区別する意味で「作品」という言葉を使ってみましたが、要は大塚さんは、「作品」から描写力や価値観といった要素を削ぎ落として、徹底的に「物語」に拘って話を進めているようなのです。これがわざとそうしているのか、大塚さんの頭の中で本当に「作品=物語」という認識になっているのかは分かりません。が、とにかくここを切り分けて考えると、一見暴言にも思える「人は機械のように物語ることができる」という物言いが、なかなか納得できるものに見えてきます。

 大塚さんは「書く技術の神秘化」によって占有された「作家の特権」を剥奪しようとしていて、こういう試みは実際面白いと思います。「神話製作機械」*1なんて言葉は物語の神秘を冒涜しているようでなかなか攻撃的ですが、自分でも創作神話企画とかやってた私にとっては非常にわくわくするフレーズであり、なんとなく実感できる概念でもあります。

 その点では、大塚さんの興味が「物語」とかあるいは「キャラクター」といった限られた要素にしか向いておらず、表現力などと絡めた総合的な議論が一切スルーされるのがちょっと残念なところです。大塚さんの思想に従うなら、それぞれの物語に適した作劇とか、文体の選び方……といった要素もどんどん機械化すればいいと思うのですが、それはまあ別の人がやれということなのでしょう。


 本書の掲げる「ストーリー作成マニュアル」は、ウラジミール・プロップが『昔話の形態学』で挙げた"物語を構成する31の機能"をベースにしています。そこからまあ、よくある「父殺し」だとか「行って帰る物語」みたいなモチーフの話になっていくわけですね。本書は基本的にこの一種類の物語構造についてしか語らないのでそのあたりは「ふーん」という感じで読んでいました。

 ただし、勝手に触発されたところもあります。物語構造が一種類しかないのはつまらないけど、各人がおのおの自前の物語構造を携えている状況は面白いだろうなと。実際、同じ作品を読んでもAさんとBさんでは異なる読解をし、別々の物語構造を抽出するということは頻繁にあるでしょう。たとえば「桃太郎」を読んで「正義の味方が悪者をやっつける話」と要約する人もいれば、「家を旅だった若者が成功して帰ってくる」ところに構造を見いだす人もいるわけです。いや両者は同じものなのだ、という分析もあるでしょうが、それは蝶も蝉も同じ昆虫だと言うようなもので、だから両者の差異を考えることは無意味なのだという理屈にはならないでしょう。

 AさんとBさんの頭の中には、それまでの経験で培われてきた異なる物語構造がインストールされているのだと思います。そんなAさんとBさんに同一のモチーフで作品を書かせれば、それぞれの頭の中の物語構造が影響して、やはり様相の異なる作品が生まれてくるでしょう。

 だから、そこには「自分の独自の物語構造を磨く」タイプの作家がいる一方で、「その時のテーマに合わせて、様々な物語構造を自在に使い分ける」眼力に秀でた作家もいるはずです。それは大塚さんの言う「実作のためのノウハウ」とはまた別の話なのですが、作家性の在り方を語る上でひとつ面白い切り口にはなるだろうなと思いました。

*1:この言葉の発言者は、翻訳家の安田均さんとのこと。