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2011-01-31

[]2011年1月のまとめ

昨年末に出された録画補償金事件判決に続き、まねきTV、ロクラクの各最高裁判決と、“知財系”にとっては美味しいネタが続いた今年の1月。

おかげで、月間ページビューは過去最高の45000件超、ユニークユーザーも28000人超、という“盛況御礼”となった。

まことに有難い限りである。

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検索語ランキングの方も、「まねきTV」「ロクラク」「東芝」といった判決関連ワードが上位にランクイン。

今月のアクセス状況を如実に反映したものになっている。

なお、ブログの盛り上がりとは相反して、年初だというのに一向に盛り上がらずに終わってしまった感のある自分の日常だが、1月の最後の日は、珍しく賑やかで、刺激的で、味わい深い時間を過ごすことができた。

こういう機会があると、あらためて今の仕事をやってて良かった・・・としみじみ思うわけで。

正直、月が変わっても、一気に好転するとはとても思えない状況ではあるが、ちょっとずつ自分のリズムで、前に進んでいければいい、と思っているところである。

[]故なき批判ではないと思う。だが・・・。

先日ご紹介した*1総務省の「法科大学院見直しプロジェクト」*2

意見募集は今日の午後6時まで受け付けてくれるらしいが、正直、提出用に意見を綺麗にまとめるような余裕はとてもないので、とりあえずここに、今自分が考えていることを書き留めておくことにしたい*3

法科大学院制度と新司法試験制度について

どんな世界でも、この手の意見募集をかければ(しかも匿名で公表されることが前提となっていれば)、多かれ少なかれ「ネガティブな意見」が多数を占めることになるわけで*4、現在公表されている意見の大多数が(トーンの差はあれど)現状に批判的な意見だ、というのは、ある意味当然のことと言える。

もちろん、今法曹界が直面している現実を鑑みると、その種の批判も全く理由がないとはいえないのだが、後述するとおり、そのまま賛同するにしては、あまりにバイアスがかかり過ぎた意見のように思えるので、ここは少し違う角度から捉えてみることにしたい。

* * *

自分は、今、法科大学院が迷走している最大の理由は、「競争(選抜)試験」に関する普遍的な“法則”を十分に踏まえないまま制度設計がなされたことにある、と思っている。

“法則”の中身を具体的に挙げるなら、

(1)ある程度の「選抜」を目的とした試験に合格するためには、多かれ少なかれ、その試験のための「対策」を行うことが欠かせない*5

(2)出題形式や作問にどんなに工夫を凝らしても、日頃の「実力」を正確無比に反映できるような試験問題を作成することはできない*6

(3)目の前に大きな「選抜」試験が待ち構えている環境においては、「修得すれば役には立つが、その試験の対策にはあまり役に立たない情報」に、多くの人々は関心を示さない*7

といったところだろうか((3)は、(1)、(2)の帰結ともいえる)。

そして、その結果として、

法科大学院のカリキュラムに合わせて2〜3年の間一生懸命勉強しても、試験の壁に突き当たって挫折感を味わう」*8

法科大学院で理想に燃えた教授陣がどんなに良い講義をしたとしても*9、「試験に役に立たない」、「予備校の方がまし」という意見によって切り捨てられ、批判と嘲りの対象になってしまう」

という事態を招いていることは否定できないのではないかと思う*10


法科大学院&新司法試験制度が導入された背景には、古い試験のバブル期(合格者が1,000人を超えて1,500人に達するまでの時代)に、「日頃の大学での努力」と「試験結果」の乖離が著しかった*11ということへの反省があったのは間違いない。

だが、「実務教育に特化した専門職大学院」を立ち上げ、「実務能力を測るにふさわしい新しい試験」を作れば、「教育プロセス」と「付与される資格」と密接にリンクするだろう・・・という理想主義に基づいて設計された制度は、未だ十分に機能していないように思われるし、上記の“試験の法則”に鑑みれば、理想通りに機能させるのは、ほぼ不可能と言って良い。

そして、理想主義が機能しないがゆえの“制度の共倒れ”を防ぐためには、やはり、「教育・研究の場」としての大学院と、「競争(選抜)試験」を分離せざるを得ないのではないか、と思っている。

法科大学院の修了特典を(旧試験ベースでの)「短答式試験免除」くらいのレベルにとどめ、“非法科大学院ルート”の受験者に広く司法試験受験の機会を確保する代わりに、法科大学院の位置づけを変えて、(かつての社会人大学院と同等のレベルで)現役法曹や企業人、留学生といった多様な人材を幅広く受け入れる(それによって、大学院内に知的刺激と一般社会との接触の機会を大学院内に確保する*12)ようにすれば、現状よりは遥かにマシな制度になるはずだ*13

もちろん、コンセプトが変わってしまうと存続不可能になる法科大学院が出てくる、というのは、当然予想されるところだが*14、このまま行けばいずれ干乾びる運命にあるのだから、同じことだろうと思う。


「批判」への批判

さて、ここまで書くと、「何だかんだと勿体付けた割には、結局、「法科大学院制度廃止」を叫ぶ“多数派”と言ってることは同じじゃねーか」という突っ込みが入りそうだ。

そう括られてしまうと、元も子もないし、実際その通りなのかもしれないが、自分が“多数派”の意見に少なからず違和感を抱いた、ということも一応記しておきたい。


まず、

「旧試験の方が社会人にとっては優しかった」

という類の意見について。

確かに、「仕事をしながらでも受験できる」という意味では門戸が開かれていたかもしれないが、「フルタイムで仕事をしながら」受験を続けて、現実に「合格する」というところまで辿りつくのが、一体どれほど大変なことなのか・・・

それを経験したことのない人に、軽々しく言われたくない、というのが本音だ。

「どちらが優しいか」と言われれば、2年間みっちり勉強に専念して受験資格を取れば、相当の確率で合格するチャンスが生まれる*15法科大学院の方がまだ「優しい」んじゃないか、と自分は思っている。

もちろん、「2年間勉強に専念する」ためには、それなりの覚悟が必要なのは事実。

だが、旧試験に合格した社会人経験者の多くが、「いつ終わるか分からない」試験との闘いに、職を捨てるという人生の大選択をして挑んだ人々である、ということを考えれば、今の制度が社会人に対して不当な“覚悟”を強いている、というのは、明らかに言い過ぎだろう*16

あと、

「法務博士という履歴書に書けない称号」

とか、

法科大学院を卒業しても評価されない」

といった類の話を、至極当然のことのように書いている人が多いのだが*17、この点については、現役法科大学院生のためにも、企業法務人として一言、

「そんなことは全くないですから」

と言っておきたい。

法務キャリアを持って法科大学院に入った人の中には、中途半端な時機に行われる新司法試験をあえて受けずに、「法務博士」の肩書を引っ提げてステップアップ転職する人も少なからずいるし、新司法試験を受けて何年か浪人しても、収まるべきところに収まった人は多い。

のみならず、新卒の学生でも、人物的に一緒にやっていけそうだと評価されれば、通常の院生と同等ないしそれ以上の評価で、企業の法務部に迎えられている人はそれなりにいるのであって*18、「長年試験を受け続けて箸にも棒にもかからなくなった」人も決して珍しくはなかった旧試験時代に比べれば*19、アプローチ期間が短い分、同じ不合格者でも遥かに恵まれたポジションにいるのは間違いない。

* * *

これらの論点に限らず、現状に対する批判の多くは、「比較対象」が何なのか、ということを看過しているものが多すぎるように思えてならない。

経済的負担」云々の話にしても、一部のレアな成功事例を除けば、旧試験だって十分に“金持ちのイベント”的様相を呈していたわけで*20、本当に昔(といっても、かれこれここ10〜20年くらいの話だ)の実態をわかって言っているのか?と突っ込みたくなる*21


なお、個人的にはもう一つ、「法曹人口」に関する問題も俎上に乗せたかったのであるが、今日はもう遅いので、別途日を改めて、どこかで書いておくことにしたい。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110123/1295798692参照。

*2:このタイトルは自分が勝手に付けたもので、正式名称ではない。念のため。

*3:万が一、共感してくださる方がいらっしゃるようなら、コピペなり、翻案なり、リンク貼り付けなり、何なりとしていただいて構わないと思っている。

*4:なぜなら、賛成派・許容派に比べて、反対する人々の方が自分の意見をアピールする、ということへの切実度合いが格段に高いから・・・。最近の著作権法改正のパブコメに登場する匿名一般人の意見等を眺めても、その傾向は明らかだろう。

*5:これは、司法試験に限らず、合格率8割の資格試験であっても、運転免許の学科試験であっても、はたまた会社内の昇進試験等であっても同じことで、試験のスタイルだとか、最低限求められるポイントをきちんと押さえた対策を取らなければ、どんなに優秀で、実務に通用するような能力を持っている人間でも、クリアすることは覚束ない。

*6:要するに、試験で測れる“実力”と、試験以外の場で発揮される“実力”を完全に一致させることはできない、ということである。“不適格者のふるい落としのためだけの試験”と言われる二回試験ですら、落ちるべくして落ちた人、というのはそんなにいない(その逆もまた然り)わけで、両者の“実力”を完全に一致させたければ、普段の成績上位者を自動的に合格させる、というシステムを取るしかない(たとえそうしたとしても、今度は「普段の成績」に「本来の実力」が反映されていない、という不満は出てくるだろうけど)。

*7:高い志を持っていて然るべき(しかも、その先にある試験の難易度を考えれば比較的余裕を持って臨んで良いはずの)司法修習生ですら、後期修習に入ると、教官の体験談に基づく弁護士実務の真髄に触れるような話や、少年事件や公判前整理手続きの話などには見向きもせず内職に励む、という輩が決して少なくはなかった。

*8:“一生懸命頑張ったつもり”にはなっていても、客観的に見れば極めて不可思議な方向にベクトルが向かっている人、というのも中にはいるんじゃないかと思うのだが、最先端の中身の濃い講義を提供している上位ローの学生の中に、“一生懸命やったがゆえに”試験を一度二度棒に振る、というタイプの人がいることは見過ごせない事態だろうと思っている。

*9:それすら提供されていない、という批判もあるだろうけど。

*10:自分は、法科大学院の講義を受けたことも、新司法試験を受けたこともないので、あくまで複数の経験者から聞いた話からの推測に過ぎないのだけれど、古い試験の時にも同じような話はあった(一部の超秀才を除けば、真面目に授業に出ている人ほど落ちる、という話)から、何となくそんなものだろう、と納得はしている。

*11:大学入学直後から大学の講義には見向きもせず、予備校漬けで勉強した人が短期合格する一方で、学部卒で助手になれるような優秀な成績を修めた人間が択一試験で落ちる、なんて惨事も常態化していた。

*12:実務に必要な「力」は、机上の講義や演習をいくらこなしたところで到底身に付かないわけで、それよりも机を並べた人々との交流から学ぶこと(&その交流を縁とした人脈)の方が、実務では遥かに役に立つ。

*13:似たようなコンセプトで運営されている公共政策大学院に関して、あまり良い話を聞かないことを考えると、これでも機能するかどうかは疑問が残るところだが、少なくとも司法試験を受けるためのコストが減る分、今よりマシなのは間違いない。

*14:たかだか短答式試験免除くらいの特典で数百万も払って行く価値のある大学院は、それなりの格のところに限られてしまうだろうから。

*15:しかも、もし合格しなくても、法科大学院を出た経歴は、法務職能においてはそれなりに評価される。

*16:社会人に限らず、「法科大学院に入るためのハードル」が、かつての「司法試験に本気でチャレンジする覚悟を決めるためのハードル」に比べて大幅に下がっているがゆえに、昔の受験生なら決して口にしなかったであろう不満を今の受験生がこぼしている、というのは否定できない現実であるように思われる(「教師の教え方が悪いから受からない」なんていうのはその最たる極致で、20歳を過ぎた大の大人が口にすべきことではない。大人になったら勉強の仕方、知識の身に付け方は、自分の頭で考えないといけない)。

*17:大方、「2●ゃんねる」あたりで書かれているネタを鵜呑みにしてしまったのだろう。

*18:そもそも文系院卒だから不利、というのは、一昔前の話で、今は実務に役立つ専門的能力に秀でた(という外観を有している)人間は高く評価されることはあっても、その経歴ゆえに低く評価されることは稀である。よほど偏ったところで凝り固まった人なら別だが。

*19:旧試験では何度試験を受け続けたところで、履歴書の空白期間が伸びるばかりで、得られるものはなかった。それに比べれば、まっさらな学生に比べて遥かに強い武器となる「法務博士」の学位を手に入れられるだけ、法科大学院出身者の方が遥かに幸福だと思う。

*20:そもそも「いつ終わるか分からない」旧試験のような制度だと、相当資金力に自信がないと、本格的に足を踏み入れるのは難しいわけで、お世辞にも実家が裕福とはいえない筆者のような人種は、最初から敬遠するか、大学4年で早々とあきらめるかのどちらかだった。

*21:なお、今でも法科大学院によっては入学金・学費免除等の制度はあるから、そういうところを選んで最短で合格すれば旧試験よりもコストがかからずに合格することだって、十分に考えられる。

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