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2009-04-17

[][]恥の上塗り・・・。

いろいろと判例等に接していると、時々、「何でこんな訴訟起こしたの?」的な事件に巡り合うことがあるが、今回取り上げる判決も、まさにその部類に属する事件である。


著作権侵害訴訟の一類型として紹介すべきか、それともただのネタ判決として紹介すべきか、迷うところではあるのだが、以下簡単にご紹介することにしたい。


東京地判平成21年3月30日(第29部・清水節裁判長)*1

ウェブサイト上では、「原告:甲、被告:乙」というシンプルな表示になっているこの事件だが、「甲」は、読売新聞西部本社の法務室長、一方被告は、読売新聞の“押し紙”問題を追及しているフリージャーナリスト、と、何かを感じさせる顔ぶれである。


そして、事案の概要を見ると、

「本件は, 別紙文章目録1 記載の文章を内容とする書面( 以下「本件催告書」という。)を被告にメールで送信した原告が,被告が開設する別紙ウェブサイト目録記載のインターネットウェブサイト(以下「被告サイト」という。)において,本件催告書が掲載されたことから,被告に対して,本件催告書について原告が有する公表権及び複製権に基づき,被告サイトから,本件催告書の削除を求めている事案である。」(2頁)

とあるから、これは穏やかではない。



確かに、「催告書」が「言語の著作物」に該当し、原告がその著作者、ということになるのであれば、理屈の上では著作権、著作者人格権を行使することにより、

「被告は,別紙ウェブサイト目録記載のインターネットウェブサイトから,別紙文章目録1記載の文章を削除せよ。」

という請求を立てることも可能であろう。


だが、そのような請求の当否にかかわらず、「読売新聞」ほどの大手メディアが一ジャーナリストに対処するやり方として、このようなやり方が妥当なのか、と問われれば、大いに疑問を呈せざるを得ないのも事実である。


論争の渦中にある一方当事者が、自己の主張の正当性をより世間にアピールするために、その前提となる相手方の主張も含めて公表する、というのはよくある話だし、(受け取った当事者が守秘義務を負っているようなものや、明らかに個人的な私信として出されたものを公表するような場合でない限り)それ自体は決して責められるような話ではないだろう。


それを「著作権」という権利を使って封じ込めようとするのは、ジャーナリズムを担う立場の企業(の担当者)としていかがなものか、という批判は当然出てくるように思われる。


しかも、本件では、そもそも請求自体が認められない、という結論になってしまったために、訴えた側の権威はよりいっそう失墜し、その意味で、本件訴訟は、いわば“恥の上塗り”訴訟、ともいうべきものとなってしまったのである。


裁判所の判断

東京地裁は、第一の争点となっていた「催告書を作成したのは誰か?」という点について、

「上記の認定事実によれば,本件催告書には,読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの,その実質的な作成者(本件催告書が著作物と認められる場合は,著作者)は,原告とは認められず,原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて高いものと認められる。」(29頁)

と述べ、「催告書を作成したのは原告である」という原告の主張を退けた。


裁判所が丁寧に説示しているように、

「本件催告書を作成するに当たって,法務室において過去に作成されパソコン等に保存された催告書等の文例を一切参考することなく,しかも,市販の文例集等も参考にせずに,法務室に備え付けの著作権法関係の本を5,6冊読み,六法全書を見て作成した」

という原告の説明はあまりに不自然だし*2、ましてや、原告の属性が、

「社会部を中心とする取材記者の経歴が長く,大学時代を含めて,これまで専門的に法律を習得した機会はなく,読売新聞西部本社において,法務室に配属されたのも,本件催告書を作成する7か月余り前のことであり,また,これまで,催告書を作成した経験もない」

ということになれば、

「このような経歴,素養を有する原告が,上記のような数時間程度の期間内で,作成済みの催告書や文例を一切参考にせずに,六法全書著作権法関係の本を参考にして,本件催告書とほぼ同一の内容の草案を作成できるとは到底考え難いところである。」(30頁)

と言わざるを得ないだろう。


それ以外にも、「会社にあるパソコンで作成したことは覚えているが,使用したワープロソフトは覚えていない」とか、「具体的な創作的表現を指摘できず,また,本件催告書の作成に当たって留意した点などの本件催告書の作成経緯についても,一切触れて(いない)」等、原告本人尋問で露呈した問題点もあったようだし、何より、原告代理人が作成した「催告書」と本件催告書を比較したときに、

「1行の文字数及びフォントが同一であり・・・・また,前文として「冠省」という言葉を,結語として「不一」という言葉を使用している点で一致しており, 文章の構成も類似している(略)」

「本件催告書及び代理人催告書とも,公表権を有することを表現するために,「専有」という用語を使用しているところ,著作権法上,著作財産権については,「専有」という用語が使用されるが,著作者人格権については,同用語は使用されないのであるから,公表権について「専有」という用語を使用した本件催告書及び代理人催告書は,特徴的な用語の使用法をしており,その特徴的部分が一致していると認められる。」

という共通点があるということだから、もはや原告としてはぐうの音も出ない状況である。


この結果、原告の請求の根拠となる権利は何ら存在しない、ということになり、あっさりとゲームオーバーということになってしまった。


もし、仮に、本件の原告が、法務室長個人ではなく「読売新聞」本体であったとしたら、代理人が作成した文書であっても、権利譲渡等がなされた、と主張することによって、著作(財産)権の帰属が認められる余地はあったのではないかと思う*3


そう考えると、上記のような無理な弁解をしてまで、原告が個人で訴訟を遂行しようとした背景に何があったのか、気になるところではあるのだが、「原告個人が独断でやった」のだとしても、「会社が当事者となるのは躊躇される事案なので原告個人にやらせた」のだとしても、法務、知財部門の対応としては、いささか思慮が足りなかったのではないかな・・・というのが、筆者の率直な感想である。


おまけ

ちなみに、判決は原告の著作者(創作者)としての地位を否定したうえで、さらに進めて、「催告書」の著作物性についても検討を加え、

「本件催告書は、創作的な表現ということはできない」(40頁)

と、とどめを刺すような判断を下している。


確かにこの種の文書は定型的なものではあるが、事案によって独自に盛り込まれる表現もないわけではないので、(本件で公表されたようなレベルのものであっても)一律に著作物性が否定するのはどうかなぁ・・・とも思うわけで*4


原告が著しく裁判所の心証を害してしまっているように思われる本件訴訟においては、やむをえない結論、というべきなのかもしれないが、今回の判決のこの“傍論”部分が、変なところで独り歩きすることになるのは勘弁してほしいところである。


いずれにせよ本件は、無謀な訴訟は危険、という一種の教訓事例。明日は我が身、と戒めつつ、これをもって他山の石としたい。

*1:H20(ワ)4874号、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090407180231.pdf

*2:法務部門の10年選手でも、文例をなんら参照せずにこの種の書面を作成するのは至難の業だ。

*3:著作者人格権についてはちょっと無理だろうが。

*4法律関係の書籍や書面については、著作物性をあまり認めないのが裁判所の傾向なのは承知のうえであるが・・・。

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