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2005-12-13

[] 「論文」という名の「悪夢」

今でこそ、一法務担当者として、

交渉記録だの、傍聴記録だの、

といった細々したドキュメントの制作にいそしみ、

かつ、ブログで批評なんだか感想文なんだか分からないような

駄文雑感を垂れ流している自分であるが、

かつては、「学位論文」という格調高いものに挑戦していた時がある。


いわゆる「研究者にならない人が行く」大学院で、

修士号要件なのに、「修士論文」と呼ばれないペーパーではあったが、

それまで長い文章といえば、時代遅れの○文しか書いたことのなかった(汗)

自分にとっては、大きな挑戦であった。


研究者コースの方のように、

指導教官につきっきり*1で面倒を見ていただけるわけでもなく、

執筆前の面談の場でも、「締め切りまでに出してくれれば問題ないから」と、

そんなに期待してないよムードが満ちている状況ではあったのだが*2

1年ちょっと法律をガリガリかじった程度にもかかわらず、

それまでに比べての相対的な“進歩”に

かなり自信過剰気味になっていた自分は、

2年目の夏学期が始まる前から、

あれこれと文献をかき集めて、

「修士論文というからには、比較法は常識だろう」

「○○○(雑誌名)に載せてもらえるくらいの秀作に仕上げてやろう」

と一人のたまい、挙句の果てに、長く伸びた鼻は、

「○○先生の理論を乗り越えてやる」という宇宙の境地にまで達していた。


だが、当然のことながら、現実はそんなに甘くはない。


威勢が良かったのは、構想段階までで、

いざ書き始めてみると、

大量の文献に流される中で、

当初想定していた論点は微妙にずれ、

問題提起から結論に至るまでのプロセスは、

大きな修正を迫られることになった。


外国文献にも手を出してみたものの、

「Lexis」から引き出した多量の判例を整理することさえままならず、

単に自分の語学力の欠如ぶりを痛感するだけに終わった。


指導教官に救いを求めるには、

自分の悩みはあまりに低次元過ぎ、

先生もまた、あまりに忙しい方だった。


最初は、空白のパソコン画面を見つめながら同じように唸っていた

周りの仲間達も、

やがて1000字、5000字、10000字と顔に達成感を浮かべつつ、

鼻歌交じりで原稿を書き進めるようになり、

自分の焦りはますます募っていった。


提出締め切り日は、

みんなが幸せになるはずのクリスマス・イブ


だが、自分の作業は、12月に差し掛かっても一向に進まず、

暖房の利きが悪い書庫にもぐって、埋まらないピースを必死で探しながら、

底冷えする寒さの中、論文未提出→修了不可、の「悪夢」に

心底怯えていた・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何が転機になったのかは分からない。


だが、締め切りが近づいたある日、

飲まず食わずで10数時間パソコンに向かい続け、

気が付いた時には、「仕上がっていた」論文を目の前にして、

我ながら呆気にとられていたことを、今でも良く覚えている。


それまで比較的細かくフォローしていた、

リファレンスだの脚注だのは当然すっ飛ばされていたし、

接続詞だの語尾だのも滅茶苦茶だった。


だが、一応、文章自体はつながっていたから、

後は“微調整”だけでよかった*3


追い詰められて、

「どうせ卒業したら人目に触れることのない論文だ」と開き直って*4

「いいものを書こう」という“気負い”が消えたのが良かったのか、

それとも、悪い霊が自分に乗り移ったのか、

その辺は神のみぞ知るところだが、

「最後は何とかなるもんだ。」というセリフが、

説得力のある言葉に思えたことは、

このときを除けば、後にも先にもない。


とにもかくにも、

「論文」という名の「悪夢」におわれた日々が、

結果として、自分の人生の中の最良の経験の一つになったことは間違いない。


今でも時々、夢の中で、

絶望的な印の付いた12月のカレンダーに悩まされる反面、

その後、仕事で少々タイトな締め切りを課されても、

余裕をもってこなせるようになった、というのは大きな収穫だろう(笑)。


残念ながら、提出した論文は、

「知(恥)的ゴミくず」の域を出ないものとしか思えなかったし、

提出直前に目を通してくれた指導教官の表情も、

“苦笑い”の域を出なかった。


それから数ヶ月、

自己嫌悪の極地に陥っていた自分は、

後でもらった論文集も、

記憶とともに引き出しの中に直ちに封印した(つもりだった)。


だが、それから何年も経った最近になって、

古いフロッピーに閉じ込められた自分の格闘の後を

偶然見つけて、眺めていたら、

案外まともじゃん、

と思えてきたから、また不思議なものである*5


少なくとも、今同じものを書けと言われても、

研究の“香り”から離れて久しい自分に、

書ける自信は全くない。


時節柄、「追い込まれムード」が強まる時ではあるけれど、

「最後は何とかなるもんだ。」ってセリフを、

人生のうち、一度くらいは、信じてみるのも良いものだ。


書き上げた瞬間は「駄作」としか思えない文章でも、

何年か経って見返したとき、

また違ったものが(少なくとも書いた本人にだけは)

きっと見えてくるはず・・・。


そして、格闘した日々は、

決して無駄にはならない(と思う)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


なお、年の瀬になると思い出すこのエピソード。


自分があんな大それた挑戦をすることは、

もう二度とないと思われるが、

今でも、付箋をベタベタ貼った『民法研究ハンドブック』は、

大事に部屋の書棚にしまってある。

民法研究ハンドブック

民法研究ハンドブック


書き終えた瞬間は、

どんな大金を積まれても、もう二度と論文なんぞ書きたくない、

と思ったものだが、

今は、自分のライフステージの最後にでも、もう一本・・・

などという、ありえない妄想を抱いたりもしている(笑)。

(喉元過ぎれば何とやら・・・)

*1:たぶん、指導を受けている当人達の側にしてみれば「そんな丁寧に面倒見てもらってないよ」、と言いたくなるところだろうが、あくまで“相対的”な比較の問題である。

*2:もっとも、「締め切りまでに出してくれれば・・・」というオーダーが、いかに恐ろしいオーダーだったか、後で思い知ることになるわけだが・・・。

*3:もっとも、そこから締め切りまでの数日間で、再度地獄を見ることになるのだが、ここでは割愛する。「最後まで埋まった」後は、もはやヤッツケ仕事の域だったし・・・。

*4:最初からそれが分かっていてもあれだけ苦労したのだから、「読ませるための論文」を書くことが義務づけられている研究者(特に若手研究者)の方々の苦労は如何ばかりか・・・。察するにあまりあるものがある。

*5:今読んでいただいたとしても、指導教官の評価が変わることはないだろうが・・・(涙)

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