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2016-07-30 真夏の家庭菜園とヒマワリ並木

Europedia2016-07-30

[]真夏の家庭菜園とヒマワリ並木

 毎年、夏の楽しみで育てているロシア・ヒマワリは、今年はナメクジなどの害にも遭わず順調に育ち、フェンス沿いに2メートルを超す60本のヒマワリ並木が出現した。高いものは2m50cmに達している。

 5月上旬に種まきしたミックス・サラダやルッコラ、レタスなどの葉ものも、今年は防虫剤噴霧と土壌改良のおかげか大豊作。庭のアイコ種の小型トマトと中玉トマト、キュウリ、二十日大根などを加えて毎朝ボール一杯のサラダを食べている。これに気をよくして、10日ほど前に、休耕中だった畝3本に追加で葉ものの種まきをしたが、すでに芽が出始めた。虫にさえやられなければ、これで秋までは葉ものをお店で買わなくて済みそうだ。

 3カ所に植えたキュウリは、ここ2週間ほどは毎日15〜20本の収獲があり、とても食べきれないので友人やご近所にお裾分けしている。わが家でも朝はサラダ、夜は石垣ラー油とお酢をかけ、それに石垣牛の肉味噌を添えてワインや泡盛のつまみにしている。そろそろ、キュウリも盛りが過ぎ、今は、日産5〜8本ペース。来週はもっと少なくなり、お盆の頃には収獲が終わるだろう。

 1月下旬の大雪でダメージを受けたパッションフルーツは、再生を諦め、新たにプランターに苗を植え直したが、既にグリーンカーテンとして充分に役立つほど育った。秋にはパッションフルーツの実も収穫できそうだ。同じように大雪で被害を受けた3本のブーゲンビリヤは、樹を根元から60cmほどの高さで残していたら、そのうち2本から新しい枝が伸びてきた。残りの1本も期待できそうだ。

4月に沖縄から買ってきた、ガジュマルの苗木2本は水栽培で根と葉が出てきたので、庭に植え直した。うまく育てば、よい日陰をもたらしてくれるだろう。何年先になるか分からないが。

ガジュマルの奥の畝には、ご近所で買ったゴーヤの苗を4月に植えたが、一時期は葉が一葉を残して枯れ落ちていたのだが、見事な生命力で支柱3本を必要とするほどに育った。すでに6本ほどの収穫が出来た。

この春に植えた、月桂樹の苗木2本も、高さ70cmほどに育ち、間もなく、葉っぱを料理に活用できそうだ。その月桂樹の後ろでは6本の甘夏の木が緑の実を結んでいる。収獲は来年の一月頃だが、一昨年が長雨のせいで受粉がうまく行かず不作だっただけに楽しみだ。

 今日は、家の前の細い道に面した花壇に、マリーゴールド日々草、ケイトーの苗を移植した。道から見ると、花壇の花、フェンスの内側にロシア・ヒマワリ、その後ろの庭にコスモスという3段構えの花景色となる。

家庭菜園の方はおおむね順調だが、菜園を広げたゆえの悩みもある。毎日の水撒きだ。わが家は屋根から落ちる雨水をV字溝を通して雨水タンクに貯める仕組みで、満水時には2トン弱の水が溜まるのだが、ここ10日ほど雨がまったく降らないので、ついに昨日で枯渇。風呂の水やキッチンからの生活排水もタンクに貯められるようになっているが、それではとても足りず、必要量の半分は貴重な水道水を使う羽目になっている。あと一週間は雨が見込めないので、節水に努めるしかない。

今年は、台風もまったく来ないが、こういうときこそ後になって大型台風の直撃があるのではと思い、石垣島から買ってきて長い間お蔵入りしていたシーサーを内玄関の前に据え付け、台風除けのお守りとした。カトリック教徒が多い長崎では、異教的だと言われそうな気がするが、拙著「フィレンツェ旅の雑学ノート」でも写真入りで紹介しているが、トスカーナ地方の民家やカーサ・トッレと呼ばれる街中の塔には“シーサー”が数多く見られた。どちらも、小アジアをルーツとする同根の魔除けだそうだ。

さて、今日・明日は当地では“みなとまつり”http://www.minatomatsuri.com/が開催中。昼間は360年の歴史を持つペーロン競漕http://nitca.at-nagasaki.jp/event/peron/が繰り広げられていた。わが家からは折り返し地点が遠望できるので、カメラを持ち出して撮ってみた。

夜は、一万発の花火が打ち上げられる。わが家のテラスからワイン片手に眺めるつもりだが、「全編福山雅治 楽曲とのコラボレーション音楽花火!」の音楽はこちらまで届かないだろう。

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フィレンツェ 旅の雑学ノート―メディチ家の舞台裏をのぞく

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元気の出るシーサー集 (ART BOX POSTCARD BOOK)

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2016-07-15 長崎のタイムボールについて

Europedia2016-07-15

[]長崎のタイムボールについて

 以前、当欄http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20130912でも紹介したが、長崎のわが家の敷地には、1954年ぐらいまで、船の航海士等に正確な時刻を伝える27mほどの高さのタイムボール(報時球)のマストが立っていた。今回は、そのタイムボールにまつわる話をしたい。

 右上の写真はわが家の建築工事の際に出てきたタイムボールの基礎部分と推定される重さ360kgほどの鋳物の固まりだ。また、末尾に掲載している写真は、昨年、香港で偶然発見したタイムボールhttp://d.hatena.ne.jp/Europedia/20150210とその内部に展示されていたイラストなどだ。


タイムボールとは

タイムボール(報時球)とは、外国航路の船に正確な時刻を伝える仕掛けである。港の停泊地からよく見える丘などに塔やマストを建て、定められた時刻に目立つ彩色がされた木製もしくは金属製のボールを落下させ、航海士はそれを見て航海用精密時計(marine chronometer)を修正した。

 20世紀初頭に無線による時報や無線方位信号の発信が始まるまで、大海原での船舶の位置の特定は六分儀による天体観測と航海用精密時計に頼っていた。その時代、船の航海士たちは0.1秒単位で正確な時刻を求めていた。

タイムボールが世界で最初に設けられたのは、イギリスのポーツマス港の入口で1829年のことである。1833年にはグリニッジ天文台の丘にタイムボールが移設された。その後、タイムボールの有効性を認識した英国東インド会社がモーリシャス島(1833年)、セント・ヘレナ島(1834年)、喜望峰(1836年)に設置し、1840年代にはインドのマドラス、ボンベイに設置された。

 20世紀に入ると、イギリスから諸外国への呼びかけもあって、オランダ、フランス、アメリカ、ドイツ、日本などでも盛んに設置されるようになり、1904年の時点で世界の121の港に設置されていた(東京天文台「天文月報」第1巻12号による)。

日本では、1903年に横浜と神戸でタイムボールが稼働を開始した。その後、1908年門司、1912年長崎で稼働が始まり、稼働開始時期は不明だが佐世保、呉の軍港にも設置された。長崎県には2基のタイムボールが稼働していたことになる。

タイムボールが設置される以前も、マストに掲げられた旗の降下や、信号弾、サーチライトの点滅、大砲などによる報時が行われていた。しかし、大砲など音による告知では音速による誤差が生じ、正確な時刻を伝えることにならなかった。(たとえば、長崎のドンの山の砲声は、対岸の飽の浦の岸壁まで届くのに6.5秒を要した)

タイムボールは、イギリスに移住していたイタリア人マルコーニの指導による1904年の無線報時信号の送信開始により、徐々に役割を狭められていくことになる。日本でも、1911年には東京天文台による船舶向け無線報時が開始された。奇しくも、長崎報時観測所設立の年である。しかし、船舶の高性能無線受信機の普及や世界をカバーする送信技術の確立に時間を要したこともあり、また、一般市民になじんでいたこともあって、多くのタイムボールは1930年代まで稼働していた。

 なお、タイムボールとして現存するものは、イギリス、オセアニアを中心に60基ほどあり、史蹟や観光スポットとして保存され、中には香港やディール(英国)のように博物館・展示室を併設しているものもある。このうち、グリニッジなどいくつかのタイムボールは今でもボールの落下をデモンストレーションしている。


□長崎のタイムボール

長崎のタイムボールは、1911年(明治44年)3月に鍋冠山中腹(上田町)に報時観測所が設置され、翌1912(明治45年)年2月10日からタイムボールによる報時業務を始めた。

タイムボールを揚げるマストは高さ90フィート(27.4m)、タイムボールの直径は7フィート(2.13m)、重量370ポンド(167.8kg)の赤い玉だった。

 毎日、午前11時55分にタイムボールがマストの上部に引き上げられ、12時(正午)に20フィート(6.1m)下まで落下させて、正確な時刻を航海士や一般市民に知らせた。同時に、電鈴(ベル)によってドンの山の長崎測候所に正時を伝え、午砲の合図としていた

 タイムボールの引き上げは最初、電気で行われていたが、1914年から11月からは人力でおこなわれるようになった。モーターによる巻き上げウィンチの不調のためと思われる。

夜間は、マストに緑色の電灯3個を三角形に並べ、午後9時5分前に点灯し、約2分間点滅を繰り返したのち、再び点灯し午後9時ちょうどに明かりを消し、正確な時刻を知らせた。

手違いにより誤った時刻に落下したときは万国船舶信号旗 W が掲げられ、13時にふたたび繰り返された。故障でタイムボール報が稼働しなかったときは万国船舶信号旗 D が掲げられた。

なお、日本の他の港のタイムボールは、東京天文台からの電気信号で落下が指示され、日曜日・祭日は天文台からの指示がなくタイムボールは稼働していなかった。

唯一長崎だけが、独自にバンベルヒ子午儀などを使って、天文観測による時刻の測定や経度の決定をおこない、3種類の天文時計やクロノメーターなどの精密時計を使って正確な時を割り出し、タイムボールを毎日稼働させていた。

 1915年(大正4年)4月からは気象警報や天気予報も発表し、マストに掲げる旗で船員や一般市民に告知していた。

 長崎報時観測所では、バンベルヒ子午儀を使って天体観測も行っていたため、1917年には東京天文台の経度測定に際してその中継地点とされ、以後、西日本各地の経度測定に際しては、この観測所の経度(東経139度52分)が基準点のひとつとなった。

長崎報時観測所の報時業務は、1941年3月でその役割を終えた。タイムボールの塔などの観測所の設備は、1954年まで残っていたが解体された正確な時期は不明である。



□外洋航海に正確な時刻を必要とした理由

船の航海士が正確な時刻を知る必要があったのは、外海を航行中の船がその位置を知るために欠かせなかったからだ。

航海中の船は、緯度と経度が分かれば現在位置を特定できる。緯度の計測は、比較的簡単だった。北極星の高度は多少の誤差はあるもののほぼそのまま緯度を示す。また、太陽の最大高度(南中)を六分儀などで測定することにより緯度を計算することもできる。

しかし、経度の測定には正確な時計が不可欠となる。正確な時計があれば、たとえば、東京で太陽の南中した正午にその時計を12時に合わせたとする。この時計を持って航海し、ハワイに行ったとき、ハワイの太陽の南中時にその時計が午前8時を示したとすると、東京とは4時間の時差があることになる。1時間の時差は経度で15度であるからハワイと東京では経度で60度違うことが計算でき、経度の決定ができる。(後述「航海技術の歴史物語」より)

もし、時計が不正確な場合はどうなっただろうか。時計に1秒の誤差があれば、経度では1分の誤差となり、赤道上で計算すると1,852mの誤差となる。数ヶ月を要する帆船時代の大洋の航海では誤差が重なっていき100km以上の計算違いが生じることもまれではなかった。なにしろ、18世紀中頃の時計は、最良のものでも日差1分以上あったのだ。

18世紀初頭に、位置を見失って、度重なる座礁事故や補給地にたどり着けずに起きる飢餓や疫病などの海難事故、あるいは海戦での敗北に悩まされたイギリス海軍が議会に働きかけ、経度の正確な測定法を考案したものに2万ポンド(20億円に相当するとも言われる)の賞金を与える法案を1714年に通過させた。

要求される「正確な経度」を時計によって計測するには平均日差3秒以内であることが求められた。この要求に応える時計(クロノメーター)を作ったのは大工から時計職人へと転身したイギリス人ジョン・ハリソン(1693年3月24日〜1776年3月24日)だった。

1713年から正確な時計作りに専心したハリソンは、天文学者との確執など艱難辛苦の末80歳を過ぎた1774年までに賞金の全額を受け取ることができた。

(この経緯について興味のある方はデーヴァ・ソベル著角川文庫の「経度への挑戦」を参照いただきたい。この本を原作として名優ジェレミー・アイアンズが出演する映画「経度への挑戦」-原題「Longitude」 -も製作された。DVDで入手可能)




□シーボルトの「経度への挑戦」

正確な位置を割り出すためには六分儀と精密時計(クロノメーター)が不可欠であった。この2つの“最新器機”を使って、日本で最初に緯度・経度を計測した人物がシーボルト(1796年2月17日〜1866年10月18日)である。シーボルトは1826年2月15日から7月7日(約150日間)までの長崎から江戸往復の旅の間、出島を出るや主要な町々で幕府の警護役人の目をごまかしながら、六分儀とクロノメーターによる観測を行ない始めた。「時間革命」(角山榮著 新書館)によると大村では「われわれは正午前に着いたので、太陽の高度をはかり、クロノメーターで経度を観測した。われわれの測定したところでは、大村の町と城は北緯32度55分27秒、グリニッジ東経130度1分に位置している」と『紀行』に書いている。そして、彼は当時すでに伊能忠敬の地図に記されていた緯度と経度の正確さに驚愕したという。伊能忠敬とその弟子たちはクロノメーターを持っていなかったので、陸地測量法という方法で経度の長さを確定していたと想像される。


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参考 ホームページ

Time ball(Wikipediahttps://en.wikipedia.org/wiki/Time_ball

○神戸大学「海事資料館研究年報」 弓倉恒男 著 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81005676.pdf

○「長崎遠めがね」長崎報時観測所

http://hoshinabe.ojaru.jp/473_hatusaburou/473.html 

    http://hoshinabe.ojaru.jp/309_houjikansokusyo/houjikansokusyo.html 

○WEBマスター ねこんた氏の「暦と星のお話」

「日本のタイムボール」http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/timeball/timeballjapan.html 

タイムボールの歴史とその意義」 http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/timeball/timeball.html


○みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

長崎報時観測所と測候所(1)昭和6年「長崎市民讀本」から(報時観測所の訪問記有り) http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/67550589.html          

長崎報時観測所と測候所(2) http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/67550894.html


○「星眼鏡ノオト 〜アルハンブラアメリカンホテル追想録〜」

   http://www.geocities.jp/rosy3pojp/hosimg.html 

○山口俊明 ブログ 「ユーロペディア」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/

 「星眼鏡ノオト〜アルハンブラアメリカンホテル」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20040323

「香港のタイムボール」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20150210

長崎新聞タイムボールの基礎発見の記事」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20130912


参考 図書  (既出を除く)

「航海術」茂在寅男著 中公新書

「海時計職人ジョン・ハリソン―船旅を変えたひとりの男の物語 」ルイーズ ボーデン 著

  あすなろ書房

「交易と冒険を支えた 航海術の歴史」J・B・ヒューsン著 海文堂出版

「航海技術の歴史物語」飯島幸人著 成山堂書店

「時計の歴史」有澤隆著 河出書房新社

時間革命

時間革命

航海術―海に挑む人間の歴史 (中公新書 135)

航海術―海に挑む人間の歴史 (中公新書 135)

交易と冒険を支えた航海術の歴史

交易と冒険を支えた航海術の歴史

航海技術の歴史物語―帆船から人工衛星まで

航海技術の歴史物語―帆船から人工衛星まで

図説 時計の歴史 (ふくろうの本)

図説 時計の歴史 (ふくろうの本)

 

Longitude [DVD] [Import]

Longitude [DVD] [Import]

2016-07-13 「6月25日〜7月2日 石垣島で早めの夏休み」

Europedia2016-07-13

[]「6月25日〜7月2日 石垣島で早めの夏休み」

 昨年同様、クラブメッド・カビラ”http://www.clubmed-jp.com/ishigaki/の“5日間分の料金で8日間楽しめる−ロングバカンス・スペシャル8日間”(全日空 福岡空港−石垣空港直行便利用)で6月25日から8日間の夏休みに出かけてきた。長崎から福岡空港へは直行の高速バスで2時間20分だ。

 毎年書いているが、クラブメッド・カビラ沖合の海は、年を追うごとに透明度が落ち、生きたサンゴや色鮮やかな魚の種類と数も少なくなってきている。クラブメッド本体が、昨年2月に中国資本(復星集団)に変わったからと言うことではないだろうが、コストカットのためかサービスの質が落ちてきているように思われる。

 これまた毎年書いている気がするが、来年こそは、石垣島もしくは周辺の島で、よりサンゴ礁が美しく魚の種類も多いシュノーケリング・ポイントに通いやすいリゾート・ホテルを探したい。結局、良い宿が見つからず、使い慣れたクラブメッド・カビラになってしまうような気もするが。

 さて、毎年恒例の水中写真を今回も紹介させていただく。過去の水中写真のページもリンクしておくので透明度と魚のヴァラエティーの違いを見比べてほしい。写真はいつもながらトリミング等の手間を掛けていないのでご容赦。

なお、夏休み中の6月29日に拙著「ウィーン旅の雑学ノート」を再編集した「ウィーン旧市街とっておきの散歩道」の増刷(5刷)が出た。昨年の秋にウィーンを訪れたときに、変更すべき箇所をチェックしておいたのだが、初刷り(2008年4月)から8年も経つと、ウィーンのあまりにもの変貌ぶりに部分的修正では追いつけなくなった。恐らくこれが最後の増刷で、絶版となるだろう。


「2015年6月20日〜6月27日 石垣島で早めの夏休み」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20150630

「2014年6月28日〜7月5日 石垣島で早めの夏休み」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20140707

「2013年6月25日〜7月2日 石垣島で早めの夏休み」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20130705 

「2012年6月25日〜7月2日 石垣島で早めの夏休み」

「2011年6月29日〜7月9日 石垣島で夏休み」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/201107

2010年6月18日〜7月5日 石垣島・小浜島・波照間島」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20100707

「2009年6月20日〜7月3日 石垣島・小浜島・西表島」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20090703

「2008年石垣島で早めのサマーヴァカンス」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20080609

「2007年石垣島で早めのサマーヴァカンス」http://d.hatena.ne.jp/Europedia/20070717

 [2012年6月25日から7月2日も「石垣島クラブ・メッド長崎発着8日間パック」で夏休みを過ごしたが、このときは防水カメラが初潜りで見事に壊れてしまったので写真をお見せすることはできなかった]

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ウィーン 旅の雑学ノート―ハプスブルクの迷宮を極める

ウィーン 旅の雑学ノート―ハプスブルクの迷宮を極める

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