企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2007-12-20

[][]世の中そんなに甘くない。

「著作者人格権」をめぐって、著作者と、著作権の譲渡を受けた事業者の間でトラブルになった事例というのは決して珍しいものではなく、先日紹介した「ひこにゃん」のケースなどはまさにそれに該当するものなのであるが、一度著作物を合意の上で譲渡した著作者が、後になってから著作者人格権を元にクレームをつける、というこの種の事例に、自分は何となく胡散臭さを感じてしまう。


著作者の最後の拠り所、と言えば聞こえはいいが、実質的には著作権をめぐる“利益紛争”を有利に導くための“ゴネ道具”に過ぎないんじゃないか、と。


それが典型的に現れているのが以下の事例であろう。


東京地判平成19年12月6日(H18(ワ)第29460号)*1


本件は、「365枚の花の写真を1年間の日ごとに対応させた日めくりカレンダー用デジタル写真集」を作成した原告が、携帯電話利用者向けサイト(「@Fケータイ応援団」)を開設する富士通株式会社を相手取って起こした訴訟である。


原告は、平成15年4月又は5月ごろ、本件写真集中の花の写真の画像データの著作権を被告子会社富士通パレックスを通じて273万7500円で譲渡していたのであるが、本来1年365日で一まとまりに構成されるはずの「写真集」について、被告が、

「毎週1枚のみを配信し、かつ各配信日に対応すべき写真を用いなかった」

ことをもって、写真集の著作者人格権(同一性保持権)を主張して、慰謝料の支払いを求めている。



これだけ見ると、「編集著作物の著作者人格権侵害は、どのような場合に認められるのか(そもそもこういう類の著作物が編集著作物に該当するのか)」などと、マジメに考えてしまいそうだが、どうも様子がおかしい。


というのも、裁判所の事実認定によれば、原告は被告に対して、平成14年10月ごろに本件「日めくりカレンダー」の企画を提案して以降、被告担当者に何度か企画の実現を断られながらも、必死で売り込んで何とか配信にこぎつけた、にもかかわらず、反響が著しくなかったために、平成15年11月16日には正式に被告が写真の購入を断った、という事情があるからである。


原告は、被告が写真を試験的に配信していた平成15年7月から、既に本件と同様の主張をしていたのであるが、その要求は、「写真のさらなる買い取り」を求めるお願いとセットで行われており、客観的に見ればその真意を疑われても不思議ではなかった、といえるだろう。


裁判所は、この点を冷静に判断し、

「本件事案の紛争の実体は、原告が、本件写真集の発表の手段として、本件サイトにおいて、本件写真集中の花の写真が「日めくりカレンダー」として画像配信されることを期待していたのに対して、被告による本件配信行為の内容が結果的にその期待に添うものではなかったという行き違いに端を発したものであること(略)に鑑み、当裁判所は、まず争点3(本件配信行為について、原告の明示又は黙示の同意があったか)について判断することが相当であると考える」(10頁)

と述べた上で、本件をめぐる原告・被告間のやりとりから、

「原告がその内心において本件写真集中の花の写真を「日めくり」にして配信して欲しいとの期待を強く持っていたとしても、そのことは被告側の担当者に対しては十分に伝えられておらず、むしろ、原告にとっては、被告に本件写真集中の花の写真を購入してもらうことができるか否かが、被告との交渉においては最重要の関心事であったのである。」

「上記アにおいて認定した各事実によれば、仮に本件写真集が編集著作物に該当するものであったとしても、原告は、被告が本件サイトにおいて本件写真集中花の写真を毎週1回の割合で更新して配信することについて、遅くとも本件譲渡行為の時点までには黙示に同意していたものと解さざるを得ない。」(17頁)

と断定した。


そして、「内心の期待」を強調した原告の主張に対しては、

「「黙示の同意」の有無は、あくまで外部的に現れた客観的事実の総合評価によって判断されるべきものであって、上記のような原告の期待という、原告の内心に留まって外部的に何ら表示されていなかったような事情によって、その判断が左右されるべきものではない。」(18-19頁)

と手厳しく退けたのである*2


口頭のやりとりの認定は、当事者の尋問技術の巧拙に由来するところがあるのは否定できないにしても、電子メールでつけたクレームの中でも、もっぱら写真の購入や代金増額修正に重きを置いているかのような表現が見られる、といった点は原告にかなり不利な事情といえ、このような結論に至ったのはやむを得ないといえよう。


そして、訴えられるリスクを予見した事業者が、著作者側の「真意」が露見しているメールや交渉記録等をしっかりと残しておいたことが、上記のような穏当な結論につながった、ということができる。


もしかすると控訴審で判断がひっくり返る可能性もないわけではないから、うっかりしたことは言えないのだが、こういう筋の悪い訴訟が乱発されるような世の中になってしまうと、個人からコンテンツを買おうなんて発想も、到底生まれてこなくなるわけで、結局は著作者側が自分で自分のクビを締めているように思えてならない。




「著作者人格権」は立派な「権利」だ。


だが、権利には、常に「濫用してはならない」という制約がついて回ることも、また忘れてはならない、と思うのである。

*1:第46部・設楽隆一裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20071207145638.pdf

*2:なお、裁判所は結局、編集著作物該当性、及び著作者人格権侵害の成否、といった論点には言及していない。

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