カントリーマアム

フィギュアスケートを除けば比較的地味な扱いを受けることが多い冬季五輪選手団の中で、開幕前からずば抜けた存在感を示すことになってしまった、カントリーマアムこと国母和宏選手。


例の騒動で、いろいろ物議を醸したものの、何とか本番の舞台には立つことができた。


・・・で、結果だけ見れば決勝で8位、ということなのだが、元々、リスクが大きい一発勝負の世界。
簡単にメダルが期待できるような種目ではない。


予選では青野令選手ともども40点台をマークして、ベスト6に入ってダイレクトに決勝進出することができたし、決勝でも1本目の最後のエアの着地までは夢を見させてくれた。


トリノ五輪のときには、前評判とは裏腹に、「世界」との差を見せつけられただけだった、ということを考えると、ショーン・ホワイト以外の外国人選手とほぼ互角の力量を示すことができた*1今大会までの4年間で、彼が相当の鍛錬を積んできたことは容易に想像が付くところだ。


メディア受けするような「結果」を出せなかったからといって、“競技者“としての観点から国母選手を責めることは誰にもできないんじゃないかと思う(もちろん本人は、自分の技を決められなかったことに大いに不満を抱いているだろうけど)*2


もちろん、そういった“競技者”としての姿が、一連の彼の言動を全て糊塗することにはならないのだが、顔面を腫らしながら、2度も果敢に大技に挑んだ国母選手の姿を見ていると、とやかく言われながらも、彼を出場させた橋本聖子団長の判断は、やはり間違っていなかった、と思うのである*3

*1:事実、銅メダルのスコアである、ラゴ選手の42.8点という数字と遜色ない数字を、国母選手は予選の時点で叩き出していた(42.5点)。

*2:予選でのスコアは青野選手の方が良かったが、決勝の2本で比べると、プレッシャーからか明らかに乱れのあった青野選手より、国母選手の方が“あと一歩“感は強かったように思う。

*3:そもそも、「服装」とか「インタビューの受け答え」レベルの話で、本気で彼の大会出場の可否を議論するまでの必要があったのだろうか?“臭いものにはフタ”的な感覚でこの問題に臨んでいたように見えた競技団体の対応には首をかしげざるを得なかったし、それだけに、敢然かつ迅速に問題を処理した橋本団長のセンスの良さには感銘すら覚えた(“新旧”のしがらみとは無縁のスケート業界出身者だったことが、問題を処理する上では良い方に作用したのかもしれないが・・・)。

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