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パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

2008-04-27 「パレスチナ1948 NAKBA」

[]「パレスチナ1948 NAKBA」

 昨日、九条シネ・ヌーヴォにて「NAKBA」を見て来ました。


 「NAKBA」の書籍の中に、臼杵陽さんの「ナクバはなにを伝えているのか」という文章が収められています。その冒頭部。



 パレスチナの悲劇は1948年のパレスチナ人の離散の原点であるナクバにある。ナクバとは「大惨事」あるいは「大破局」を意味するアラビア語であり、パレスチナ人が自らの苦難の体験をこのように呼んでいる。しかし、これまでナクバにまつわるパレスチナ人虐殺の事実の多くは隠蔽されてきた。イスラエルあるいはシオニストメディアによる圧倒的な攻勢を前に、パレスチナ人に起こった事実は正しく伝えられてこなかったし、その発信のための手段も限られていた。もちろん、この数年、パレスチナ人だけではなく、イスラエル人の中にも、イスラエル建国前後の時期に起こったパレスチナ人虐殺の事実を直視して語り始めた人びとが登場し始めたことも注目に値する。

 

 みなさんは、もうお気づきだと思いますが、この文章の「パレスチナ」「パレスチナ人」を「済州島」「済州島民」、「イスラエル」を「韓国国家」に置き換えると、1948年にパレスチナで起こった「ナクバ」と済州島で起こった「四・三事件」の驚くべき類似性が見えてくると思います。

 映画の中に出てくる、イスラエルによって破壊された廃村の風景。何もない、誰もいない草むらに、瓦礫だけが点在している。その映像は私に、「四・三」の写真展で見た、禾北の風景、小高い丘に連なる無数の石の群れを想起させました。そしてそれはよく見ると、どちらの風景も、かつてそこに村があり、人びとが生活していたことを示すものであることが分かります。村と共に消えた人びとはどうなったのか?


 「NAKBA」の監督であり、ジャーナリストである広河隆一さんは、1967年頃イスラエルのキブツ農業共同体)で働いていました。そこで、キブツの畑のはずれにある白い瓦礫やサボテンの茂みをみつけ「何だろう?」と疑問に思います。そこにはかつて、パレスチナ人たちが暮らしていたダリヤトルーハという村が存在していました。その事実を知った広河さんは、ダリヤトルーハに住んでいた村の人びとに会うために、パレスチナを写す旅に出かけます。この映画は、その取材の中で撮られた、パレスチナの現実、計り知れない、そして今も実際に起こり続けている、怒り、悲しみ、嘆きの膨大な「記録」「記憶」、の一部を編集したものであるそうです。


 パレスチナも済州島も、第二次世界大戦が終わって、やって来たのは「平和」でなく「ナクバ」でした。でも、しかも、パレスチナは、それが60年にも渡って続いていて、そして終わりが見えないように思えてくる。私はいったい何をすればいいのか・・・。

 とりあえず、知ること、コミットすること、そこから始めよう。不買運動も、もっと徹底させていこう。「昭和の日」にも、「パレスチナ映画特集」の何本かを見に行こう。パレスチナの「オモニ」たちの涙を見ることはつらいから。ハッキョのみなさんも、必見です!何か見に行ってみてくださいね!


【パレスチナ映画特集〜私たちはパレスチナのことを何も知らない〜】