11年の時を超えて

“時を超えて・・・”シリーズが続くが、今回のエントリーは、マラソンに触発されて書いた、というわけではない。


「3月10日」と言えば、三四×池前の人だかりをかき分けた経験のある者にとってはそれなりに思い出深い日付なわけで、そんな一日を回顧する他のブログの記事に触発されて、自分も思わず見出しをつけてしまった。


季節がめぐってくるごとに、この時期のざわめいた空気を何となく思い出してしまう、というのは、同じ空間で時間を過ごした人間には(時代のズレこそあれ)、多かれ少なかれ共通していることなのだろう、と思う。


もっとも、自分の印象に残っているのは、「10日」という日付とリンクする“これから”のイベントの方ではなく*1、その後にめぐってくる“追い出し”の儀式の方なのだが・・・。





自身が胴上げされた思い出より胴上げ(もちろんする方)と写真撮影とパンフ配りのために走り回った記憶の方が鮮明な「10日」とは違って、その後にめぐってくるイベントの記憶は未だに生々しい。



掲示板に卒業内定者の学籍番号*2が張り出されたのを見に行く時なんて、それまでにないくらい胸がドキドキしたものだ。

「もしかして番号がなかったらどうしよう?」

という思いではなく、

「百に一つの確率でも、番号がなかったら嬉しい」

という思いで掲示板に向かっていたあたりが、筆者のひねくれモノたる所以(苦笑)なのではあるが、過去に似たようなエントリーを書いた時に「自分も同じようなこと考えてました(笑)」なんて反応も結構いただいたことも考えると、ひねくれていたのは筆者だけではなかったのだろう*3



今も昔も、自分を大きく見せることには長けている筆者のこと(本人にそんな悪意はないのだが・・・苦笑)、ちょっとは机に向かっていた入学当初のインパクトがそれなりにあったのか、最後の年が明けて、久々に再開した旧友たち*4に自分の春からの進路(予定)を公開した時、大方の反応は、

「ホントにそれでいいの?」

とか、

「考え直したら?」

というものであった。


元々、納得づくで選んだ道、というわけでもなかったから、そういう微妙な感触を目の当たりにすると、

「他人の選択にケチ付けるんじゃねえよ、ボケッ!」

と心の中で悪態付きながらも、当然迷いは大きくなってくるわけで、そんな状況で掲示板に向かった結果が、↑だ。そして、フラストレーションが最高潮に達したのが、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060324/1143140370 だった、ということになる(苦笑)*5

「○○クンなら、2〜3年働いてみて、違う道行ってもたぶん成功するよ」

などという悪意のない、だが戯れの(かつ人を惑わす)言葉の誘惑を断ち切って*6、決して短くない時を越えて出した結果が、今の現実。


もちろん、ここにある現実は、当時漠然と思い描いていた進路とは180度違うのだけれど*7、何となくの反骨心から生まれた、

「自分で創ったキャリアで、自分のいる組織ごと、自分を成長させてみせる」

という想いには、一応沿っているような気がするので、

「今のところはこれでいいんじゃないかなぁ・・・」

と何となく思っている。


レールに乗らなかった(乗れなかった)ことが、吉と出るか凶と出るか、は、まだまだ先まで行かないとたぶん分からないんだろうけど、その時はその時。

*1:こっちを基準にしたら、“11年”なんて数字は出てこない(笑)。

*2:名前だったか?その辺の細かい記憶は定かでないが・・・。

*3:どうやって留年するかに4年目の最後の半年に頭を捻らす、なんて人種が多かったのも、かの大学のかの学部ならではだと思う。

*4:同じ学部で同じ科目を「履修」していながらこの表現はどうか、と思うが、当時の自分にとってはまさにそんな感じだった。

*5:どうでもよいことだが、この3年前のエントリーを今読むと相当恥ずかしい・・・(もちろん、書いた次の日にはそのことに気付いていたのではあるが)。

*6:確固たる意思で断ち切った、などという格好のいい話ではなく、単に転進するタイミングに恵まれなかっただけなのだが・・・(笑)。

*7:あの頃は、まさか自分が、自分の一番嫌いな分野でメシを食うことになるなんて、思いもしなかった。あくまで“漠然と”思い描いていただけで、頭の中が限りなく白紙に近かったからこそ、このコペルニクス的転回を受け入れることができたのかもしれないが、この運命の数奇さは未だに自分でも理解し難いところはある。

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