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2008-07-22

[][]腑に落ちない結論

ライブドア事件・堀江貴文被告の公判「傍聴記」無断転載をめぐる訴訟で、被控訴人(被告)ヤフー株式会社に対して発信者情報開示とブログ記事削除を求めていた控訴人(原告)が、東京地裁に引き続き、知財高裁でも全面敗訴した。


本件の判決に関してはいろいろと差し引いて読まないといけない部分もあるし、本判決が出たからといって、諸々の記録系サイトからの記事転載が全てフリーになる、などということには決してならないと思うが、実際の原告サイト記事の使われ方を見た時、この結論で果たしてよかったのか、と複雑な思いを抱いてしまうのも事実である。


以下、追って見ていくことにしたい。


知財高判平成20年7月17日(H20(ネ)第10009号)*1

原告:X(個人)

被告:ヤフー株式会社


原告は、平成18年9月12日、東京地裁刑事第1部で開かれた被告人堀江貴文に対する証券取引法違反被告事件の第4回公判期日において行われた証人尋問を傍聴し、その内容をノートにメモし、それを元に「原告傍聴記」を作成して、平成18年9月14日にインターネットを通じて公開した*2


一方、被告は、『Yahoo!ブログライブドア被害者日記』に、2度に分けて原告の傍聴記と同一内容の記事が転載され、原告によって当該ブログ記事の削除が求められたにもかかわらず、応じていなかった。


問題とされているブログ*3をちょっとのぞいてみたが、記事の多くは新聞社の記事等からの転載であり、適法引用の要件も到底充たしていない*4


そして、本件との関係で言えば、判決中の「ブログ記事1」*5、「ブログ記事2」*6ともに、原告サイトからの“丸写し”であり、特に「ブログ記事1」については、出典元の表記すらない悪質な態様の転載というほかないように思われる(法的責任はともかくマナー違反のそしりは免れまい)*7


にもかかわらず、以下のような説示により、原告(控訴人)の請求は棄却された。

著作権法2条1項1号所定の「創作的に表現したもの」というためには,当該記述が,厳密な意味で独創性が発揮されていることは必要でないが,記述者の何らかの個性が表現されていることが必要である。言語表現による記述等の場合,ごく短いものであったり,表現形式に制約があるため,他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合は,記述者の個性が現われていないものとして,「創作的に表現したもの」であると解することはできない。」

「また,同条所定の「思想又は感情を表現した」というためには,対象として記述者の「思想又は感情」が表現されることが必要である。言語表現による記述等における表現の内容が,専ら「事実」(この場合における「事実」とは,特定の状況,態様ないし存否等を指すものであって,例えば「誰がいつどこでどのようなことを行った」,「ある物が存在する」,「ある物の態様がどのようなものである」ということを指す。)を,格別の評価,意見を入れることなく,そのまま叙述する場合は,記述者の「思想又は感情」を表現したことにならないというべきである著作権法10条2項参照)。」

(以上8頁)

ア 原告傍聴記における証言内容を記述した部分(例えば,「○ライブドアの平成16(2004)年9月期の最初の予算である」「○各事業部や子会社の予算案から作成されている」)は,証人が実際に証言した内容を原告が聴取したとおり記述したか,又は仮に要約したものであったとしてもごくありふれた方法で要約したものであるから,原告の個性が表れている部分はなく,創作性を認めることはできない

イ 原告傍聴記には,冒頭部分において,証言内容を分かりやすくするために,大項目(例えば,「『株式交換で20億円計上』ライブドア事件証人・丸山サトシ氏への検察側による主尋問」)及び中項目(例えば,「証人のパソコンのファイルについて」)等の短い表記を付加している。しかし,このような付加的表記は,大項目については,証言内容のまとめとして,ごくありふれた方法でされたものであって,格別な工夫が凝らされているとはいえず,また,中項目については,いずれも極めて短く,表現方法に選択の余地が乏しいといえるから,原告の個性が発揮されている表現部分はなく,創作性を認めることはできない。

ウ この点について,原告は,原告傍聴記は本件ノートに基づいて作成したものであり,本件ノートと対比すればその「分類」と「構成」に創意工夫がされているから,原告傍聴記に創作性が認められるべきであると主張する。そして,具体的には,(1)原告傍聴記2の証人の経歴に関する部分は,主尋問と反対尋問から抽出していること,(2)原告傍聴記1の「○クラサワコミュニケーションズとの株式交換も計上していることを口頭で説明した」,「■堀江被告は何も言わなかったが,分からないときは質問するので,説明を理解していたと思う」の記述及び原告傍聴記2の「○大学卒業後,未来証券に新卒入社」,「■個人投資家からの株式売買受託やベンチャー企業の資金調達に携わる」,「■1年半弱で退社」の記述は,実際に証言された順序ではなく,時系列にしたがって順序を入れ替えたこと,(3)原告傍聴記2において固有名詞を省略したこと等を創意工夫として例示する。

しかし,原告の主張する創意工夫については,経歴部分の表現は事実の伝達にすぎず,表現の選択の幅が狭いので創作性が認められないのは前記のとおりであるし,実際の証言の順序を入れ替えたり,固有名詞を省略したことが,原告の個性の発揮と評価できるほどの選択又は配列上の工夫ということはできない。原告の主張は採用できない。

(11-12頁)

確かに「一問一答形式の証人尋問を箇条書きでまとめる」というスタイルでは、どんなに表現力豊かな作者が記述しても、同じような表現になってしまう可能性が高い。


一部証言の順序等を入れ替えて整理しているところもあるので、「編集著作物」としての著作物性を強調する、という手もあったとは思うのだが*8、それでも限界はある。


元々「傍聴記」のような記事は、法廷で実際に起きていた“事実”をいかに忠実に伝えるか、というところがキモになるわけで、それが優れたものであればあるほど著作権法10条2項の領域に近づいて、著作物としての保護を受けにくくなる、という代物なのだ*9


そう考えると、本判決のような結論になってしまうのもやむを得ないように思える。



だが・・・。


本件は「デッドコピー」の事案であって、これまでの裁判例で著作権侵害が否定されてきたような、“特定の事実を似たような表現で記述してしまった”といった類のものではない。


そして、いかに記述の対象の性質上、表現方法に選択の余地が乏しいとしても、他の表現の余地が全くないとまではいえないのだから*10

「わずかな創作性を肯定した上で、本件ブログ記事と対比し、デッドコピーであることをもって著作権侵害を肯定する」

という処理をすることも可能だったのではないだろうか。


他人の書いた記事をベタベタと張りまくるだけのたちの悪いブログも決して少なくない今日、実際に制裁を受けるかどうかはともかく*11、安易なデッドコピーはリスクが高い、ということを知らしめる意味で、異なる判断をする余地もあったのではないか? と思わずにはいられない。



なお、冒頭でも述べた「本判決を差し引いて読まないといけない」事情として、以下の点を指摘しておきたい。

1)本件訴訟が「デッドコピーされた者」対「デッドコピーした者」という構図で争われたものではなく、あくまで「デッドコピーされた者」対「デッドコピーした者と契約していたプロバイダー」という構図で争われたものだったこと。

プロバイダーにとって“発信者情報開示”というのは極めて重いサンクションだし、それゆえプロバイダ責任制限法の解釈においても、

一 侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。

二 当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき。

という事由をなるべく狭く解する方向で、議論が積み重ねられている。


ヤフーの立場を慮るのであれば、著作権侵害の成否について明確な判断を示すことなく、プロバイダ責任制限法の解釈で請求を棄却する、という道もあったように思うが、本判決がより端的に権利侵害そのものを否定した気持ちも分からないではない。


2)本件が飯村コートに係属してしまったこと(笑)

保護される領域と、保護されない領域をキッチリと区切りたがる飯村敏明裁判長の法廷が、本件を取り仕切ることが決まった時点で、本判決の結論は見えていたように思われる。


これが塚原コート(第1部)であれば、もしかしたら違う結論が出たかもしれない*12


典型的な知財権に基づく保護が及ぶ領域と、そうでない領域をキッチリとわけ、後者については救済の余地がないかのような判決を書くことすらある飯村コートの考え方は、「表現の自由」を最大限保護する上では欠かせない、というべきなのかもしれないが、だが、問題となっている利用行為が、保護すべき「表現」とは言いがたい本件のような事案についてまで上記ルールを適用しようとすると、どうしても結論の妥当性に疑問が出てきてしまうのであって、本件ではその点についても留意されるべきではなかったか、と思う。


3)争われていた“著作物”が裁判手続に関するものであったこと。

被告側の主張にあがっているような、

裁判の公開を担保し、国民の知る権利、国民による司法の監視を実現するためには、原告傍聴記のような傍聴記録の著作物性を広範に捉えることは妥当でない。」(5頁)

といった主張は少々言いすぎだとしても、「傍聴記」の著作物性を認めることで、以後の裁判所の活動に何らかの支障が出る可能性がある、と裁判所側が考え、上記のような価値判断を行った、と考えることもできなくはない。


4)原告を保護しなかったからといって、創作へのインセンティブが損なわれることにはならないと考えられること(?)

ちょっと無理があるのを承知の上で言えば、保護によるリターンが新たな創作へのインセンティブを高める、という単純な“インセンティブ論”から、「著作権による保護があってもなくても創作を続けるであろう本件原告のような人々(というか世の中でHPブログを開設している人全般?)については保護の必要性が後退する」という理屈を導き出すことも不可能ではない。


裁判所がそこまで(表に出ない)考慮要素に含めて考えたのかどうかについては知る由もないが、問題の「デッドコピーされた記事」が“インターネット上に個人が公開していたもの”であった、ということが、結論に全く影響を与えていないまでは言えないように思う。


もし、同じような記事を新聞社や著名なライターが掲載していたとしたら、それをデッドコピーしたブログ記事の著作権侵害の成否について、裁判所が本件と同じ結論を思い切って出せたのかどうか・・・疑問の残るところではある。



以上、ダラダラと書いてしまったが、要は、全ての場合に、本判決と同じような判断が導かれるとは限らないし、導いてほしくもない、ということをいいたかったわけで。


本判決を伝えるニュースを鵜呑みにして、何でもかんでも“ただの事実”だからデッドコピーしても大丈夫、などと即断する人はそうそういないと思うが、もしそう思っている方がいるのであれば、それはちょっとリスクが高いんじゃないの? と老婆心ながら言ってみる次第である。

*1:第3部・飯村敏明裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080718104623.pdf

*2:原告のサイトは、http://www.horie-bocho.com/district/060912/index.htmlだと思われる。判決に引用されているものとは見出し等が若干異なっているが・・・。

*3:タイトル等からして、http://blogs.yahoo.co.jp/bachtobackだと思われる。

*4:一応「○○新聞」といった出典の明記はされているものの、「主従関係」等を考えると、到底引用にあたるとはいえないだろう。

*5http://blogs.yahoo.co.jp/bachtoback/41919742.html

*6http://blogs.yahoo.co.jp/bachtoback/42780153.html

*7:「ブログ記事1」のコメント欄には、原告と思しき者による警告がなされていたりもするのだが、それでも上記ブログの管理人は同種行為をやめていない。

*8:この辺は本人訴訟だけあって、全般的に主張が弱いように思える。

*9:これは、著作権法があくまで“創作的な”“思想又は感情”の表現物を保護するもの、という建前を取っている以上、やむを得ないことなのかもしれないが、普通の人なら違和感を抱くところでもあるだろう。

*10:原告が公開した記事は、原告自身が証拠としてあげている「自己のノートに記された傍聴メモ」とも異なるし、裁判所によって作成されているであろう「証人尋問調書」とも異なるはずである。

*11:仮に、原告と本件ブログの管理人が直接の当事者として争って原告側の主張が認められたとしても、それによって本件ブログの管理人がどの程度のダメージを受けるか、は怪しいものである(当該記事をブログから削除し、せいぜい僅か数万円の損害賠償額を支払えば、それで終わってしまう可能性は高い)。

*12:新聞記事の見出しのデッドコピーが争われたヨミウリ・オンライン(YOL)事件でも、東京地裁の飯村コートが請求を全部棄却した後、知財高裁の塚原コートで、一部認容判決が出された、という経緯があった。

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