企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2010-09-23

[][]「二次的」ゆえの限界。

10日ほど前に判決が出たことが報道された、芥川賞作家と脚本家との間の映画シナリオ掲載許諾をめぐる事件。

芥川賞作家、絲山(いとやま)秋子さんの小説を映画化した作品「やわらかい生活」(2006年公開)のシナリオ出版を拒否したのは不当として、脚本を手がけた荒井晴彦さんと「シナリオ作家協会」(東京)が絲山さんに対し、出版妨害禁止や1円ずつの損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は10日、請求を棄却した。」(日本経済新聞2010年9月11日付朝刊・第35面)

気になるところもあったので、判決文がアップされるのをしばらく待とう、と思っているうちに、こんなに日が経ってしまったのだが、(アップ後何日も遅れたものの)一応目を通したので、以下コメントしておくことにしたい。


二次的著作物の問題(及び共同著作物との性格の違い)を考える上では、いろいろと興味深い判決である。


東京地判平成22年9月10日(H21(ワ)第24208号)*1

原告:X、社団法人シナリオ作家協会

被告:Y


本件は、Yの著作である小説「イッツ・オンリー・トーク」を原作とする映画の制作のために原告Xが執筆した脚本(やわらかい生活)を、原告社団法人シナリオ作家協会(以下「原告協会」)の発行する「年鑑代表シナリオ集」に収録、出版しようとしたところ、Yから拒絶されたため、原告らがYに対し、

1 「'10年鑑代表シナリオ集」への収録、出版の妨害禁止

2 1の収録、出版に当たってYに支払うべき著作権使用料が3000円であることの確認

3 不法行為による損害賠償請求として、慰謝料及び弁護士費用合計400万円のうち各1円の支払い

等を求めた事件である。


認定された事実によれば、「イッツ・オンリー・トーク」を映画化するにあたり、本件映画の製作企画に参加した映画プロデューサーBの所属する「有限会社ステューディオスリー」とYの委託を受けた文藝春秋との間では、以下のような内容の原作使用許諾契約が締結されていた(判決4-6頁、太字筆者)。

第2条(保証)

文藝春秋は,被告より本件小説の著作権の管理を委任されたものであり,被告から本契約を締結する完全なる権限を与えられていることをステューディオスリーに対し保証する。(以下省略)

ステューディオスリーは,本件映画の製作に際し,著作権を始め,名誉,声望その他被告の著作者人格権を侵害せず,また,本件小説の評価を貶めないことを保証する。

第3条(許諾の条件)

文藝春秋は,ステューディオスリー(将来確定する本件映画のために出資する出資者,共同製作者,配給会社等を含む。)が本契約に基づき,本件映画を日本国内において独占的に製作・封切・配給することを許諾する。

2 ステューディオスリーが製作する本件映画は,次のとおりとする。

題名未定

種別劇場用実写映画

フィルム35?光学フィルム

作品時間約100分(予定)

使用言語日本語

撮影開始平成16年11月

公開予定平成17年秋あるいは平成18年新春(予定)

3 ステューディオスリーは,原則として本件映画のネガフィルムを原型のままプリントし,本件映画を配給,頒布し,日本国内の劇場等において上映することができる。

ただし,国際映画祭及び国際映画コンクールでの出品・上映は,海外においても行うことができる。

(4項省略)

5 ステューディオスリーは,あらかじめ文藝春秋の書面による合意に基づき,別途著作権使用料を支払うことによって,次の各号に掲げる行為をすることができる。

ただし,文藝春秋は,一般的な社会慣行並びに商慣習等に反する許諾拒否は行わない。

((1),(2)号省略)

(3) 本件映画をビデオ・グラム(ビデオテープ・LD・DVD)として複製し,頒布すること。

(4) 本件映画をテレビ放送すること。

(5) 本件映画を放送衛星又は通信衛星で放送すること。

(6) 本件映画を有線放送すること。

(7) 将来開発されるであろう新しいメディアを含め,既存のメディア(例えば,CD−ROM,ビデオCD,フォトCDなどのデジタル系の媒体を含む。)をもって本件映画の二次的利用をすること。

ただし,本項第(2)号から第(6)号を除く。

(8) 本契約に基づき作成された脚本の全部若しくは一部を使った,又は本件映画シーンを使用した出版物を作成し,複製,頒布すること。

(以下省略)

第5条(著作者人格権の尊重)

1 ステューディオスリーは,第3条各項の利用に当たって,本件小説の内容,表現又は題名等,文藝春秋の書面による承諾なしで変更を加えてはならない。

ただし,映画化に際し,文藝春秋は,より適切な映像表現をする目的でステューディオスリーが本件小説に脚色することを認めるが,その程度は,事前にステューディオスリーが文藝春秋に提出する本件小説の使用範囲,方法,脚色計画の範囲を超えないものとする。

2 ステューディオスリーは,本件映画のプロット及び脚本を完成後,直ちに文藝春秋に対し3部提出し,本件映画のクランク・イン前に文藝春秋の了解を得るものとする。

文藝春秋は,本件映画が本件小説のイメージ又は著作者人格権を損なうと認めるときは,これに異議・修正を申し立てる権利を有する。

第8条(著作権等の表示)

ステューディオスリーは,本件映画の製作及び宣伝物及びプログラムの製作に際しては,スペースに支障のない限り,下記の表示を行う。

? 原作<作者名省略>

『イッツ・オンリー・トーク』

文藝春秋

? 企画協力文藝春秋

原告側が、専ら、上記契約書の文言のうち、許諾の条件に関する第3条5項ただし書きの「一般的な社会慣行並びに商慣習等に反する許諾拒否は行わない。」という文言に依拠して掲載拒絶の不当性を主張したのに対し、被告側は、

(1)原告X、Yともに上記契約の当事者ではないから、本件ただし書き規定が原被告間で拘束力を持つことはない。

(2)本件映画の脚本には、重大な問題点がいくつもあった。被告は関係者に混乱を与えることを防ぐため、映画製作や映像作品としての利用については我慢したが、脚本が単独で公開されることについては納得することができなかったために、許諾を拒否したものであって、このような掲載拒絶が「一般的な社会慣行並びに商慣習等」に反するものとはいえない。

と反論して争った、というのが本件の紛争の構図であった。


裁判所の判断

さて、そこで裁判所はどのような判断を下したのか。


判決では、Yが本件小説(「イッツ・オンリー・トーク」)で平成15年4月14日に第96回文學界新人賞を受賞して以降、映画化の話が浮上し、上記契約書の締結に至るまでの原告側と被告側(Y、文藝春秋)との激しいやり取りの様子が丹念に認定されており*2、一瞬、許諾拒絶の合理性(「社会慣行等に反するかどうか」)について実質的な判断を下そうとしているかのような錯覚に襲われる。


だが、最終的に示した判断は、

「本件原作使用契約3条5項は,前記(略)のとおり,ステューディオスリーが本件映画や脚本の二次的利用をする場合についての規定であり,本件ただし書規定も,ステューディオスリーによる上記二次的利用の許諾について定めた規定である。したがって,本件原作使用契約の当事者ではない原告らが,被告に対し,上記条項に基づき上記二次的利用の許諾を求めることはできないというべきである。」

「原告ら主張の上記合意は,本件原作使用契約に基づく二次的利用についての被告の許諾義務を前提とするものである。しかしながら,原告らが被告に対し本件原作使用契約の上記条項に基づき上記二次的利用の許諾を求めることはできない以上,被告にその許諾義務があるということはできず,原告らの主張は,その前提を欠くものというほかない。」(26頁)

という、何とも拍子抜けするようなものであった*3


確かに字句通り解釈するなら上記のような解釈も成り立ちうるのかもしれないが、認定された事実を基礎とする限り、上記契約上の「ステューディオスリー」は、脚本家等の映画製作にかかわった者を幅広く含む趣旨のものとして理解すべきもののように思われる*4


また、この判決の理屈でいえば、Xが現在掲載を希望している媒体ではなく、「ステューディオスリー」を出版主体とする媒体で脚本を公開する場合には、別途異なる判断が下される可能性が出てくることになりそうだが、そのような方向に原告を誘導する(そしてさらなる紛争を誘発する)というのは、解決法としてはあまりに迂遠だろう。


やはり本件で判決を書くのであれば、「社会慣行等に反する掲載許諾拒否にあたるかどうか」という点をきっちり書く必要があったように思われるのであり、ちょっとセンスないなぁ・・・というのが、今回の判決に対する自分の率直な印象である*5


なお、この判決では、「付言」として、

「二次的著作物である本件脚本の利用については、共同著作物に関する著作権法65条3項*6の規定と同様の規律がなされるべきであり、原作者が二次的著作物の利用を拒絶するには「正当な理由」がなければならない」

という原告の主張に対する判断も示されており、そこでは、

著作権法は,共同著作物(同法2条1項12号)と二次的著作物(同項11号)とを明確に区別した上,共同著作物については,著作者間に「共同して創作した」という相互に緊密な関係があることに着目し,各共有著作権者の権利行使がいたずらに妨げられることがないようにするという配慮から,同法65条3項のような制約を課したものと解される。これに対し,二次的著作物については,その著作者と原作者との間に上記のような緊密な関係(互いに相補って創作をしたという関係)はなく,原作者に対して同法65条3項のような制約を課すことを正当化する根拠を見いだすことができないから,同項の規定を二次的著作物の原作者に安易に類推適用することは許されないというべきである。したがって,原告らの上記主張は採用することができない。」(27頁)

とも述べられている。


この点については、キャンディ・キャンディ事件の上告審判決で(最一小判平成13年10月25日)*7

「二次的著作物である本件連載漫画の利用に関し,原著作物の著作者である被上告人は本件連載漫画の著作者である上告人が有するものと同一の種類の権利を専有し,上告人の権利と被上告人の権利とが併存することになるのであるから,上告人の権利は上告人と被上告人の合意によらなければ行使することができない

最高裁が判示したことに対して厳しい批判が加えられていることからもわかるように、安易に「二次的著作物」と「共同著作物」とをごっちゃにすべきではないから、本判決の指摘ももっともだと思う。


近年、「二次的著作物の原作者が権利行使しうる範囲を自らの創作的表現部分に限定する見解」が有力になっていることと対比しても*8、この場面に65条3項を持ってこない方が無難なのではなかろうか*9


皮肉なことに本判決では、Yの許諾拒否について、不法行為の成否を検討するにあたり、

「二次的著作物である本件脚本の利用に関し,原著作物の著作者である被告は本件脚本の著作者である原告Xが有するものと同一の種類の権利を専有し,原告Xの権利と被告の権利とが併存することになるのであるから,原告Xの権利は同原告と被告の合意によらなければ行使することができないと解される最高裁平成13年10月25日第一小法廷判決・判例時報1767号115頁参照)。したがって,被告は,本件脚本を「年鑑代表シナリオ集」に収録,出版することについて,原著作物の著作者として諾否の自由を有しているというべきであり,その許諾をしなかったとしても,原著作物の著作者として有する正当な権利の行使にすぎない。」(27頁)

と、わざわざ前記キャンディ・キャンディ事件を引用して原告らの請求を退けており、そこに矛盾があるように思えなくもないのだが、既に述べられた「Yに許諾義務がない」という本判決の前提に従うなら、こういう判断にならざるを得ないだろうと思われ、結論自体に特段の違和感はない。


おわりに

本件映画は、完成後、シンガポール国際映画祭で上映されて最優秀作品賞を受賞しているし、公開後、DVD化やテレビ放送までされて、商業的にも一応の成功を収めたものと推察される。


そして、そのような背景もあってか、原告Xの脚本は、原告協会の年鑑代表シナリオ集編纂委員会によって、「年鑑代表シナリオ集」に掲載すべき脚本の一つとして選出されたわけで、自分の著作物を世に広く知らしめたい、というXの思いは相当強いものであったのは間違いないだろう。


しかし、Xの著作物が、Yの著作物に依拠して作成された「二次的著作物」である、という前提がある限り、Xの著作者としての権利行使に制約が出る、というのはやむを得ないことなのではないかと思う。


認定された事実からは、映画製作者サイドとY側との交渉の中で、「本件映画のタイトルをY小説のタイトルから変更する」、「Y作品について「原作」という表記をしない」というレベルにまで、両者の対立関係が深まっていたことが見て取れるわけで、素人目には、それならいっそのこと、「この映画はY作品の翻案物(二次的著作物)ではない」という前提で映画製作を進めてしまう、という手もあったんじゃないか、とすら思えてしまう。


だが、映画製作者サイドが、それでもなお「原作使用許諾契約」を締結したのは、「脚色によってYの原作から離れてしまった部分」以上に「Yの原作に忠実に脚本が書かれた部分」が多かったからに他ならないのではなかろうか*10


だとすれば、Xが書いた脚本というのは、「Xの著作物」であると同時に、「Yの著作物に依拠した翻案物」でもあるわけで、少なくともYの著作物の表現上の本質的特徴が感得できる部分については、Xの意向だけでどうこうできるものではない、ということはXとしても覚悟しなければならなかったように思う*11


日頃から著作権意識が高い業界の内部で起きた問題だけに、契約の形式的解釈、という表面的なところで決着が付いてしまったのは原告にとっては不満かもしれないが、「翻案の世界で生きている以上は・・・」という声もちょっと聞こえてきそうな、そんな事案である。



イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク

*1:第40部・岡本岳裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100914144906.pdf

*2:上記契約書の締結日付は、映画化することが正式に決まってまもない平成15年9月10日になっているが、実際に締結できたのは撮影開始直前の平成16年11月中下旬ころ、であった。それだけ見ても、いかに本件の原告・被告の関係が複雑なものであったかが伺えるところである。

*3:被告側当事者が「文藝春秋」になっていることについては、被告・文藝春秋間の権限授与関係に鑑みて被告への効果帰属を認めたものの、原告への効果帰属については、契約当事者の名義がプロデューサーの所属会社であって脚本家であるX本人ではないことをもって、これを否定した。

*4:現に、第3条5項(8)には、「脚本の全部若しくは一部を使った・・・出版物を作成」するという行為が許諾対象として挙げられている。

*5:判断するとなるとどういう結論になるか・・・という点については、ここではあまり踏み込まないでおくが、直感的な感想としては、被告の掲載拒否の理由にもそれなりの合理性はあるように思われるし、少なくとも原告らが主張するような「気分的・情緒的」といったレベルの問題と片づけるのはちょっと無理があるのではないかと思う。「脚本の掲載を拒否するくらいなら、最初から許諾するな!」というのが、脚本家の率直な心情なのかもしれないが、既に映画の公開によって一定の利益を得ている今になってそのようなことを言ったところで、相手の感情を逆撫でするだけだろう。

*6:「前二項の場合において、各共有者は、正当な理由がない限り、第一項の同意(注:譲渡、質権目的とすることの同意)を拒み、又は前項の合意(注:行使に際しての合意)の成立を妨げることができない。」

*7http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070314112050.pdf

*8:渡邉文雄「長編連載漫画における原作者の権利範囲と著作権法28条」知的財産法政策学研究17号163頁も参照。

*9著作権法65条3項をこの場面で類推する、ということは、その前提となる65条2項等の規定が二次的著作物の場合にも類推適用される、という結論をも甘受することになってしまうが、二次的著作物の著作者が独自に付加した表現部分についてまで、そのような規律を及ぼすのはちょっと行き過ぎのように思えるので・・・。

*10:X側には、Yの著作物の表現上の本質的特徴が感得できないようなレベルにまで、オリジナルの脚本を造り込む、という選択肢だって一応はあったわけで、(スケジュール上の物理的制約ゆえか、あるいは興行的配慮かはともかく)そうしなかった時点で、今回のような不利益を受けることは予測できたはずだ。

*11:それでも、Yが独自に創作して付加・改変した部分については、原作者の許諾によらずして公表することができる可能性もあるわけだから・・・(もちろんその部分だけ掲載しても、Xの作品としての意味はなさないのかもしれないが)。

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