北京五輪・敗者の掟(その1)

華々しい開幕*1から1週間経った。


長いように見えて短い五輪日程。前半戦もほぼ終わりを迎え、競技、選手ごとの泣き笑いも鮮明になりつつある。


最終的にどういう総括をするのかは分からないが、自分の主観では、日本選手団の中の「勝ち組」の代表格は、やはり競泳陣ということになるだろうと思う。


連続二冠、という偉業を達成した北島康介選手については言うまでもないが、他にも前畑秀子以来の日本人女子2大会連続メダル(中村礼子選手)、あのフェルプスに食い下がった200バタフライ(松田丈志選手)の銅メダル、そして、メダルには届かなかったものの、自由形短距離で52年ぶりの決勝進出(奥村選手、200×4リレーでも東京五輪以来の決勝進出)等々、土壇場で乗り換えた水着の力も借りつつ、日本新を連発した戦いぶりは、戦前の不利な予想を嘲笑うかのような見事なものであった。


もちろん、国内選考会からの不振を最後まで引きずってしまった柴田亜衣選手(400自、800自)のように、実力を出せないまま大会を去っていった選手もいる。


北島選手の2冠達成が大きく紙面を飾った同じ日の夕刊に、小さく掲載された

「情けないというか、申し訳ない」
「ここでベスト(記録)を出すためにやってきたのに」
「今後については(五輪が)終わってから考えます」

という彼女のコメントは何とも痛々しい*2


思えば、ちょうど4年前に女子自由形長距離で主役を張るはずだった山田沙知子選手も、最後に勝負を賭けたはずの800自由形で予選落ち。柴田選手の活躍を横目に涙を呑む形になった。


歴史の悲劇は繰り返す、などというと安直過ぎるだろうか。


いずれにせよ、今大会をもって選手生活引退を表明している柴田選手のこと。最終的にどういう判断をするのかは分からないが、今回の敗北をもってしても、4年前の金メダルの輝きが色あせることはないのだから、胸を張って次のステップに進んでほしいと願っている・・・。

「敗者」の掟

さて、先日も触れたように、“期待に応えられなかった”選手達に対する各種メディアの仕打ちはなかなか手厳しい。


パターンとしては3つほどあって、

(1)「残念でした」と一声かけるが、大会のハイライト映像からは削除。
(2)思いっきり罵声を浴びせて戦犯扱いするも、大会後の動向は追いかけずに放置。
(3)無視。

といったところか。


“穴”としてマニアック層向けに紹介されるマイナー競技の選手などは、結果が出なければ確実に(3)になるから*3、叩かれ、あるいは一声かけてもらえるだけ、(1)、(2)の層の選手達は幸せなのかもしれないが、それにしても・・・と思うところはある。


以前にも紹介したNumber誌(709・710号)のメダル予想で、前半戦のメダル候補に挙げられていたのは以下の選手たち。

<競泳>
男子平泳ぎ100m、200m 北島康介選手(金)
男子背泳ぎ200m 入江陵介選手(銅) 
男子メドレーリレー 日本(銅)
女子バタフライ200m 中西悠子選手(銅)
女子平泳ぎ200m 種田恵選手(銅)
<柔道>
男子100キロ級  鈴木桂治選手(金)
男子100キロ超級 石井慧選手(銀)
女子48キロ級 田村(谷)亮子選手(金)
女子52キロ級 中村美里選手(金)
女子78キロ超級 塚田真希選手(銀)
<体操>
男子団体 日本(銀)
男子個人総合 富田洋之選手(銅)

競泳陣に関しては、北島選手とリレー以外は“外れ”の結果となっているが、いずれの選手も決勝に進出して、これまでの鍛錬の跡は見せていたように思うし、柔道にしたって1人を除けば、メダルの色の違いでしかない。


体操に至っては、新世代の力が思いのほか伸びていたようで、次回に期待を持たせる、という点では、予想以上によい結果となっている。


ゆえに、スポーツ専門誌の目から見れば、今回の前半戦の結果を“国民の期待を裏切った”などというのは、ちょっと酷だということにもなりそうなものだが、そうは問屋がおろさない・・・というのが現実なわけで。


特に、未だに「出場すれば金メダル争いをするのが当たり前」という風潮が強い「柔道」に関しては、巷の人々の視線も、それを感じて報道するメディアの当たりも厳しかったようである。

柔道

元々スポーツ面には、辛口なコメントが掲載されることが多い日経紙だが、こと今回の五輪の柔道に関する記事には手厳しいものが多かった。


特に、女子柔道界のパイオニア山口香・筑波大大学院准教授のコラムなどは、

「ここで肝に銘じてほしいのは19歳だとか、「初出場だから」というのを言い訳にしないこと。内柴も4年前は初出場だったが、ちゃんと金メダルを取っている。初出場だから勝てなかったのではなく、実力がなかったと受け止めないと、ここからの4年も無為になる。」
「それは初戦で負けた同じく初出場の平岡拓晃選手(男子60キロ級)にも言える。どんなに緊張したとしても、万全の体で臨めなかったとしても、あの米国選手には負けてはいけない。」(8月11日付夕刊)

「欧米との身体能力の差は女子より男子の方が大きい。試合や海外遠征を通じて十分分かっていたはずなのに、男子柔道にそれに対応する準備ができていたのかどうか。」
「日本選手は明らかに体力負けだ。素晴しい技術があって「組めばチャンスがある」といっても、組ませてもらえなかったら意味がない。」(8月14日付朝刊)

「男子の戦いについて他の関係者とも話したことだが、五輪に出るだけの準備を本当に積んだのかと言いたくなる。突き詰めれば、監督やコーチが選手を甘やかしていないかということ。」
「今回の敗北が持つ意味は大きい。日本柔道は瀬戸際に立たされた。4年後のロンドンは大変なことになるという危機感を抱いている。全階級で出場枠を取ることさえままならなくなるだろう。」
「今回の不振を反省するとき、日本が言ってはいけないことが幾つかある。「組ませてもらえなかった」「外国のJUDOにやられた」「五輪は怖い、何が起こるか分からない」。今までそうやって自分たちの都合のいいように解釈してきたツケがここにきて回ってきている。世界の柔道から取り残されかけている。」(8月15日付夕刊)

と、日程が進むたびに激しさを増す一方。


また、通常は敗れた選手を適度にフォローしつつ、淡々と書かれることが多い報道記事も、男子の終盤になってくると、さすがに記者が腹に据えかねたのか、

「「言い訳はしない。結果が全て。自分が弱かっただけ」と泉。万全でも余裕のない泉が調整に失敗しては望みがない。引退もちらつく敗戦だ。」(男子90キロ級・泉浩選手に対して)

「チャンピオンの落日とはこんなものである。あれほど強かった柔道家がいとも簡単に投げ捨てられた。それも2度。その瞬間、鈴木は変わり果てた自分の姿に号泣した。」
「五輪、世界選手権、全日本選手権の「三冠」を24歳で達成した柔道家が満たされて失ったものもあった。休養でリフレッシュしたつもりでも、井上康生を追いかけ、乗り越えていったときの厳しさ、スキのなさは取り戻せなかった。」(男子100キロ級・鈴木桂治選手に対して、山口大介記者)

と、相当厳しい中身になっている。


コラムにしても記事にしても、的確に問題を見抜いているように思えるし、特に「変わらないと取り返しが付かなくなる」と檄を飛ばす山口香氏の言葉などは、(本来、競技団体に対して向けられたものであるが)選手達にも熱く重い言葉として響くことだろう(もし日本に帰ってから記事を目にすることがあれば、の話だが)。


また、初戦で惨敗してもこれだけ記事として取り上げてもらえるのが「柔道」ならではで、負けたら話題にすらならないマイナー競技と比べたら、まだ幸せなことなんじゃないか、と勝手に思ったりもしている。


ただ、先に挙げたパターン(2)のように、“結果を残せない”という状況が定着してしまえば、一時は盛り上がっても、いずれ無視されるようになってしまう運命にあるのが敗者の常。


下手をすれば、山口香氏がコメントしようにも、それを載せてくれる媒体がなくなってしまう、ということにもなりかねない。



石井選手を除けば、結果を残したのは「アテネ組」ばかりで、しかも前回覇者の中にも成績を下げたものが多い・・・と、まるで次の選挙の自民党議席のような状況になってしまったこの競技。


石井選手にしても、解説の篠原信一氏のコメント*4に象徴されるように、競技の“顔”として前に出るには今一歩のキャラクターだけに、日本人としてはこの競技の行く末を案じざるを得ないわけだが、順当に行けば次の大会で解説席に座ることになるであろう井上康生選手の出番がなくならないように、今は次回大会での奮闘をただただ祈るほかない・・・。


(つづく)

*1:後になっていろいろと味噌が付いた感もあるが(笑)。

*2:日本経済新聞2008年8月15日付夕刊・第29面

*3:今大会のセーリング競技などは、確実にそうなってしまいそうな運命にありそうだ。

*4:「石井はあまり喋らん方がいいですね」

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