「第三の法廷」が猛威を奮う時代に積み重ねられた不幸な事例。

今月初め頃の衝撃的な記者会見に始まり、連日のように何らかの話題が報じられている「ベネッセ顧客情報漏洩事件」。

法務・コンプライアンス関係部門に身を置く者としては、こういう、世間に名の通った会社が“叩かれる”状況を目にしたときに、「リスク管理のあり方がどうのこうの」と、酒の肴にするような余裕は全くないし、ましてや有識者ぶった人々と一緒になって叩きに回るような気には到底なれない。
「明日は我が身」と震え上がるか、あるいは、せいぜい「昨日は我が身だったなぁ」と、嫌な記憶を蘇らせてげんなりするか・・・いずれにしても、愉快な話ではない。

そんな中、実務サイドの人間にとっては、思わず「そうそう」と手を叩きたくなるような興味深い発言が数多く飛び交う「紙上座談会」*1が、日経紙の法務面に掲載されている*2

法曹関係者として末吉亙弁護士を登場させたうえで、広報系、不正調査系のコンサルタント2氏(田中慎一氏、古野啓介氏)にそれぞれの得意分野から語らせる、という異種格闘技戦になっているのだが、それゆえに、今回の事件を多角的に捉える素材としてはなかなか興味深い。

「ベネッセほどの企業でも営業秘密の流出が起きてしまう現実に、他企業の知的財産部門の担当者なども危機感を抱いているはずだ」

というところから始まり、「営業秘密の流出防止の基本」を説いた上で、「秘密管理の仕組みが実行されているか、もう一度確認すべき」、「営業秘密の保護をトップに認識させる必要がある」とまとめる末吉弁護士のコメントは、シンプルでわかりやすいし、「各職場でのアナログのアプローチ」や、「派遣会社の派遣社員に対する教育」にまで目を向けるべき、という古野氏のコメントも微妙に穴を突く感じで、なるほど、と思うところはある。

だが、それ以上に、自分が興味深く感じたのは、以下のフレーズから始まる田中慎一氏の一連のコメントだった。

企業は今では3つの「法廷」で裁かれるようになった。市場と実際の裁判所、そして世間だ。
「ベネッセの場合、子供の情報が流出したため、保護者の反感を買った。交流サイト(SNS)の普及で、世間という法廷が企業に与える打撃は非常に大きくなっている。」(強調筆者、以下同じ。)

今回の件に関して言えば、ベネッセ側に全くミスがなかった、とまでは言えないまでも*3、一般的な企業として、顧客データに関してそんなに杜撰な管理をしていたわけではないし、悪意ある第三者の意図的な犯行により顧客情報が持ち出された、という点において、原田会長の弁を聞くまでもなく、彼らには間違いなく「被害者」としての側面がある。

しかも、「顧客データ」の類の情報が、大きな“まとまり”になればなるほど価値を増す性質のものであることを考えると、個々の会員が“情報漏洩”によって被ったと仮定される「損害」の総和以上に、ベネッセ側が被った損害は、客観的に見れば遥かに大きい。

にもかかわらず、批判の矢面に立たされ、「第三の法廷」において、彼らが“裁かれる”状況を目にしなければならない、というのは、やっぱり切ないものがある。

今回のケースは“学習適齢期の子供がいる家庭”というニッチ市場の商品に関するものであり、(SNSに限らず)ご近所の口コミも含めた“不安を駆り立てる噂”に人一倍敏感な層が当事者になっている、という点で、過去に個人情報の取扱いが問題となったケースと比較しても、より事業者に対する批判の声と、それに伴う事業者のダメージが大きくなってしまっていることは否めないのだが*4、そういった特殊要素を差し引いても、“明日は我が身”ということを身に染みて感じずにはいられない。


・・・で、話を戻すと、田中氏は続けて以下のようなコメントを残されている。

「3つの法廷が要求するものはしばしば矛盾する。裁判では出さない方がいい情報も、記者会見などで世間には出した方がいいこともある。社内では法務部と広報部が対立し、経営トップが板挟みになるが、ダメージの大きさを考えて、その都度判断するしかない。」

これは、外のコンサルの方の立場、あるいは、広報側にいた方の立場*5から見ると、こう見えるのかなぁ(苦笑)というところで、個人的にはあまり共感はしていない。

“情報を出す、出さない”という話で言えば、この種の「悪い話」の時に、法務サイドと広報サイドで意見が対立した、という経験が自分にはほとんどない*6

強いて言えば、行政処分や刑事訴追が絡むような話の際に、関係省庁や捜査当局から、「●●や××みたいな話は、記者会見では出さないでくれ」と言われて、窓口になっている法務部門から、「かくかくしかじかの事情があるから勘弁してくれ」というお願いをすることはあるし、逆に、事業部サイドが公表することに難色を示す事実(そういうものに限って、問題を説明する上での鍵になっていることが多い)について、「それを出さないとお詫び会見にならないでしょ」と、出す方向で説得することは結構良くあるが、いずれにしても、田中氏がコメントされているような文脈での“対立”はむしろレアなのではないか、と個人的には思っている。

あと、仮に広報部門と法務部門とで意見が対立したような場合、経営トップは間違いなく広報部門の言うことの方を聞くので(苦笑)、「板挟み」はないだろうなぁ・・・と*7

「危機発生後は当事者意識をどれだけ示せるかが重要だ。だが親会社の原田泳幸会長兼社長は当初、競合他社を批判するなど自らが被害者意識を持っていることを世間に感じさせてしまった。世論という法廷に冷静な裁判官はおらず、誤解、曲解も起こりやすいことに注意する必要がある。

この最後のフレーズなどは、まさにその通り、と共感するところが大であった。

ただ、記者会見のスタンスに関して言えば、“加害者として一方的に頭を下げる”のではなく、“被害者としての側面もアピールすることで、問題状況をきちんと理解してもらう”という原田会長のやり方の方が自分は筋が通っていると思うし、実際、会見直後の報道においては、(他の個人情報漏洩事象と比べても)風当りのトーンを比較的抑え目にした記事が多かったように思う*8

先ほども触れたように、今回のケースでは、“情報漏洩”の“当事者”となった人々の層が、一般的な事例と比べてもかなり特殊だったのは確かで、それゆえに、事態を客観的に理解しようとする冷静、合理的な判断が隅々まで浸透する前に、一部メディアの扇動的な報道とそれに呼応したSNS、口コミネットワークでの“炎上”が発生してしまったことは否めない。

そして、「自分たちの顧客がどういう人々か」ということは事業者が一番分かっていたわけだから、そういうところまで想定した上で、慎重に対処すべきだった、という議論も、(既に会員数の減少等が報じられている)今となっては、一定の説得力を持って響くのは確かなのだが、だからといって、“土下座会見一辺倒”の文化に乗っかることが良かったのかどうか、ということになると、話は別である。


残念ながら、「第三の法廷」に関する紙上での議論は、ここまでで終わってしまっているのだが、今後も同じような話は、世に数多出てくるだろうと思われるだけに、より深度化された議論の展開を、個人的には期待しているところである。

*1:実際に座談会を設定したわけではなく、参加者3氏への個別インタビューを、記者が座談会風に再構成したもののようである。

*2:日本経済新聞2014年7月28日付朝刊・第15面。

*3:管理体制だけでなく、その後のメディア対応等も含めて・・・。

*4:それゆえに、事業者側としても、他の一般的な企業以上に、情報の取扱いを厳格にすべきだった、という声も出てくる。

*5:掲載されている略歴によると、田中氏は過去にホンダで広報戦略に携わっておられたことがあるようだ。

*6:「いい話」の時は、とにかく“前向きさ”を演出したい広報、事業部サイドに対して、「そこまで言ってしまうと、後々その通りにならなかった時に大変だよ」という観点から物申すことはあるが、「悪い話」に対する対応、というのは、ある程度定型化されていて、ネガティブ情報でも出さないといけないものは出すし、特定の社員の氏名等に関する情報のように、公の場で出してはいけない情報は出すべきではない、という共通理解がある。

*7:この辺はかなり自虐的。

*8:法的にも、実質的にも、お詫びが必要な立場なのかどうか、議論がある話であるにもかかわらず、「お詫び」をしたことで、その後の批判報道の流れが決定的なものになってしまった事例等も、巷では散見される。それを考えると、今回の原田会長の戦略は、いったんは成功したとも評価できるのではないか、と自分は思っている。

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