2009-05-18 わかちえない「朝鮮」
■[FliFe]わかちえない「朝鮮」
わたしたちは、「<朝鮮>をやめる。」ことが、はたしてできるのでしょうか。
「朝鮮」という国家と「朝鮮人」とを、わけて考えることが、できるのでしょうか。「朝鮮人」ではなく、「朝鮮」だけを批判し、「朝鮮」という国家を否定することができるのでしょうか。
高校のとき、朝鮮学校を卒業して、わたしと同じ日本の高校に入学をしてきたIさんという人がいました。Iさんは、本名の日本語読みの名前で通っていたので、名前を聞いてすぐに「在日」の人なのだと思いました。ただ、Iさんが本名を名乗っていたからといって、「在日」であるだろうということはわかっても、朝鮮学校出身の人だということがわかるわけではありません。でも、わたしはIさんが朝鮮学校を出た人だということを、Iさんとお話をする前から知っていました。それは、Iさんが高校の入学式に、チマ・チョゴリの制服を着て式に出ていたからでした(私服だったので、入学式の服装は自由でした)。チマ・チョゴリの制服で入学式に出ていたのはIさんだけでしたが、特に目立っているというわけではありませんでした。でも、わたしには、どんな華やかな服装の人たちよりも、Iさんのチマ・チョゴリ姿がとてもまぶしく、そしてうらやましく思ったことをおぼえています。
けれども、わたしは、Iさんに親しみをおぼえることはできませんでした。むしろ、朝鮮学校に通っていたIさんに対して、反感をおぼえていたように思います。共通の友だちを通じて、Iさんもわたしが「在日」であるということを知っていたと思うのですが、わたしは通名で「在日」であることを隠して生きている自分とはちがって、入学式に堂々とチマ・チョゴリの制服を着て人前に出ることができるIさんに、なにかよくわからない嫉妬のような感情と、後ろめたさのようなものをおぼえていたのでした。Iさんは、明るくて積極的な性格の人で、わたしにも気さくに話しかけてきてくれたのですが、わたしはIさんに対して、いつもよそよそしいような、そっけないようなそんな態度をとり続けていました。ふつうなら、数少ない同胞に出会ったのだから、「日本人」の友だちよりも、心から安心してつき合うことができるハズなのに、わたしは、なぜかIさんだけには、そのように心をひらいて接することができませんでした。それは、Iさんが朝鮮学校に通っていて、わたしよりも何十倍も、立派な「在日」であるように思え、通名で生きてるわたしは、Iさんの前に立つと、なんだか自分が見くだされているような、そんな気持ちになるからでした。もちろん、Iさんがそんなことを思うハズがなく、わたしに対してそんなそぶりを見せることなど、まったくなかったのですが、ただ、わたしは通名で日本の学校に通っているわたしの気持ちなど、朝鮮学校に通って、「民族」性をぞんぶんに受け取り、それを堂々と示せるようなIさんに、わかるわけがないと、勝手に思い込んで、そうしてIさんに対してこころがふさいでしまったのでした。
そんなある日、わたしは「朝文研」の顧問の先生から、「朝文研」に来ないかと、誘いをうけました。その先生は、わたしが「在日」であることを知ってから、何度か誘ってくださることがあったのですが、「在日」であることを親しい友だちにも言っていなかったわたしは、その誘いがとてもイヤ仕方がありませんでした。わたしは、友だちも一緒にいる場で、わたしだけが「朝文研」に誘われることで、友だちに「在日」であることがバレるのではないかと、いつもひやひやしていて、その先生の誘いをとても迷惑に思っていました。けれども、「朝文研」に対する興味や、もしも友だちにバレないのであれば、参加をしてみたいという思いも少しありました。そして、その日は、友だちがいないところで「朝文研」に誘われたことから、わたしはとりあえず、見学がてらに「朝文研」をのぞいてみることにしたのでした。
「朝文研」の集まる場所は、学校の近くの喫茶店でした。わたしが喫茶店につくと、わたしと同じ学年の数人の生徒が集まっていました。わたしと同じように通名で通っている人も何人かいて、お互いに「ええ!キミも『在日』やったん!」と意外そうな驚いたような顔をしていたことをおぼえています。そして、もちろん、その場にはIさんの姿もありました。
そのとき、みんなで何を話し合ったのかは、あんまりおぼえていません。でも、たぶん、みんなでそれぞれの『在日』としてのあり方などを、話あったのだと思います。そして、話はIさんの順番になり、その日に集まった「在日」のなかでもただひとり、朝鮮学校を卒業して日本の学校に入ったIさんに、みんなの興味は集中しました。そして、その話し合いの最中、わたしはIさんにむけて、とてもひどいことを言ってしまったのでした。
「キム・ジョンイルみたいな、独裁者の肖像画を教室に掲げて信じている学校なんて、おかしいと思う」
そのときの、Iさんの当惑したような悲しそうな瞳の色を、わたしは今も忘れることができません。わたしの言葉にIさんは、なにか言いたそうな様子だったのですが、わたしのあまりのひどい言い方に、言葉を失っているようでもありました。なぜ、同じ「在日」である「同胞」にこのような言葉を言われなくてはいけないのか、信じられない思いだったと思います。わたしも、Iさんの瞳の色をみて、わたしは、自分がとてもひどいことを言ったということに、気がつきました。いえ、わたしは、その言葉がとてもひどい言葉であり、それを言えばIさんが傷つくであろうことをわかっていながら、あえて、その言葉を言ったのでした。そして、わたしの予想どおり、Iさんがわたしの言葉に反発もせずに、ただ、傷ついた悲しそうな瞳をしたのでした。そしてわたしは、Iさんがわたしの予想どおり、傷ついたことに対して、わたしは、わたしが予想もしなかった後悔と、申し訳なさを、その日からずっとこころに持ち続けているのでした。
わたしは、世界中の誰もが批判し非難をしている「北朝鮮」の「独裁体制」を、わたしもまた同じ口まねをして、Iさんに言ってみたに、すぎませんでした。その言葉がIさんを傷つけるだろうとわかっていても、Iさんがそれを正しいと信じているなら、Iさんがわたしの言葉に対して、自分たちの信じている「正しさ」を掲げて、反発してくるものだと思っていました。でも、ちがいました。わたしは、そのとき、「独裁者」という言葉を使って、わたしが朝鮮学校やそこに通う生徒たちが「支持している」と思っていた体制を非難したわけではなく、その言葉によって、朝鮮学校に通っていたIさんが「悪」だと、ただとてもひどい言いがかりを言っただけなのでした。
わたしは、わたしの屈折した「在日」感情のせいで、Iさんを傷つけてしまったことを、いまでも後悔しています。だから、わたしには「北朝鮮」を批判したり、非難したりすることができません。わたしは、Iさんのあの悲しい瞳の色が忘れられないのです。誰かが、「北朝鮮」の批判をしたり、非難したり、嘲笑した、罵倒したりする言葉を見たり聞いたりするたびに、わたしは、Iさんの悲しい瞳を思い出します。「北朝鮮」という国家と、「朝鮮人」を区別して、国家だけを批判したり、「悪」だと言ったりするようなことは、わたしには、できないですし、それをすることが「正しい」ことであるとは、わたしには思えないのです。
noharra id:lmnopqrstuさんは「北朝鮮を嘲笑し恐怖すること」批判する。北朝鮮人民と北朝鮮国家を分別し、前者の立場に立ち、後者の有罪を宣言することがなぜできないのか。天皇や支配勢力と自己を切り離せなかった奴らと同じ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090427/1240831077
Iさんのことは、思い出すとあまりに、悲しく申し訳ない気持ちになるので、今まで、このことを誰かに言ったことはありませんでしたが、少し前にid:noharraさんの言葉に接して、Iさんの悲しい瞳の色を、悲しみとともに思い出してしまいました。
炒り鍋の豆のように、金偏景気がはじけていた夏であった。
裏へ継ぎ足した長屋のトタン屋根の下で、日がな一日、ロクロにゆわえつけられた指が、くねる真鍮棒にへたっているとき、世は挙げて朝鮮戦争の特需ブームに湧いていた。
升で量るほどの時間を積み重ねても実入りは少なく、それでも稼ぎはいよいよ折れこんでゆく猫背の時間の中でしか得られなかった。
セーブ油にしゅんだ前掛けをはだけて、切りたてのネジの仕上げに余念のない彼の母も、私が出向いた間中、老眼鏡越しに手を休めては私を凝視した。それは危険を察した動物の、あの身構えに似ていた。まぎれもなく私は「敵意」の使者そのものであったのだ。二台のロクロがありついたなけなしの食いぶちを蹴しらすための、慇懃な豹のおでましであった。
息もたえだえなモーターにのたうつベルトにさいなまれる真鍮棒の金切り声を押し殺すように、わたしは最後の説得に牙をむいていた。振り向きようのない彼の貧相な背に覆い被さって、執拗に昨日のつづきの耳元をかじった。
「今日が最後だ。私欲のために流される同胞の血の報いがどんなものであるかを考えろ!飢えがなんだ!金がなんだ!同胞殺戮に手を貸して何のお前が朝鮮人だ!」
確かにうまい仕組ではある。うんと末端に細分化して、手を経るごとにコストは下がって、それはどう見ても、単なる一個の、変哲もないネジであって、それが親子爆弾の、信管のささえとは信じようがなくて、追われるような数をこなして、見つめる者のかすんだ視力に、それは一個のパンである。昔も今も日本に人道上の犯罪はない。ちゃぶ台の上のおしんこが孵(かえ)った、天火の中のブロイラーだけである。
兄の不機嫌な硬直に、ますますちぢこまるいたいけな同志、定時制高校生Hの肩をそっとこづいて、つとめて平静に、腰のあたりに老いた視線をやり過ごしながら、ぬめる沼地を私は裏路地へと出た。連絡員は忠実に待っていた。朝鮮戦争は今を盛りの、二周年記念が明白だった。私は首を横に振り、レポは走り去った。間もなく血祭りが始まる。青年行動隊の荒々しい怒りが爆発する。土間を仕切った、名ばかりの工場をぶっ壊すのである。贖罪に耐えて、こみくる嗚咽を噛み殺すHのうずくまりが、打ちのめされたむく犬のくねりのように這いつくばって見える。
老母は、
「殺せえ!殺せえ!」
と叫んだ。放心した彼は、割られたメガネを拾いもせず、
「俺はヤメヤ、ヤメヤ、おっかー!チョウセンやめやああー・・・・・」
よたよたと母のへたっている地面にくずおれた。
<朝鮮>をやめる。図らずも二十年前の怨念を今に聞く。
「ぼくらには日本に統治されるのがまだしもましです。少なくとも同族に銃を向けるぼくにはならずに済みました」
日本で終戦を迎え、解放された祖国へ勇躍帰って行った十九歳の多感な従兄弟が、朝鮮戦線から送ってきた最後の手紙の一節である。朝鮮をやめる。朝鮮人であることを塗りかえる。
わたしは、日本にいるときは「在日」ですが、日本を出て海外に行くと韓国のパスポートを持った「韓国人」になります。そして、韓国人の前で「韓国人です」というと「あなたは、日本人です」と言われます。ではと思い、韓国人の前で「ドンポ(同胞)です」と言ったら「キョッポ(僑胞)でしょう」と言われました。
また、「在日」であるわたしに対しては、「日本人」の人々から「普遍的な個」であれ、とか「民族性など余分」であるとか、そしてまた、「国家」と「人民」を区別して考えろ、などと言われます。そんな風に、わたしたちは、みずからも分裂しながらも、つねに外部から分裂させられ、わたしたちが何ものであるかを、いつも決めつけられてきました。
でも、わたしはずっと昔から、そうやっていろんなことを言われてきましたけれど、今まで生きてきたなかで、ふたつだけ、とても勇気をもらった言葉があります。それは、「在日」のオモニがおっしゃられたという「日本語おぼえても、朝鮮人」という言葉と、「北朝鮮」の子どもが言ったという「朝鮮人になりたい」という言葉です。このふたつの言葉のおかげで、わたしは、わたしが誰に何を言われようとも、誰がわたしを決めつけようとも、「朝鮮」というひとつの言葉だけは、絶対に区別したり、失ったりすることはないと、そう思うことができるようになりました。
「朝鮮」は、分けることも、分けてどちらかをやめることもできません。
id:noharraさん、わたしたちは、あなたに命じられるまでもなく、そうやって、ずっと自分たちで、分けたり、分けられたり、やめたり、やめられなかったりしてきたのです。あなたは、歴史を知らない。わたしたちが生きてきた、また今も生きている歴史を、なにひとつ知ろうとすることなしに、わたしたちに、なにかを命じたところで、わたしたちは、なにひとつ応じることはないでしょう。悲しみと怒りをこめて、そういわせていただきます。
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