2010-07-18
遠い時代の多感な成長する少年たち−『少年譜』
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- 作者: 伊集院静
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/02
- メディア: 単行本
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多感な少年の姿を描いた短編小説集。ここに登場する場面は、はっきり年代が述べられていない話もありますが、昭和20年〜40年あたりです。
この時代の子供は、大人と接する機会が現代の子供よりも多いのかもしれません。この短編集のストーリー全部が、大人と子供とのやりとりを中心に描かれており、しかもその関係は父母でも教師でもありません。現代の子供を描いた小説においては、子供の悩みは同年代の友だち関係に表れることが多い気がします。それは近年に特有なものかもしれません。
この短編集のなかでは「親方と神様」が特に好きです。鍛冶屋の親方とそれに憧れる少年とのひと夏の思い出であり、少年の成長を描いています。年配の親方は少年の将来を思いやったうえで、ある決断に至ります。親方が登場する時代は経済成長前です。それは、鍛冶屋という形態での製鉄業が変化することを踏まえた決断と感じられました。親方は、世の中の動向に明るい知識人タイプではないと思いますが、長年の体験からくる思考を通して、その決断に至ったのだと思われます。
年代や男女の性別や育った国の事情など、いろんな違いがあるほどコミュニュケーションには想像力が必要となります。人が相互に理解し合うためには、それぞれが背景にもつ異なる体験を思いやることが必要だからです。現代における年配の人について、想像力を発揮するための手がかりは、ドキュメンタリーや映画や、自分の祖父母の思い出話など、誰もが少なからず知っているはずです。この小説を読むときも、それと同様な想像力が必要と感じました。
僕の身近には、相手の年代が少し違っただけで、コミュニュケーションができなくなる人が何人かいました。僕が管理職の人や役員や社長と何度も話していたとき、何でそんなに話ができるかと不思議に思う人がいたことを、以前ブログに書きました*1。年代が少し上、あるいは下、たったそれだけのことが原因で何も言えなくなるのは、相手を思いやる想像力が欠けていたからではないでしょうか。
複雑系と人間中心−『野生動物と共存できるか』
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野生動物と共存できるか―保全生態学入門 (岩波ジュニア新書)
- 作者: 高槻成紀
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/20
- メディア: 新書
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僕の学生時代の研究テーマには、人間中心という言葉が登場しています。製品や建築物などを設計するにあたり、使う人間にとって有用なものであることは大切であり、それを考えの中心にしたいからです。以来、実務を重ねる日々においても、それは一貫したポリシーとしていました。しかしながら、人間だけに極端な価値をおくというような、悪い文脈でこの言葉が使われることもあります。僕としては、もちろん人間のエゴだけを通そうなどと思っているわけではないのですが、人間と自然に生きる動物との関係について、もう少し考えを深められる余地があるのではないかと思っておりました。そのひとつのヒントになったのがこの本です。
野生動物が生きる環境は、複雑な環境のもとにあり。人間が自らの便益を図ろうとしてその環境に手を加えても、複雑な関係によって、人間の意図しない結果を生み出すことがあります。たとえば、以下のラッコに関する出来事があります。
ラッコは北の海にすんでいて貝、ウニ,カニなどを食べます。そのために北太平洋の沿岸で漁業に害があるということで駆除されました。ところが思わぬことに、こうしてラッコを少なくしたら、漁獲高が増えるどころか減ってしまったのです。(P.25)
調べたところ、駆除によってラッコがウニを食べなくなったため、ウニがコンブを食べつくしてしまい、それを食べる魚の数も減ったことが原因だということがわかったそうです。この本には、他にも動物に関する興味深い事例がたくさん紹介されています。例えば、近年になって人里近くに出没するようになったクマの被害の問題があり、富山県ではニュースにも取り上げられていたこともあって興味深く読みました。それぞれに共通するのは、やはり生物の営みは複雑ということです。
動物の生態を読み解くための、保全生態学に特有の用語や考え方もいろいろ紹介されています。生態に多大な影響を与えるのはキーストーン種と呼ばれていますし、広く分布する種はアンブレラ種と呼ばれているそうです。こうした考え方を用いて、動物の生態を解明する生態学は、緻密で繊細なものと感じられました。論理的に対応してその問題を発見するプロセスとして、自分自身の行動においても参考にしたいと感じます。持続可能な営みを続けていくためには、不確かな思い込みから行動して失敗しないことが大切だからです。
私はこの章のはじめに、野生動物と人間がいい形で共存していくときに、あまりにも理想主義的になって野生生物のために人間の生活を否定するような極端な考え方はよくなくて、あくまで人間中心であることが基本でなければならないと書きました。(P204)
人間が特異だというのは、知能の発達により、あまりに大きな力をもち、あまりに多くの人口になり、あまりに多くの資源を利用するようになってしまったことです。そのモンスターのような人間だからこそ、自分を正しく評価し、野生動物の立場にも配慮し、そのうえでいかに生きるかを考えていかなければならないのです。そのためには、野生動物の価値を正しく認めることが、なににも増して重要なのです。(P.205)
僕は、人間の知能はすばらしいものだと考えています。ひらめきから生まれる創造性を発揮して、農業や工業などの産業や経済活動を行い、価値あるものを創りだすことができますし、複雑な世界を相手に、保全や持続可能な社会への方法をみつけて、問題解決することもできからです。保全生態学などの学問体系も、人間が生み出す価値あるもののひとつです。動物たちの生きる環境を守る力を発揮できるのもまた人間です。そんな人間として、野生の価値も正しく認めねばらなないと思いました。
あきらめない、チーズどころの騒ぎではない大冒険−『川の光』
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- 作者: 松浦寿輝
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
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以前に『チーズはどこへ消えた』*2について読書カードに残しましたが、ねずみの冒険も物語としてさまになります。ミッキーマウスにしても、ピクサーのレミーのおいしいレストランにしてみても、いろんなメディアにねずみの冒険物語があります。
平和に暮らしていたクマネズミのタータとお父さんと弟のチッチの3匹は、川の工事によりそれまでの住居を捨てて上流へと移動します。途中に様々な危険があり、なかなか安住できる場所にはたどり着けません。道中でほかの様々な動物や人間たちと出会います。それぞれの目を通した川の周りの風景や社会の姿があり、人間も動物もそれぞれが自然のなかで生きる存在であることを感じさせます。
自分たちが生きている場所を維持することは大事です。ねずみのタータたちの住居がなくなってしまうこと、いたちがエサを獲得できないこと。敵対するドブネズミたちが自分たちの軍隊的な組織を維持できなくなること。人間にとっては、人がうまく生きるための方法として川の工事をすることもあれば、ねずみの駆除をすることもあります。どれも、それぞれが生きるための目的に沿ったものであり、単に悪いことだとを決めつけることはできません。人間も含めた動物たちは、便益を異にする者の存在も踏まえたうえで、それぞれの生き方を決定してゆく存在です。
タータたちは、当初は自分たちの生きる場所への想いについて無自覚だったようですが、次第に「川に生きるねずみ」というポリシーを持つ存在として目覚めていきます。自分たちにとって居心地がよく満足出来る場所は何か、自分たちにとって決して譲れないものがあるとすれば何か、一貫した自分のポリシーを意識することが、様々な立場の者が共生する上での力になると感じました。それが、自分のいる場所が突然なくなってしまうという危機に対し、乗り越える勇気を生み出したと考えます。
人間の社会も移り変わるものなので、いままで食べていたチーズがなくなることもあれば、家ごとなくなってしまう場合があるのかもしれません。そんな不確実な世界のなかで、どうしても無くしたくないものが、必ず誰にもあると思います。お互いにそれを尊重し、自分の平和な場所を守る努力を忘れたくないものです。
付加価値のマネジメントを農業へ投入−『いのちをはぐくむ食と農』
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- 作者: 小泉武夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/07/11
- メディア: 新書
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自然の恵み、人の気持ち、日々の豊かな生活を支えるからだ。食と農に関わると、それらをまとめて感じることができるのかもしれません。
農業をしている人は、昔からの規則正しい生活を重んじ、豊かな自然や水田と長年向き合ってきた人たちです。そこには尊敬できる知恵や、暖かい思いやりなどが秘められています。だから、その人たちの生きざまを含めて、これからの社会に正しく伝えていくために、現在の移り変わる社会で持続可能なことは何かと、考えさせられました。
僕は農業に携わっているわけではありませんが、この地域で豊かな気持ちで生活していくには何が必要か、それを考えれることは地域で人と接していくうえで必要で、それを踏まえて仕事や生活の判断をする場面も多くありました。
農業を維持してきた昔のひとたちのはたらきのおかげで、安定した平和な社会が形成されてきたのだと考えます。地域社会のつながりや人同士のつながりも、そのなかで安定し、日々の生活やこころ情緒を安定させてきました。しかしながら、前世紀から今世紀にかけて工業や流通や通信が発展し、グローバル経済が成立することによって社会のあり方が大幅に変化し、この国の農業が危機に瀕しているとしたら、この豊かな農業を維持するため、今の時代に生きる人たちが新しいアイデアを投入することによって対処しなければならないのだと考えます。
日本の村落共同体は、年長者の意見に賛同することがよしとされており、それで安定することができたのだと思います。農業はどんな努力をしても、1年に1サイクルしか収穫できないため、農業をうまく運営するための知識と技術を得るためには、時間をかけた経験を積む必要があったからです。科学技術が発展し、グローバルな経済のもとではまた違った農業のあり方が考えられます。たとえば、付加価値を加えることも大事だと感じます。その例として大分県大山町の事例が紹介されています。
いま、とても活発なのは「ハーブクッキーの魔女たち」です。この「魔女」たちは大山町の農家に嫁いできたお嫁さんたちです。農家の収入がとても多くなって、そのため農業の魅力を再認識した農家の後継者の若者がもどってきました。そしてその後継者たちと結婚した若い奥さんたちも、みんないい顔をしています。(P.34)
クッキーの生産や流通は組織だって行われており、ここで生産されてハーブのブランド価値が向上しているそうです。加工する技術、流通する技術、そしてブランドを築く知恵が反映されて大山町の農業に付加価値が加わりました。
日本の農業は、農産物をつくってそのまま売っています。小麦をつくったら、小麦で売る。米をつくったら、米で売る。しかし、そこから一歩踏み出して、農産物に付加価値をつけて売ると、まったく違う展開ができます。たとえば、農家が小麦を生産すると、その小麦をつかってうどんをつくり、これを売ったほうが利益は高まります。(P.44)
流通や生産という産業が発展したことに対し、その恩恵を活かしていくことが可能になります。昔であれば、流通や生産を行う設備を所有し管理するのは難しいことであり、簡単に参入することができなかったのかもしれませんが、いまの社会ではそれが可能です。また、高校生や子供たちが地域の農業に参加することで、教育的な効果があることも書かれています。三重県の相可高校の「まごの店」での事例では、接客などの経験を通して高校生が「相手の気持ちを考える」ことに気づいていったそうです。地産地消や食育を通して、子供たちが豊かな体験を積むことができます。
いま農家ではたらいている人たちは、全員が安心して農業に関わっていける状態では無いと感じてきました。昔ながらの社会が変わっていくことに反発を感じ、お前たちは年長者の言うことを聞くだけでよく余計なことを言うな、という態度で周囲から煙たがられてしまう人もいました。だから、昔から農業をしてきた人には、自分価値ある存在であることを自覚できるよう、人間が生み出した社会と自然との良い関係を持続させて、その価値が伝わっていけたらいいなと考えます。
日本人の悪いところは、一歩踏み出したら後ろを振り向かないで歩みつづけること。しかし、一度立ち止まって後ろを振り向いて、「ああ、まずかったな」とわかれば、そこの原点に帰ってそれを再考することが必要なのです。(P.169)
社会が変わったことに対し、産業は規模を縮小するしかないという発想しかできない人もいます。そういう人の考え方までも変えようとするのは、難しいのかもしませんし、そこまでして人の考えに立ち入ろうとする事自体がおこがましいのかもしれません。だから、自分たちにできることをいま実行して発信し、少しづつでも自分たちの暮らすこの地域をよくするため、伝えていく活動をしたいと考えます。
表題とは裏腹な多様な激動、しずかに受け入れる少年の夏休み−『しずかな日々』
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- 作者: 椰月美智子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/10/03
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さいきん文庫版もでたようです(link:asin:4062766779)
少年の夏休みもの、こうした描写は小説として定番です。成長をつづけるこころとからだとともに刻みつけられた、様々な想い出が凝縮しているのが夏休みです。
主人公の少年は勉強やスポーツが得意というわけではなく、このお話が始まるまではクラスでも目立たない存在だったため、周囲に無関心な性格になっていると感じました。そんな彼の日常が仲のよい友人ができたことをきっかけに、しずかに変わってゆきます。そして母親と家で過ごした日々から、おじいさんの家での暮らしへという変化がおこります。クラスメイトや同年代の友人たちとの交流もどんどん増えてゆきました。それを主人公の少年が素直に感じ取る様子がしずかに綴られていきます。
しかしながら、彼の日常かなり多様な変化が含まれています。じっさい小説になるぐらいのドラマチックな日々なわけですが、そこがあまり感じられないほど、主人公の周りの出来事をしずかに素直に受け止める文体として、日々の出来事が書き綴られていきます。出来事の描写だけでなく、周囲の登場人物の描写も多様なものであり、はっきりとした個性をもつ存在として描かれているのですが、それもまた実に素直でしずかに書き綴られています。
ところで、人は他人の個性というものを、いつもこのように素直に受け止めることができるのでしょうか。出る杭は打たれる。自分の考えと違うものには目を向けない。そうやって、自分の世界に閉じこもる場合もあるように思います。
成長というものイメージとして描くとき、多感な子供の姿は実にしっくりくるものです。おじいさんの家に活き活きと入り込んでくる夏の空気もそれにふさわしいものです。もし、大人が日々成長するイメージを見失ってしまうことがあるならば、そういうものに立ち戻れば、成長を思い出すきっかけににもなるのかもしれません。
少年のおじいさんの家では、おじいさんの規則正しい生活のもと、丁寧に手入れがされており、気持ちのよい庭があります。少年から見て、おじいさんやその家の様子は、かけがえのない成長の日々として思い出されるものになりました。わたしたちは、それぞれこうしたかけがえのない体験を経て成長するものです。そういう場所を見失うようなことをしていないかどうか、様々な個性をもつ人同士の交流から離れていないかどうか。家や生活の場や、自然の空気を感じる機会から離れていないかどうか、考えさせられるものがありました。社会が経済効率のみを求めて、経済面で成長できない者たちを疎外しているのであれば、豊かな自然の空気を感じさせる場所や人との交流から取り残された人が出てきてしまうのではないか。それを防ぐにはどうしたらいいか。
よい小説は、イメージを豊かにさせてくれます。それを経て現実の生活を見つめ直すと、また新たなひらめきが生まれてくるようです。
掛け算のファクター−『ひらめき脳』
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- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/04/15
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前回の記事で紹介した『すぐに実行できるのに誰も教えてくれなかった考える力をつくるノート』*3の、茂木健一郎さんの授業に登場した内容も多く含まれています。
最初に登場するのは「アハ体験」です。なつかしい。この本がでた頃(2006年)テレビ番組「世界一受けたい授業」にて茂木さんが紹介していたものです。4年もたつと、どんなものか思い出せない人もいるかもしれませんね。いま僕は、これを読んでいる人が「アハ体験ってなんだっけ」と、やきもきした気持ちを抱くことを想定しています。まさにこの感覚が、ひらめきから生まれる創造性に深く関わっているのです。
ロジャー・ベンローズが主張している、「創造することと思い出すことは似ている」というテーゼがあります。これは、ひらめきにおける脳のメカニズムを考えた時、とても重要になってくる仮説です。ベンローズは、新しいものを産み出そうとする創造性と、すでに脳内にあるものを取り出そうとする記憶の換気の間には類似性があると指摘しているのです。(P.66)
そこから導かれるのは「無からひらめきは生まれない(P.74)」ということです。僕が聞いた話で「仕事をうまくやったりデザインを考えたりするのは、センスだから自分は何もできなくてもしょうがない」などと言う人がいたことを思い出しました。その人が短大あるいは大学で専攻したデザインの技術や専門的知識について、その人自身はあまり重きをおいていないように見えました。その人の話し方は、短絡的な思いつきが多く、内容の薄さを隠そうとするためか、攻撃的な大声になることが多かったです。普段はやたらと緊張した顔でPC上に向き合うことが多く、一方で居眠りも多い。そこまでいくと話になりません。*4
一方で「僕には知識の引き出しがないから何もできない」という言葉を言う人もいます。自分の意見を言わず、ひたすら誰かの言うことを聞いていることが、有意義な仕事だと思っているようです。前述の「無からひらめきは生まれない」という観点のもと、そう考えたくなるのもわかるのですが、それもまた成果には結びつきません。広く公開された記録や結果が証明しています。
だから、「創造性は、「体験×意欲」のかけ算で表されると言っていいでしょう。(P.117)」という茂木さんの言葉に表されるとおり、体験と意欲の両方のファクターが重要であると考えます。かけ算の性質として、その途中に極端に少ないファクターがあれば、成果の総量は向上しないからです。
…産業革命以後、近代を経て高度経済成長を迎える頃には、知識が豊富な人や事務処理能力の高い人、俗に言う「ホワイトカラー」が評価されてきました。
では、現代社会においてどのような能力が求められているのでしょうか。
そのキーワードとして、「創造性」や「ひらめき」を挙げることができると私は思っています。…(P.26)
ひと昔まえの社会と現代社会との違いは、インターネットやPCの普及という点にあります。世界中からアクセス可能にするのがインターネットなので、ひらめきに限らず悪い評判などもすぐに伝わります。すばらしいひらめきは、それが他の人に伝わって利用されることによって、より大きな成果をもたらします。
また、PCによる業務処理は、ひらめきからくる工夫を投入するによって何百倍にも向上します。以前、僕がいつものように半日で図面100枚ていどのちょっとした修正を行ったとき「これを半日でやるのは無理ですよね」と言ってきた同僚がいました。当時の彼は、様々なちょっとした操作のコツや、マクロなどの活用をあまり知らなかったようです。彼もそれなりのベテランだったので、長年の経験からもう少し多くのことを学んでいてもよいと思ったのですが、彼にはひとむかし前の「ホワイトカラー」のような仕事だけをしていれば世の中についていけるはずだ、という思い込みが強いために、学ぶことができなかったのだと思います。
それと対比する形で思い出したのは、大学時代の先生のことです。この頃普及しはじめたWindowsのPCを使用するにあたって、先生は苦労されていました。エクセルやワードの使い方が全くわからず、学生の助けを要していました。しかし、その数時間後、うまくマクロの処理をしていたことに驚きました。先生には、それまでに数多くの研究に関するデータ処理などを、古いPCで多く行ってきた体験がありました。ですから、先生はその研究生活のなかで、コンピュータというものは計算処理によって膨大な処理を便利にできるはずだ、という確信を強くもっていたのだと思われます。その違いは数時間のうちに表れるのです。
新しいことを始めるとき、怖いという気持ちが沸き起こるのが人の自然な感情とは思います。それは、動物がもつ危険回避の本能でもあります。新しい餌を獲得するため、陸地から海に飛び込む「最初のペンギン」が抱く心の乱れについて考えると、新しい知識や体験を学べずにいた人の気持ちも理解はできます。だから、僕は新しいひらめきや成果を出せなかった人たちを、批判してやっつけようというつもりもありません。しかしながら、勇気を持って飛び込まなければ、ペンギンは餌が枯渇した陸地の中で餓えてしまうのです。勇気を持って踏み出していけば、今までと違う価値ある体験を積んでいけると思います。
*1: 思えば、昔からリーダーの人が大好き - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20091202/1259698201
*2: 何年間同じ思考に留まるつもりですか-【チーズはどこに消えた?】 - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20100603/1275518043
*3:『すぐに実行できるのに誰も教えてくれなかった考える力をつくるノート』 - FDmountwill_millsの日記 http://d.hatena.ne.jp/FDmountwill_mills/20100711/1278843172
*4:僕としては、彼らをやっつけようと思ったのではなく、彼らにも正々堂々とひらめきや創造性を発揮してほしいからここに書いています。個人情報を特定できるようなことはもちろん書いておりません。彼ら自身や、周りの人たちの切実な願いを考慮して記事に盛り込みました。悪しからずご了承ください。





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