企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2007-05-03

[][] 「憲法記念日」に思う。

昔、自分が生きている間には決して改正されることはないだろう、と思っていた憲法だが、ここに来て国民投票法案の制定など、一気に“改憲”の可能性が高まって来ているようだ。


ちょうどこの日発表された日本経済新聞の世論調査によると、

「現憲法を「改正すべきだ」との回答が51%を占め、「現在のままでよい」の35%を上回った。現憲法の問題点を複数回答で聞いたところ、よい環境を享受する環境権や個人情報の自己決定などのプライバシー権の創設を念頭に置いた「時代の変化に対応した規定がない」が29%で最多。「戦争の放棄を定めた9条が現実に合わない」は22%だった」

日経新聞2007年5月3日付朝刊・第1面)

改憲賛成派」は2年前の調査に比べて3%減った、ということで、記事では「改憲が現実味を帯びてきたことで有権者の見方がやや慎重になってきたようだ」と分析されているが、この程度の数字であれば、誤差の範囲内といっても良いだろう。


冷静に考えれば、憲法96条にきちんと改正のための規定が盛り込まれているにもかかわらず、それを実現するための手続法が存在しなかった、というのはおかしな話だし、「憲法改正」というと半ば脊髄反射的に「憲法9条」の争点だけが俎上に挙げられていた、というのもおかしな話だったのであって、「改憲」という言葉のイデオロギー性が薄れつつある今、憲法改正に向けての建設的な議論を始めることは、決して間違ったことではないと思う。


・・・もっとも、憲法9条をめぐる改憲派の主張(特に集団的自衛権に関するくだり)は、諸外国(特にアメリカ)に対して“見得”を張りたいがゆえの主張としか思えないし、環境権やプライバシーのように現行の条文からも解釈で無理なく導ける“権利”をあえて規定する意味も大して感じられない。


憲法改正の発議要件自体の見直しも俎上に上がっているようだが、“改正限界説”をとるのであれば、硬性憲法性を危うくするような改正そのものを肯定できるか疑問だし、そういう立場を取らないとしても、時の政権の気まぐれで頻繁に国民投票が行われるような世の中になってしまうとしたらそれはそれで迷惑千万、各種資格試験の受験生にも気の毒なことこの上ない(笑)*1


前文を書き換えて「歴史や伝統的な価値観」などを表現しようとする動きもあるようだが、そもそもこの国における「歴史や伝統」って何なのだろう?


素直にこの国の歴史を眺めるなら、良きにつけ悪しきにつけ、特定の宗教や価値観、イデオロギーに固執することなく、様々なものを取り入れてきたことが、ここまでの発展につながってきたと評価すべきなのであって、いわゆる“日本的文化風土”や“伝統的価値観”といったものは、明治以降の主権国家を生成していく過程に(あるいは戦後の高度成長期に)、一種政策的に捏造されたものに過ぎない、と解するのが妥当だろう。


だとすれば、真実に合致しない特定の思想の押し付けを、憲法の前文を使って行うなんてことが許容される道理はない。


そもそも「前文」は改正する対象となりうるものなのだろうか?


本のはしがきと同じで、改訂版が出たら(改正されたら)新たに付け加えていく、という類のものではないのか・・・?


ということで、少なくとも現在出されている改正案だけ見れば、どれに対しても「反対」票を投じざるを得ない、というのが筆者の率直な心情である。


個人的には、今の憲法には“継ぎはぎ感”があるのは否めず、特に前半の人権部分のシンプルな書きぶりに比して、後半の統治部分が必要以上に詳細な定めになっているというところになんともいえない違和感を抱いているので、そのあたりのバランスをキレイに整えていただければ、と思っていたりもするのであるが、条文が少ないゆえに一言一句に憲法学者の怨念魂が込められている憲法典のこと。会社法のような大胆な改革を期待することには無理な相談、と半ばあきらめている・・・。

*1法律系の資格試験で憲法が試験科目に入っていないものを探す方が大変である。

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