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2014-10-25

[][]これが解釈論の限界なのか?〜自炊代行訴訟知財高裁判決への落胆と失望

昨年9月30日に第一審判決が出てから、はや1年超。

単純な「控訴棄却」事件であれば、1回で結審して早々に判決を出すことも稀ではない知財高裁が判決まで1年以上も引っ張った、ということもあって、ユーザーサイドの人々を中心に“かすかな期待感”を抱く向きもあった「自炊代行」訴訟だが、今週22日に出された判決の結論は、“予定調和的なそれ”のままだった。

「顧客の依頼で本や雑誌の内容をスキャナーで読み取り電子データ化する『自炊代行』の適否が争われた訴訟控訴審判決で、知的財産高裁(冨田善範裁判長)は22日、著作権(複製権)の侵害を認めて複製差し止めと70万円の侵害賠償を命じた一審・東京地裁の判断を支持し、東京都内の自炊代行業者側の控訴を棄却した。」(日本経済新聞2014年10月23日付朝刊・第39面、強調筆者)

本件訴訟の原告(被控訴人)は、浅田次郎氏、弘兼憲史氏をはじめとする一流の作家・漫画家で、代理人にも我が国を代表する先生方がずらっと揃っている。

その一方で、被告(控訴人)は零細な事業者に過ぎない。

そんな訴訟の構造を考えると、元々、結論がこうなってしまうのはやむを得ないだろうな、と達観せざるを得ないところがあったのは確か。

それでも、判決文をちゃんと読めば、(様々な批判の的となった一審判決よりは)一歩踏み込んだものになっているのではないか、というのが判決翌日の時点での自分のささやかな期待だったのだが・・・*1

最高裁ホームページにアップされた判決文を見てため息をついた人がどれほどいるのか、自分には想像もつかないのだけれど、嫌というほど古風な香りが漂う知財高裁の判決を、以下で紹介することにしたい。


 知財高判平成26年10月22日(H25(ネ)第10089号)*2

控訴人(被告):有限会社ドライバレッジジャパン、X

被控訴人(原告):Y1〜Y7

控訴人は、「スキャポン」という名称でサービスを提供する、いわゆる「自炊代行」業者であり、「第三者から注文を受けて,小説,エッセイ,漫画等の様々な書籍をスキャナーで読み取り,電子ファイル化する」という控訴人のサービスが被控訴人(作家、漫画家)の著作権を侵害するか、が実質的に唯一の争点となっている、という点は、地裁段階からほぼ変わっていない*3

そして、控訴人側の主張も、

■「複製」該当性の否定

「本件訴訟において問題となっている小説及び漫画に関する限り,本件サービスにおいては,複製物である書籍を裁断し,そこに格納された情報をスキャニングにより電子化して電子データに置換した上,原則として裁断本を廃棄するものであって,その過程全体において,複製物の数が増加するものではないから,「複製」行為は存在しない。」(7頁)

■「複製主体性」の否定

<「枢要な行為」基準に基づく主張>

「本件サービスにおいて,「特定の」書籍の所有者(処分権者)による書籍の取得,送付がなければ,およそ書籍の電子ファイル化などすることができないことは明らかであるから,利用者による「特定の」書籍の取得及び送付こそが,書籍の電子ファイル化にとって「不可欠の前提行為」であり「枢要な行為」にほかならない。(略)控訴人ドライバレッジは,利用者自身が実現不可能な複製を可能としているのではないし,利用者が取得していない書籍や取得し得ない書籍を電子ファイル化しているものでもない。したがって,控訴人ドライバレッジの行為が複製の実現について「枢要な行為」ということはできない。」(8頁)

<「手足論」に基づく主張>

「仮に控訴人ドライバレッジが複製の実現について「枢要な行為」をしているとしても,控訴人ドライバレッジは,利用者の手足として「枢要な行為」をしているのであるから,行為主体性が阻却される。(略)本件サービスを一連でみたとき,利用者は,電子ファイル化の発意,書籍の調達,送付から使用に至るまで,終始関与し,また,書籍の電子ファイル化は,通常,利用者ができない態様での複製ではないことからすれば,本件サービスにおいて,書籍の調達,送付行為が持つ意味は大きい。そうすると,本件においては,利用者が,書籍の電子ファイル化を「管理」しているといえる。以上によれば,本件サービスにおいて,スキャン行為の主体は利用者であって,控訴人ドライバレッジは利用者の「補助者」ないし「手足」にすぎないから,控訴人ドライバレッジの複製行為の主体性は阻却される。」(9頁)

といった大筋の主張においては、大きく変わっていないように見える。

若干毛色が変わったのが、法30条1項(私的複製に関する権利制限規定)の使い方と主張の内容で、「複製主体性」に関する主張において、30条1項の立法趣旨に言及した上で、

「本件サービスは私的複製の趣旨に合致こそすれ,その趣旨を逸脱しないから,利用者が複製行為の主体であると判断すべき事情となる。」(12頁)

と述べたかと思えば*4、「利用者と控訴人が共同の利用主体となる」という前提の下で、

著作権法30条1項の「その使用する者」の意味について,原則は使用者自身によることが求められているが,例外的に,使用者の手足と評価できる者による複製であれば,その複製は,使用者自身による複製と法的に評価される。または,複製行為の主体である使用者については,同条項の私的複製に当たり,複製権侵害が認められないのであるから,その効果が使用者の手足として複製行為をした者にも及び同人についても,複製権侵害が認められないこととなる。」(12頁)

と「手足論」と組み合わせた主張をしたり、それ以外の前提の下でも、法30条1項の趣旨を再度持ち出して、

「本件サービスによる書籍の電子ファイル化については,同条項の趣旨が妥当し,仮に控訴人ドライバレッジが利用者の手足といえないような場合であっても,控訴人ドライバレッジによる複製は利用者である「その使用する者」がした複製に当たり,同条項の適用がある。」(13頁)

という主張を行ったり、と、必死の反論を試みている様子は伝わってくる。

裁判所による争点整理の影響もあるのだろうが、利用主体性に関する議論との関係で、「30条1項」という権利制限規定をどのように抗弁として活用するのか、より敷衍した形で主張がまとめられたのが控訴審の特徴だ、という印象を自分は受けた*5

元々、「主体論」と「手足論」と「30条1項」の関係をどのように整理するのか、というのは非常に難しい問題である。

それゆえ、被控訴人側が指摘しているように(14〜15頁)、控訴人側の主張には一見すると矛盾しているかのように読める部分もあるのだが、それでも、「使える材料は徹底的に使って判断を仰ごうとしている」という印象を受ける数々の主張を見れば、結論にかかわらず、裁判所がどこまで実質的に踏み込んで判断するか、が、当然気になるところであった。

「時計の針」を止めた裁判所の判断

上記のような期待も空しく、裁判所の判断は、実に淡々としたものであった。

まず、本件訴訟の最大のヤマ場の一つである「複製主体性」については、

「「著作者は,その著作物を複製する権利を専有する。」(著作権法21条)ところ,「複製」とは,著作物を「印刷,写真,複写,録音,録画その他の方法により有形的に再製すること」である(同法2条1項15号)。そして,複製行為の主体とは,複製の意思をもって自ら複製行為を行う者をいうと解される。」(25頁)

と、「複製の意思」という耳慣れないフレーズを用いた規範を立てた上で、

裁断した書籍をスキャナーで読み込み電子ファイル化する行為が,本件サービスにおいて著作物である書籍について有形的再製をする行為,すなわち「複製」行為に当たることは明らかであって,この行為は,本件サービスを運営する控訴人ドライバレッジのみが専ら業務として行っており,利用者は同行為には全く関与していない。

「そして,控訴人ドライバレッジは,独立した事業者として,営利を目的として本件サービスの内容を自ら決定し,スキャン複製に必要な機器及び事務所を準備・確保した上で,インターネットで宣伝広告を行うことにより不特定多数の一般顧客である利用者を誘引し,その管理・支配の下で,利用者から送付された書籍を裁断し,スキャナで読み込んで電子ファイルを作成することにより書籍を複製し,当該電子ファイルの検品を行って利用者に納品し,利用者から対価を得る本件サービスを行っている。そうすると,控訴人ドライバレッジは,利用者と対等な契約主体であり,営利を目的とする独立した事業主体として,本件サービスにおける複製行為を行っているのであるから,本件サービスにおける複製行為の主体であると認めるのが相当である。」(25〜26頁)

という、極めてシンプルな理屈で、控訴人(自炊代行業者)を「複製行為の主体」と判断した。

また、第2のヤマ場であったはずの「著作権法30条1項の適用の可否」についても、「控訴人ドライバレッジが本件サービスにおける複製行為の主体」という前提の下、

「控訴人ドライバレッジは本件サービスにおける複製行為の主体と認められるから,控訴人ドライバレッジについて,上記要件の有無を検討することとなる。しかるに,控訴人ドライバレッジは,営利を目的として,顧客である不特定多数の利用者に複製物である電子ファイルを納品・提供するために複製を行っているのであるから,「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする」ということはできず,上記?の要件(筆者注:「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする)を欠く。また,控訴人ドライバレッジは複製行為の主体であるのに対し,複製された電子ファイルを私的使用する者は利用者であることから,「その使用する者が複製する」ということはできず,上記?の要件(筆者注:「その使用する者が複製する」)も欠く。したがって,控訴人ドライバレッジについて同法30条1項を適用する余地はないというべきである。」

と単純なあてはめであっさりと結論を出してしまった。


(一審段階から業者側がずっと言い続けている)「複製物の数が増加しないから『複製』行為は存在しない」という主張が、

「本件サービスにおいては,書籍をスキャナーで読みとり,電子化されたファイルが作成されており,著作物である書籍についての有形的再製が行われていることは明らかであるから,複製行為が存在するということができるのであって,有形的再製後の著作物及び複製物の個数によって「複製」の有無が左右されるものではない。」(26〜27頁)

として退けられるのは、伝統的な著作権法の解釈論としては想定の範囲内だし、元々「物理的な複製行為を行っていない者に侵害主体としての責任を負わせる論理」として最高裁で生まれた「枢要な行為」論を、「まさしく物理的な複製行為を自ら行っている」自炊代行業者救済の論理として用いるのは無理があった、と言えばそれまでだろう。

著作権法30条1項の趣旨」に絡めた主張にしても、

「利用者について同条項の私的使用の目的が認められるからといって、利用者以外の現に複製を行った者の複製行為主体性が当然に失われるものではない。」(31頁)

という理屈は確かにそのとおり、というほかない*6


だが、控訴人の主張をかたっぱしから退けていった今回の知財高裁の判断の中には、首を傾げたくなるところも散見される。

例えば、その他の業者を「独立した事業者として複製の意思をもって自ら複製行為をしている」者と評価する一方で、

「利用者による書籍の取得及び送付がなければ,控訴人ドライバレッジが書籍を電子ファイル化することはないものの,書籍の取得及び送付自体は「複製」に該当するものではなく,「複製」に該当する行為である書籍の電子ファイル化は専ら控訴人ドライバレッジがその管理・支配の下で行っているのである。控訴人ドライバレッジは利用者の注文内容に従って書籍を電子ファイル化しているが,それは,利用者が,控訴人ドライバレッジが用意した前記1(1)の本件サービスの内容に従ったサービスを利用しているにすぎず,当該事実をもって,控訴人ドライバレッジによる書籍の電子ファイル化が利用者の管理下において行われていると評価することはできない。また,利用者は本件サービスを利用しなくても,自ら書籍を電子ファイル化することが可能であるが,そのことによって,独立した事業者として,複製の意思をもって自ら複製行為をしている控訴人ドライバレッジの複製行為の主体性が失われるものではない。」(27〜28頁)

と、利用者側の複製行為に向けられた「意思」には全く触れず、利用者の行為を形式的に分解して「ただのサービス利用者」と評価しているくだりなどは、いささか不思議な気分にさせられてしまうし*7、控訴人側のもう一つの主張の柱であった「手足論」に対しても、

「一般に,ある行為の直接的な行為主体でない者であっても,その者が,当該行為の直接的な行為主体を「自己の手足として利用してその行為を行わせている」と評価し得る程度に,その行為を管理・支配しているという関係が認められる場合には,その直接的な行為主体でない者を当該行為の実質的な行為主体であると法的に評価し,当該行為についての責任を負担させることがあり得るということができる。」(29頁)

と述べつつ、

「利用者は,控訴人ドライバレッジが用意した本件サービスの内容に従って本件サービスを申し込み,書籍を調達し,電子ファイル化を注文して書籍を送付しているのであり,控訴人ドライバレッジは,利用者からの上記申込みを事業者として承諾した上でスキャン等の複製を行っており,利用者は,控訴人ドライバレッジの行うスキャン等の複製に関する作業に関与することは一切ない。そうすると,利用者が控訴人ドライバレッジを自己の手足として利用して書籍の電子ファイル化を行わせていると評価し得る程度に,利用者が控訴人ドライバレッジによる複製行為を管理・支配しているとの関係が認められないことは明らかであって,控訴人ドライバレッジが利用者の「補助者」ないし「手足」ということはできない。」(29頁)

「物理的に複製過程に関与しているかどうか」という問題と「規範的に管理・支配しているといえるかどうか」という問題を、ゴッチャにしたようなあてはめがなされていて、まるでキツネにつままれたよう・・・。


そして、一番がっかりさせられたのは、「30条1項の趣旨」に関する以下の説示である。

著作権法30条1項は,個人の私的な領域における活動の自由を保障する必要性があり,また閉鎖的な私的領域内での零細な利用にとどまるのであれば,著作権者への経済的打撃が少ないことなどに鑑みて規定されたものである。そのため,同条項の要件として,著作物の使用範囲を「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする」(私的使用目的)ものに限定するとともに,これに加えて,複製行為の主体について「その使用する者が複製する」との限定を付すことによって,個人的又は家庭内のような閉鎖的な私的領域における零細な複製のみを許容し,私的複製の過程に外部の者が介入することを排除し,私的複製の量を抑制するとの趣旨・目的を実現しようとしたものと解される。そうすると,本件サービスにおける複製行為が,利用者個人が私的領域内で行い得る行為にすぎず,本件サービスにおいては,利用者が複製する著作物を決定するものであったとしても,独立した複製代行業者として本件サービスを営む控訴人ドライバレッジが著作物である書籍の電子ファイル化という複製をすることは,私的複製の過程に外部の者が介入することにほかならず,複製の量が増大し,私的複製の量を抑制するとの同条項の趣旨・目的が損なわれ,著作権者が実質的な不利益を被るおそれがあるから,「その使用する者が複製する」との要件を充足しないと解すべきである。」(34頁)

まるで、30条1項の趣旨を「外部の者が介入することを(完全に)排除」したものと捉えるかのような、極めてクラシックな解釈論を、この21世紀の「知財高裁」の判決で目にすることになるとは・・・。

既に紹介した通り、今回の知財高裁判決は、自炊代行業者たる控訴人のみを「複製主体」と認定しており、30条1項の適用可能性がある「個人利用者」を「単なるサービス利用者」としてしか捉えていない。

したがって、知財高裁は、趣旨に言及するまでもなく「30条1項は適用されない」という結論を導けたはずであった*8

にもかかわらず、あえて“寄り道”までして、示した判断がこの内容か、と思うと、どうしようもない脱力感に襲われてしまう。

「昭和45年」からどれほど時間が流れても、個人が私的領域において用いることができるツールがどれほど変化しても微動だにしないような、立法者意思と法の文言に忠実な解釈。それこそが「法的安定性」なのだ、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、一つひとつの論点に答えを出しているように見えて、著作権者×事業者×利用者の三者間の実質的な利益衡量に踏み込んだ痕跡が一切見当たらない本判決から伝わってくるものは、ほとんどない。


昨年、地裁で、本件の原審を含む自炊代行業者に関する判決が相次いで出された後、知財研究者や実務家による様々な論稿、評釈が活字になって世の中に登場した。

ブログで取り上げたものだけでも、

池村聡弁護士の評釈 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20131217/1388244611

田村善之教授の評釈 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140107/1389284069

横山久芳教授の評釈 http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140302/1394379292

と、三者三様のものがあり、そこでは、異なる切り口からそれぞれの持論を展開して異なる着地点に導く、という、とても読み応えのある議論が展開されていた*9

しかし、非常に残念なことに、知財高裁は、「複製(利用)主体性」、「著作権法30条1項適用」のいずれの論点についても、多くの識者が投げかけた地裁判決への疑問に答えることができなかったように思われる*10


これまでの一連の自炊代行訴訟の展開からしても、過去の著作権訴訟に対する判断傾向からしても、自炊代行業者側が最高裁に上訴して結論がひっくり返る可能性は極めて低い、と言わざるを得ないのだが*11、それでも、一連の訴訟がこのまま終わってよいのか、日本の著作権法の解釈論がこの判決の内容に尽きることになってしまうのか、ということを考え出すと、(あくまで外野の人間としては)不受理で終わることも覚悟の上で、最高裁の判断を仰いでも良いのではないか、という気分になってくる。

「技術の発展や表現方法の多様化により,著作物の利用,使用が多様化するとともに,著作物の流通方法,保存方法も多様化しており,そのような中で,利用者はどのような方法で,著作物を利用,使用するか,利用者自身が既存の著作物から着想を得て,新しい表現をするなど,著作物に関する私的領域は拡大している。私的領域で実現できる私的複製を始めとする法定利用行為についても,大量かつ高性能に行うことが可能となっているが,本件サービスは,このような私人である利用者が私的領域に使用するためだけに利用されている。」(11頁)

「私的領域における自由の範囲が拡大し,著作物の利用,使用方法の多様性,容易性,表現の多様性に溢れる昨今において,著作権法30条1項の「その使用する者」を,使用者本人だけと解するのはあまりに硬直的すぎる。」(14頁)

といった控訴人の主張を、単なる「業者のエゴ」と片づけてしまうのはあまりに惜しいし、結論としては上告棄却となっても、補足意見等の中で、何らかの応答がなされても良いのではないか、と期待したくもなる。

ゆえに、今は、10月22日付で、自らのホームページに再び「承服できない」とのコメントを示した*12控訴人の意地に、この国の著作権法の“柔軟な解釈”の可能性をもう少し託してみたい、と思うところである。

*1:新聞報道からだけでは、今一つ裁判所の判断の内容が分からなかったので・・・。

*2:第4部・冨田善範裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/084579_hanrei.pdf

*3地裁段階における当事者の主張、及び裁判所の判断についてはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20131001/1380654377参照。

*4:ただし、後述するように、法30条1項の趣旨から利用主体性の結論を導き出そうとするのは、理屈としては“逆転”してしまっている印象があり、あまり筋が良くないのでは、と思わざるにはいられない。

*5:一審からの主張書面等、記録そのものを見たわけではないので、これが第一審、控訴審それぞれの代理人の方針の違いによるものなのか(控訴人の代理人は第一審と控訴審とで異なっている)、それとも単に裁判所が判決における主張の整理の仕方を変えただけなのか、は分からないが・・・。

*6:このような観点からすれば、主体性をめぐる争点の中で「30条1項の趣旨」に関する主張をすること自体が、若干ピント外れだった、ということになろう。控訴人側には、「ユーザーが(も)利用主体である」という判断を導かない限り、その先の30条1項適用の議論にもつながらない、という苦しさがあり、それが本来の文脈とは異なる場面での「30条1項投入」を余儀なくされた一因だとは思うのだが、やはり30条1項は、それにふさわしい場面で用いられるべきだと思う。

*7:本判決の中で、評判の悪い「ロクラク2」最高裁判決の「枢要な行為」というキーワードが使われていないことに気づいた時、最初は「おっ!?」と思ったのだが、良く読むと、「利用主体の規範的評価」が問われている事件であるにもかかわらず、その「評価」すら回避して、事実上「物理的な行為主体性」だけで結論を出してしまっている(その代わりに「複製の意思」という良く分からないフレーズでお茶を濁している)、よりたちの悪い判旨であることに気づいて落胆した。

*8:その意味で、ビー・トゥ・システムズらを被告とする平成25年10月の地裁判決と同じ状況だったと言える。平成25年10月判決については、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20131109/1384108021参照のこと。

*9:特に本件で、控訴人の主張の中にも「相応に非効率なビジネスモデルを採用する自炊代行業者に限り、同条項の私的複製の範囲内と認めて著作権侵害の責任を免らしめると解すべき」というフレーズが取り入れられた田村教授の評釈は、かなり刺激的なものだった。

*10自炊代行業者の行為を結論において「違法」とする横山教授にしても、複製主体性の認定に関しては、「利用者主体」と評価される可能性も指摘しているのであって、単純に「事業者が利用主体」+「30条1項適用可能性なし」とすることを支持する論者はあまりいなかったし、「利用者も主体となりうる」という前提に立ったうえで30条1項の適用を否定する論者も、皆が皆、「業者が外部の者だから」という理由だけでバッサリと切り捨てる議論を展開していたわけではなかったと思う。

*11:むしろ、かえって30条1項のクラシックな解釈が塗り固められるような気がしてならない。

*12http://www.scapon.jp/pdf/20141022.pdf参照。

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